熱帯の海を潜ると、すぐに目に映る物の中に、岩の上の方にちょこんと乗って、触手を半分体の中に包み込んだような状態に丸まった、薄紫色のボディーの、なにやらセクシーなイソギンチャクがある。
このボティーを脇から包み込むようにして触るとポヨヨ〜ンとして女性の豊満な胸のようで何とも言えぬ感触であるが、そんな話はどうでもよい。まあ、「水中花」と言われるぐらいだから、一種独特の、怪しげな魅力を感じるのも当然であろう。
■光を求めて岩登り
イソギンチャクの多くの種類は、体内に褐色藻を持っており、いとこのサンゴ君ほどべったりではないにせよ、かなりお世話になっていることに変わりはない。ご恩のある方にはそれなりの恩返しが必要であり、くだんのイソギンチャク君は、光を求めて、岩をよじ登って高場まで行ったのである。
えっ、イソギンチャクが移動するのか、ですって? はい、立派にあっちこっちに行ってくれますよ。海水魚用の水槽で、一番面倒なのが、このイソギンチャクなのだ。最初にセットした所に落ち着いてくれることはまずない。
|
岩の上で触手を広げている様子はまさに「水中花」だ
|
あっちゃこっちゃ移動しまくり、ご自身の居心地の良い場所を探すのだが、ガラス面にくっ付いてくれるケースが多く、これじゃ水槽の風景がめちゃめちゃというものだ。さらには、海水循環用のパイプを上ってパイプに吸い込まれ、循環装置を故障させたりと、アクアリストから見ると、大問題児の困ったちゃんなのである。
そんなもの水槽に入れなきゃいいんだろうが、ダイバーに人気のクマノミ君たちはイソギンチャクと共生していてこそ、かわいさが倍増するので、やっぱりイソギンチャクが欲しいのだが、どうもうまくいかない。というわけで、多くの水槽では、かわいそうに、クマノミ君は相棒のイソギンチャク君なしで浮浪児状態となっているのだ。
■触手を使って保護
褐色藻を体内に持っているイソギンチャクは、普通の明るさでは光の当たる場所を好み、強力な明るさでは日陰を好む。これは、お世話になっている褐色藻さま保護のためだ。
サンゴのようにシェルター構造のないイソギンチャク君は、ともすると強力過ぎる太陽光線の紫外線から褐色藻さまを守り、適度の光を維持するために、せっせと移動を繰り返すのである。本当にご苦労様。
朝から夕方まで、太陽の移動に伴って、海中の明るさは当然、変化する。いくら移動するとは言っても、魚たちのようにさ〜っと移動できるわけではなく、高速撮影でもしなければ移動を追えないぐらい超スローである。ともすると、ご自身が移動している間に太陽の方が移動してしまう。
それじゃ、どうするかと言うと、先述のイソギンチャク君のように、触手を縮めて丸まって、ちょうどつぼみのような形状をとる。そうすることによって、体内の褐色藻さまを紫外線から守り、適当な光量になると、また触手を広げてやるのだ。
このことは、研究室で人工的に褐色藻を取り除いたイソギンチャクは、光に対する上記のような反応をしないこと、また、褐色藻を持っていても、フィルターを使って紫外線だけを取り除いてやると、触手を縮めて丸まる反応をしなくなることで確認されている。(まぁ、暇と言えば暇な実験ですが…)
そんな大それたことをしないでも、自宅の水槽でも確認できる。最初のうち、イソギンチャク君は最適な場所を求めてうろちょろするが、普通の自宅の水槽程度の照明では褐色藻君にとっては不十分であり、そのうち、愛想をつかせたのか、死んじゃうのか、ともかく、イソギンチャクの体内にいなくなる。
これは体色が白っぽくなるから簡単に確認できる。白っぽくなったイソギンチャクはもうあまりフラフラしなくなる。(まぁ、その理由がないからだ。)もう一つの紫外線の方は、紫外線殺菌灯がなければ、100Wの電球で横から照らしてやるとよい。あのまぶしい明かりを当てても、イソギンチャク君は何の反応もしないはずだ。
■白化し、最後は消滅
|
かわいらしいクマノミ君の写真は、いつもイソギンチャク君と一緒だ
|
余談であるが、通常、水槽に入れられたイソギンチャク君はどうなるかというと、まず白っぽくなって、それからだんだん小さくなって、最後には消滅。本当に消えうせてしまう。いくらマメに小魚などの餌を与えていても、遅かれ早かれこのような結末となる。やっぱりイソギンチャク君にとっても、褐色藻さま、さま、なのであろう。
このように、褐色藻さまにそっぽを向かれて家を出て行かれて、真っ青ならぬ真っ白になるのが白化現象だ。自然の海ではサンゴの白化現象と同様に、主に水温の上昇で起きると考えられている。
皮肉なことに、この白くなったイソギンチャクがまた一段ときれいに見える。当のイソギンチャク君は保険もなしで稼ぎ頭の旦那を亡くした未亡人状態なのに、である。それでもまだ、当分はなんとか生きているのであるから、居候のクマノミ君は、われ関せずとばかりに、無邪気にイソギンチャク君の触手の中で相変わらずたわむれているのである。
■水中写真の絶好の構図
大家のイソギンチャク君が疲労死してしまうと、クマノミ君は隠れ家がなくなって、自然界の厳しい定めで、ほかの魚に食べられてしまうのだが、そんな不安はいっこうに感じさせない。
人間界であればかなり悲惨な危機的状況下であり、どちらかといえば報道写真の対象になりそうなのだが、「白化したイソギンチャクとクマノミ」の写真は水中写真愛好家の絶好の構図であり、フォトコンテストでも必ず見られる。誠に皮肉な話である。
ところで、居候のクマノミ君であるが、こちらに関しては、別の機会にお話をすることとしよう。
(
つづく)