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連載 【スラウェシ昨今 豊かな島に期待して】(1)
高級仏壇を日本へ輸出

彫刻の職人を育てる / 冠婚葬祭大手の「丸喜」

【じゃかるた新聞 2010年11月29日月曜日8面】

  ジャカルタから2時間。満席のライオンエア機は大きく旋回し、一昨年、新装オープンしたマカッサル空港に着陸した。高速道路が完成し、市内へのアクセスは一段と便利になり、肥沃な土地と豊かな海が生み出す農水産物や鉄鉱石を中心とする天然資源の輸出で島全体の経済も活性化した。東部インドネシアの社会開発を目指し、2006年から現地事務所を開設、専門家や青年海外協力隊員を重点配備してきた国際協力機構(JICA)の活動を中心に、南スラウェシの最近の変化を報告する。

作業工程を細かく分け、インドネシア人社員が手作業で繊細な仏壇のパーツを作り上げていく
 高さ3メートルに積み上げた鮮やかな色の木材が心地よい香りを敷地内に広げている。工場へ入るとジルバブ(イスラムのベール)をかぶった女性たちが接着剤を使い、繊細な格子を組み立て、工程の最後には黒光りした仏壇が並んでいた。
 「日本語のできるインドネシア人を多く採用するなど、スラウェシにおける日本を代表する企業。中部ジャワ州ジュパラから木彫りの職人を連れてきて、スラウェシの人々に技術を伝えるということもしている」と、JICA専門家の中嶋浩介さんの紹介で、冠婚葬祭の総合商社・丸喜の現地法人マルキ・インターナショナル・インドネシア社の工場を訪れた。
 最高級の仏壇の材料である黒檀の産地であるスラウェシのマカッサル市街地から車で約30分。マカッサル工業団地近くの5万平米の広大な敷地に建てられた仏壇製造工場に、530人の従業員、7人の日本人駐在員が働き、月に550の仏壇を製造している。マカッサルで最大の日系企業だ。
 「昔は仏壇にお金をかける習慣があった」とマルキの岡村昌宏常務。
 自宅に必ず仏間を設置していた時代に比べ、現在は仏間のないマンションに住む人も多く、若い人ほど仏壇を拝むという意識が薄れてきた。
 近年の不景気の影響も重なり、高額の国産仏壇は売り上げが減ってきている。製品の多様化やコスト減を図るため、それまで自社の製造工場を持たなかった丸喜は1998年、材木の産地であるスラウェシに初めて工場を作った。
 仏壇は日本特有の文化であり、ほかの仏教国にも存在しないため、仏壇製造は日本だけが唯一の市場。消費者の志向も刻々と変化する中、インドネシアでも特にイスラム色の強い地域と言われるスラウェシでゼロから仏壇作りを開始した。
 岡村常務は「日本人とインドネシア人は生まれ育った環境、教育、生活がまるっきり違う。初めは製品ができても売れるか売れないか分からない状況だった」と語る。
 「日本人駐在員もインドネシア人社員も苦労」し、切断、寸法合わせ、加工・組み立て、塗装、チェックのそれぞれの工場内で一人一人に細かく作業が割り当てられ、何重にもチェックが利くようにし、潤沢な数の製造と返品率2%という精度に技術を高めた。
 「ものづくりに終わりはないし、そう簡単なものでもない。これで十分と考えたら終わり。一役、一役だが、社員それぞれがものづくりの職人になってもらわないと」
 モスクの建築や奨学金の授与などで地域との結び付きも重視しているマルキは、イスラムの国で日本固有の文化を生産する努力を続けている。


連載 【スラウェシ昨今 豊かな島に期待して】(2)
マルキッサに付加価値

「南スラ・ブランド」確立へ / JICA地場産業支援

【じゃかるた新聞 2010年10月30日火曜日8面】

展示会に出展したチトラ・サリ社のマルキッサ・ジュースを試飲するプロジェクトリーダーの岡田さん(右)
 開発が進む埋立地域に位置する南スラウェシ州マカッサルのセレベス・コンベンション・センターで開かれた特産品展示会で、二種類のマルキッサ(パッションフルーツ)ジュースを販売するブースがあった。
 3000ルピアのジュースは確かに甘いが、香りがなく、のどを過ぎると味が引く。これに対して、5000ルピアのジュースは強い香りと自然で独特な甘みが口に広がる。
 前者は砂糖や保存料を大量に使用した一般的なジュース。後者は砂糖と保存料の使用を極力抑えたプレミアム版だ。
 このジュースは、マカッサル市内の住宅街の一角にある一軒家のようなたたずまいの工場で製造されている。
 従業員30人のチトラ・サリ社を経営するのはシリさん(65)。シリさんは国際協力機構(JICA)の地場産業振興支援プロジェクトが主催する研修に参加し、メダンのマルキッサ製造工場を訪れた。決して大きくない工場だが、新鮮さを売りにする高価格のジュースを製造し、売り上げは好調だという。
 「良い品質のものを作ったところで、高い値段のものを買う人はいるのだろうか」という消極的な考えが、「うちでもできる」と変わったシリさん。八月からプレミアムジュースの製造を開始した。
 生産するのは零細農家で品質の保持は困難だが、産地近くに中間加工工場の建設を予定するなど試行錯誤を繰り返している。
 トラジャ・コーヒーなど豊富な農産物に恵まれているが、所得水準は高くない南スラウェシ州。農産物に付加価値を生み出し、地域経済を活発化させようと、地場産業振興支援プロジェクトは2009年に開始。シルク、カカオ、大理石、マルキッサを重点産物に定め、州政府など行政機関が生産者、製造業者、市場を結び付ける動きを後押しする。
 「次の世代のためにもなる『南スラウェシ・ブランド(メレック・スルセル)』」の確立が当面の目標。日本の各県の取り組みを参考に、ジャカルタにアンテナショップの開設を計画中だ。
 中小企業が従来の商品に付加価値を付けたプレミアム・ジュースの製造を始めるなど、活動の芽が出始めたプロジェクト。
 リーダーの岡田卓也さんは「誰がやっても同じ結果が出る仕組み作り」が技術協力のポイントと語る。
 そのために「提案はしないで当事者に考えてもらう」ことを心掛け、「南スラ・ブランド」売り出しに向けた地方自治体や企業の動きを後押ししていく方針だ。


連載 【スラウェシ昨今 豊かな島に期待して】(3)
貧困の悪循環 断ち切る

ジャコウネコで実験 / 経営コンサルの阿部さん

【じゃかるた新聞 2010年11月1日水曜日8面】

「日本の良いところを取り入れて、少しでも地域が潤えば」と語る阿部さん
 南スラウェシ州マカッサルの中華料理店で開かれた国際協力機構(JICA)専門家の中嶋浩介さんが主催する「B級グルメの会」で、「コピ・ルワック」としても知られるジャコウネコの糞から取った豆を使ったコーヒーが披露された。
 思わず咳き込んでしまうほどの芳醇な香り。1キロで2万―2万5000円ほどという豆を、ぜいたくにもその場でひいて味わうと、「こんなコーヒー飲んだことない」「香りがずっと残る」と、独特の濃厚な味わいに感嘆の声が上がった。
 コーヒーを披露した経営コンサルタントの阿部一也さんは12年前からジャワ島で事業を始めた。3年半前に知り合った妻の出身地である同州エンレカン県でジャコウネコの飼育とコーヒーの生産を半年前に開始した。
 同県は州都マカッサルから北へ約250キロで車で約6時間。コーヒーの産地として有名なタナトラジャの南に位置する高原地帯。2008年のインドネシア・コーヒー・カカオ研究所(ICCRI)などが主催するコーヒーコンテストで全国一位に輝くなど上質なコーヒー豆の産地であり、ほかにもコメやトマト、ニンジン、キャベツなどを栽培しているが、農家の生活は苦しい。
 阿部さんは3年前から各農家を回って実態を調べ始め、仲介業者がコーヒー豆を安い値段で買い占めている事実を知った。
 買い取り価格は1リットル6000ルピアほど。1年間で得られる利益は2―3万円にしかならない。利益が少ないことから肥料を少なくして質を落とし、より安い値段で取引されるという悪循環に陥っている。
 「本当はこんなに高い価格で取引されるものなんだ」「おれたちは今まで何をやっていたんだ」と目覚めてほしいと阿部さん。「そのために、このジャコウネコ・コーヒーを一つの起爆剤にしたい」
 阿部さんは高値で取引されるジャコウネコ・コーヒーの生産を村に導入することによって「努力してもムダだ」という考え方を変えれば、ほかの農産物の生産や行政の在り方の変化にもつながると確信する。
 現在、約7000平米のコーヒー農園で約60匹のジャコウネコを育て、年間で100―200キロの豆が生産できる。業者を介さず、日本のコーヒー店との直接の取引を始めている。
 現地語でジャコウネコを意味するチンドゥンから、商品名は「チンドゥン・コーヒー(Kopi Cindun)」にしようと考えている。独自の名前を付けることでブランドを広めることを狙うとともに、「下手なものは作れない」という意識改革もしたいという。
 「豊穣な土地や豊富な労働力があり、インドネシアの潜在力は計り知れない。縁があったこの国に足跡を残したい」
 貧しさの悪循環を断ち切ろうとする阿部さんの試みがいつ実るか。村の人々は期待している。


連載 【スラウェシ昨今 豊かな島に期待して】(4)
地域に根ざす社会開発

「すべてを住民の手で」 / JICA・CDプロジェクト

【じゃかるた新聞 2010年11月2日木曜日8面】

視察先の村でファシリテーターのサリパさん(右から2人目)らと懇談するプロジェクトメンバーの佐久間さん(右端)と中嶋浩介さん(左端)
 マカッサルから車で2時間半。海辺の道路に降りると磯の香りが鼻についた。沿岸一帯に海藻を敷き詰めている南スラウェシ州タカラール県のプナガ村。伝統の高床式の家々が並ぶ。海藻の養殖を主な現金収入源とする貧しい漁村だ。
 「この機械は、県の役人が持ち込んだものです。漁民はまったく使おうとしない」。そういってサリパさん(22)が指差したのは海藻を砕く機械。すっかり赤さびている。数年前、タカラール県の労働局がこの村の家々に持ち込んだ。大量の海藻を砕いて商品化する道具として考案されたものだ。しかし、漁民たちは、触ろうともしなかったという。
 国際協力機構(JICA)は2006年、マカッサル事務所を開設。07年からスラウェシ地域開発能力向上(キャパシティ・ディベロップメント=CD)プロジェクトに着手した。
 リーダーとして、タカラール県の開発にかかわってきた佐久間弘行さんは「貧困はモノが欠如していることではない。住民自身が地域を把握し、管理する経験が不足していること」と語り、「地域住民が自らの手で、自らの能力の範囲内で進める開発」の考え方を、行政関係者やファシリテーターに伝えてきた。
 サリパさんはJICAのCDプロジェクトが育てた「ファシリテーター」の一人。行政と地域住民を仲介する役割を果たしている。
 このプロジェクトの基本は、その地域社会に即した社会開発だ。従来の開発は外からモノや技術を持ち込むので、そのモノを住民が維持・管理できず、一時的なものに終わることも多い。少しでも現金収入を増やそうと労働局が持ち込んだ海藻を砕く機械が典型的な例だ。
 特に貧しい沿岸部地域の開発推進のため、サリパさんのような「ファシリテーター」はコミュニティに入り込んで、行政との橋渡し役を務める。サリパさんは開発の意味を説得しながら話し合いの中で住民共通の問題を模索している。
 現在は家計の苦しさと燃料の不足を解消するため、他の村の事例を基に牛糞から8世帯分のバイオガスを生成する施設を建設中だ。
 県職員のハシムさんは「CDプロジェクトは、住民のための社会開発の方法を教えてくれた。方法が定着すれば継続性が生まれ、外部から持ち込まれた開発プロジェクトよりも大きなメリットがある」と話し、現在は法制度として考え方を定着させることを試みている。行政とコミュニティが一体となって取り組む開発の仕組みができあがりつつある。
 日本から視察に訪れた人たちは「将来はインドネシアの方から地域開発について教えてもらうことになるでしょうね」と感想を語るという。
 CDプロジェクトは現在、スラウェシ六州の29の県・市を対象に展開している。地方分権を進め、地元の資源を生かし、人材を育て、文化を尊重したJICAの地域開発のモデルは、インドネシア全土に広めていく方針だ。
 1997―98年にインドネシアを襲った未曾有のアジア経済危機の際、農水産物が豊富だが工業化が遅れていたスラウェシ島は、ジャワ島に比べると打撃が少なかった。「遅れた東部インドネシア」開発の象徴として、豊かな島への期待は大きい。