いよいよ選挙キャンペーンも終盤戦に突入した。各党の集会やパレード、そしてテレビCMでは政策主張よりも、党のイメージをひたすらアピールする「戦術」が支配的だ。スハルトの写真をバックに「スハルト時代が好き?では、わが党に一票を!」とアピールする悪徳退役軍人の党CMは爆笑モノ。こんなキャンペーンで良いの? 政策論議はどこへ行ったの?と感じる人もいるだろう。
■政策分かる人は2%
キャンペーン前に行われたゴルカル党の選挙必勝全国決起集会を見に行った。選対チームのリーダーいわく「政策主張をしても聞くのは教育レベルが高い、人口の二パーセントだけ。全然意味なし」だそうだ。
なるほど、政策論議は票にならない。だったら小難しい話はNG。お祭りムードで党サポーターを最大限動員して、投票日に向けて士気高揚を図る。
それが選挙キャンペーンの実態で、各党地方支部の責任者の力量が問われるところだ。無党派市民は蚊帳(かや)の外。しらけムードは当然だろう。都市でのゴルプット(ゴロガン・プティ=白票集団=棄権票)は前回の一九九九年選挙に比べて増えると予想される。
■イスラム寄宿学校に照準
では、政党はどういう票を念頭に置いて選挙戦術を組み立てているのか。
日本と同じで、やはり組織票が物を言う。組織票固めこそが選挙政治の核だ。五〇パーセント以上の有権者を擁するジャワ島の場合、特にそれが重視される。
ジャワの選挙において、高い動員能力を発揮する組織は二つある。
イスラム寄宿学校(プサントレン)と地方政府官僚だ。これらをどう陣営に取り込むかが票動員の行方を決定する。水面下で展開されるその力学は面白い。
■絶対的な発言力
今回はまずプサントレンに話を絞ろう。ジャワ島各地に多数散在するプサントレンには、それぞれキアイと呼ばれるイスラム導師の学校創立者がいる。
プサントレンにおけるキアイの発言力は絶対だ。その影響力は学校を中心に、その周辺住民にも及ぶ。キアイは宗教行事は元より、地域住民の人生相談まで手がけるローカルリーダーだ。
なかでも「キアイ・クォス」(特別なイスラム導師)と呼ばれるカリスマ的存在のキアイにかかると、一声で何万人も動くといわれるほどの絶対的な影響力を持っている。
こういうキアイがジャワで何十人もいる。
例えば東ジャワのファワイド・アサド、アブドゥラ・ファキ、ユスフ・ハシム。中部ジャワのコリル・ビスリ、ムストファ・ビスリ、サハル・マフッド。西ジャワのアブドラ・アバスなどが「超カリスマ・キアイ」として有名だ。
こういったキアイの集まりがナフダトゥール・ウラマ(NU)で、インドネシア最大のイスラム社会組織としての地位を誇っている。
■「右と言えば右」の実力
当然、政治勢力は各地でキアイを取り込むことで支持動員を図ろうとする。ワヒド政権の末期に、ワヒド救済の「決死隊」が東ジャワで結成されたが、これも特定のキアイが仕掛けた。
プサントレンに所属する若者は「ワヒドのためなら死も恐れず戦う」と誓い、キアイの祈りで「不死身のスーパーマン」になると信じた。キアイが「ハラム」(イスラム法に反する)と言えば、支持者は「ハラム」と叫ぶ。これがキアイ・パワーだ。
地方では首長も政治家もキアイの支持なしでは物事が進まないため、スムーズな政策実行のためにもキアイを丁重に扱う。プサントレンを頻繁に訪れ、そこの行事や改築工事に金を落とし、仲良くしようと努める。
■外車乗り回す指導者も
昨年の東ジャワの州知事選を現場で密着調査した時、かなりの額の献金がキアイに渡ったのを間近で見たが、州議会議員の票をコントロールする際もキアイの影響力が決定的だった。指にギラギラした金の指輪を何個もつけて、外車を乗り回すキアイも少なくない。
あらゆる政治勢力からラブコールを受ける彼らは金持ちだったりする。今回の選挙でも、闘争民主党とゴルカル党はキアイの取り込み合戦をやっている。
何万という票が動くと予測しているからだ。キアイはNUだからワヒドの民族覚醒党支持、というわけではない。
■5万人動かす若手指導者
NUはキアイの連合であって、キアイは各地のインフォーマル・リーダーだ。それぞれ利益も違う。開発統一党支持もあれば、ゴルカル党や闘争民主党支持もいる。数カ月前に東ジャワの若手カリスマ・キアイのファワイドが、もう民族覚醒党支持はやめて開発統一党を支持すると宣言したが、これで五万人ほど動くといわれている。早くも先月、両党の支持者同士で衝突が起き死者まで出た。
東ジャワはNUの発祥地だけあり、中部ジャワや西ジャワと比べてサントリ(敬虔なイスラム教徒)が多く、キアイの影響力も強い。ジャワは西に行くほど、グラデーションのように、少しずつキアイの絶対力が薄まる傾向にある。
■取り込みに現ナマが動く
東ジャワでも特にマドゥラ島の東端からジャワ島最東部にかけてのU字でつながる数県では、絶対的にキアイがパワフルで、前回選挙ではほぼ全てがワヒドの民族覚醒党を支持した。同党が東ジャワ州で第一党になった原動力だった。
今回はどうか。先のファワイドのように、ワヒドに愛想をつかしているキアイも増えてきた。前回選挙のようには行かない。流れるサントリ票に他のイスラム政党は期待している。
特にハムザ副大統領率いる開発統一党が、チャンスとばかり、キアイとの駆け引きを水面下でやっている。
東ジャワでも西側は古くから中部ジャワのソロ(マタラマン文化)の影響で、東側に比べるとサントリ文化も薄まる。そこでは闘争民主党ががっちり食い込んでいる。
■ゴルカル党も囲い込み狙う
闘争民主党の州・県支部は、キアイへのアプローチを密にしつつ、票動員の皮算用を描く。同党出身の県知事たちを中心に、選対資金を巧みにプサントレンやキアイ対策に注ぎ込む。
ただ同党は州支部内での内紛もあり、九九年ほど団結した選挙準備ができていない。皮算用が絵に描いた餅にもなる可能性はある。
中部ジャワはもっと複雑で、より多くの政党がキアイへのアプローチ合戦に参加する。何でも飲み込むジャワ島の「腹」とも言われるこの州ならではの実態だ。NU州支部長いわく「ゴルカルは賢い。闘争民主党が内紛している県で重点的にキアイの支持回復工作をやっている」そうだ。
彼は昨年の州知事選で、現職再選のシナリオでキアイの意見を一致させた仕掛け人だ。今度の選挙では、ゴルカル支持のドア(祈とう)を出すキアイも少なくないと読んでいる。
■闘争民主党は現金で買収
ただ闘争民主党も、さすがに地盤だけあって、この州では熱狂的なサポーターも多い。同党出身の県知事たちは、必死の「赤化」キャンペーンで金をばら撒いている。取り込んだキアイのプサントレンを投票所に指定して、票動員を絶対に確保するといった涙ぐましい工夫までする。
西ジャワではどうか。この州のキアイはゴルカル党との長い関係を引きずっている。ジャカルタに隣接するこの州では、スハルト時代に政府がキアイの懐柔を重点的に進めてきた。安定と開発を目的に、政権党のゴルカルがプサントレンの体制内取り込みをやってきた。
その「遺産」が今度の選挙で発揮されると見られている。前回は「民主改革」ムードの選挙でゴルカル党は敗北を許したが、今度はそうはいかないと必死だ。
ここ数年、支持基盤の回復を着々と進めているが、キアイとの関係強化は、そこでの最優先事項に位置付けられている。
■浮動票相手では戦えない
こういった具合に、ジャワ島のあちらこちらで、選挙戦に伴いキアイへのアプローチがエスカレートしている。
目的はひとつ。彼らの一声で動く(であろう)大量票の獲得だ。浮動票を当てにしても選挙では戦えない。いかにキアイを自陣に招き、支持票を集めるか。これが決定的に大事だと主要政党は考える。ジャワではキアイだが、他の地域ではまた別の民衆指導者がごまんといる。彼らを取り込むことが大量票の獲得につながる。
■ますます重要になったインフォーマルリーダー
スハルト政権の三十二年は、どう転んでもゴルカルが負けない面白みのない時代だった。
いまは「自由競争」の時代だ。それに伴いローカル・インフォーマル・リーダーの政治的価値が急速に高くなっている。それはインフォーマルな政治がますます重要になる時代の予兆を感じさせる。
スハルト時代が終わり、一方で政治の透明性が要求され、他方で不透明な政治が重要になるという現象も、研究者としては興味深かったりする。