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フィナーレでステージ前にみこしが集結し、盛り上がりは最高潮に達した |
十日午後に二日目の幕開けを宣言する開会式が開かれ、山田滝雄ASEAN(東南アジア諸国連合)大使と美智子夫人、ジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)の兵頭誠之理事長が山車に乗って登場した。
山田大使は「友好を深めるためには、市民一人一人の力が大切。みなさん一人一人が、ASEANの友好の中心であり、ブロックMがきょう、中心地だ」とイベントの一層の発展に期待を示した。
兵頭理事長は、「東日本大震災支援を行うことで、日本へ応援の気持ちが届くと思う。皆で縁日祭を楽しもう」と呼び掛けた。
九日の開会式には、山岸正祐駐ジャカルタ総領事、ジャカルタ特別州のスクスティ州知事補佐官(文化観光担当)、シャフルル・エフェンディ南ジャカルタ区長、国家体育委員会(KONI)南ジャカルタ支部の代表で、縁日祭実行委員会のインドネシア側代表のニザルマン・アミヌディン氏、メインスポンサーを務めるバンク・インターナショナル・インドネシア(BII)の只野宏シニアアドバイザーらが、鏡割りを行った。
十日夜には、一時雨が降り出したが、最後にはみこしがメインステージ前に集合。美しい花火が夜空を彩った。実行委員長の竹谷大世さんは祭りを終えて、「協力してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱい。みんなのやる気でここまで作ることができるのだと感じた。今度も改善しながらみんなでやっていきたい」と語った。 |
太鼓ばやしに屋台街/縁日祭で友好
日本へ応援メッセージも
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フィナーレでステージ前にみこしが集結し、盛り上がりは最高潮に達した |
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金魚すくいに夢中になるコスプレーヤー |
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短冊に被災地へのメッセージを書く少年 |
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ブロックM内の通りを屋台と見物客が埋め尽くした |
九日、十日に開かれたブロックM縁日祭。日本食料理店が並ぶ「リトル東京」は、縁日会場に様変わりした。会場を練り歩く神輿(みこし)、新しい山車(だし)。立ち並ぶ屋台からの威勢の良い声が多種多様な人々を呼び寄せた。会場では、法被、浴衣に身を包んだ在留邦人やコスプレをしたインドネシアの若者、家族連れが、一年に一度の縁日祭を存分に楽しんだ。
縁日祭の会場は熱気でいっぱいだった。「リトル東京」の上からは、強い日差しが差し込み、みんな汗だくだ。
たこ焼き、焼きそばの香ばしいにおいをかぎ、威勢の良い屋台からの呼び込みを聞けば、日本の縁日祭そのもの。一九七〇年代後半から日本食料理店が並ぶ日本人街という立地を生かすことで、日本文化ファンのみならず、多種多様な人が祭りの音とにおいに引き寄せられてきた。
ジャカルタ市民にすると街角の一角に突然現れた日本のお祭り。会場では手をつないだり、肩車をしたりして子どもを連れて出店を周る姿も多い。駆け足ではしゃぎ回る子どもたちも楽しそうだ。
山車や神輿が練り歩けば、軽妙な太鼓ばやしと「わっしょい」と威勢の良い掛け声に、ショッピングモールの買い物客も思わず顔を向ける。入場が無料であることも、祭りへ人を向かわせる一因になった。
大阪の会が用意した射的には行列。金魚すくいには、思案顔が目立つ。発達障害者生涯学習センター「マイルストーン」の手相占いや楽天の抽選付きゲームも注目を集めた。
コスプレーヤーもブロックMに彩りを添え、浴衣を着ての記念写真コーナーもあった。
東日本大震災向けの募金箱が各所に設置され、インドネシア日本同好会(KAJI)のチャリティーTシャツ販売や「うーまく・エイサー・しんか・インドネシア」の短冊のメッセージなど、各屋台で震災支援も行われた。
路上ではもちつきも行われ、道行く人がきねを懸命に振り下ろす。もちの代金五千ルピアは寄付金に。ジャカルタ祭りの会の赤井繁喜さんは「駐在していた日本人が十年後に帰ってきて、ブロックMがもっと良いところになっていたらうれしい」と話す。
九日午後のステージでは林延行さんが「ジャカルタ音頭」で盛り上げ、うーまくエイサーは、ステージ前の通りから列になって踊り、「土佐よさこいパレード」と競演した。
最終日の夜のステージは大江戸助六流太鼓の演奏で開幕。その後、盆踊りが始まった。「月が出た出たー」と夜のブロックMに炭坑節が響き、お客が飛び入りで参加しながら輪がだんだん大きくなる。よさこいソーランもあった。
インドネシア人大学生を中心とした日本語劇団「en塾」は、「東京ライフストーリー」を熱演。震災支援のオリジナル曲「桜よ」を披露した。
祭りのクライマックスは、雨にも負けず、ジャカルタ軽音部が演奏すると、左右から女神輿、男神輿が合流し、掛け声と歌が重なり合って盛り上がりは最高潮に達した。
日本料理店で働く娘から聞き、家族五人で来たアグンさん(四二)は屋台が並ぶ様子を「夜の市場みたいだね」と例えた。地元紙を読んで縁日祭を知ったアドゥリさん(五〇)は「以前はブロックMは安全じゃないと思っていたが、変わってきた。またイベントに来たい」と笑顔で語った。
石谷寿英さんと二日間司会を務めた吉原毬子アスマラさんは「これこそ町おこし。全部手作りで日本人の魂が詰まっているコンセプトに感動した」と強調した。 |
巨大な山車が登場 新しい風物詩に
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雨笠さん(左)と和太鼓部のメンバーら |
ブロックM縁日祭では、山車(だし)が初めて登場し、来場者の目をひきつけた。
山車の大きさは、高さ三・五メートル、長さ四メートル、幅二・五メートルの大きさで、たくさんの提灯がぶら下がっている。小さめの太鼓などを積んで、八人が乗ることができる。
昨年のブロックM縁日祭以降、ジャカルタ神輿連の雨笠俊夫さんなど有志が協力しあって、建造した。会場では、山車とともに、設計図や協力者の作業風景の写真が掲示された。
山車製造は、ナガ・マセルトラディタマ社(清水健二氏)、飾金具製造はコテラ・インドネシア社(小寺宣之氏)、メッキ処理はスンコート・インドネシア社(三島修一氏)、獅子彫刻はジュパラ・アンティクのアント氏が担当。支援者として、雨笠さん、磯貝守男さん、田中広志さん、小寺さんらが名を連ねた。
当日は、山車にジャカルタ日本人学校(JJS)和太鼓部の子どもたちが乗り、リズムの良い太鼓の音がブロックMに響き渡る中、山車がインドネシア人学生らに引かれて通りを練り歩いた。JJS小学部六年三組の鞠古百佳さん(一二)と松原彩音さん(一二)、六年一組の竹田美友さん(一二)は「緊張したけど、楽しかった」「楽しめました」と笑顔だった。
雨笠さんは「祭りっていうのは、参加してみないと分からない。自分で体験して熱くなれる。子どもたちも、初めて山車に乗って、ブロックMを回って、練習よりも太鼓の音が抜けていてとても良かった」と目を細める。「山車には、手伝ってくれた皆さんの名前を入れた提灯を飾った。山車とともにブロックMを周りながら『来年はどうしようかな』と考えているよ」と今後の意気込みを語った。
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