爆弾テロで激減したバリ島への観光客を誘致するため、イ・グデ・アルディカ文化観光担当国務相は、マレーシア、韓国を経由し、十五日から三日間、日本を訪問、川口順子外相、扇千景国土交通相らと会談する。年末年始のバリ島に一時的に舞い戻ったのは、バリを本当に愛する日本の若者たち。外貨獲得の重要な柱であるバリ観光を、今年の夏までに全面復興させようと日本の旅行業界やマスコミに働きかけ、バリ島の安全を訴える。出発を控えた十日、アルディカ国務相にバリ島観光について聞いた。
−今回の訪日の狙いは?
アルディカ国務相 川口さんや、扇さんらとお会いし、観光政策を通じ、日イ連帯を強化し、国際社会の平和に貢献したい。
バリ島の悲劇の直後、最初に使節団を派遣し、バリ観光への支援をいち早く表明してくれたのは日本の観光業界だった。彼らに感謝し、日本人ツーリストをもっとバリ島へ送り出すよう働きかける。
日本のメディアとも会い、実情を説明し、理解を求める。多くのジャーナリストをバリ島に招く。百聞は一見に如かずだ。バリ島を見てもらい、安全であることをまず知ってもらう。
観光が活発になれば、国家間の信頼が回復し、結果としてテロを封じ込めることができる。
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バリ観光について語るアルディカ国務相
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−観光客が一時的に戻ったが、回復の見通しは? 事件直後の緊急事態の時期、レバランを挟んだ年末までの回復の兆候期、年始から三月ごろまでのリハビリ期、四月から六月までの正常化の時期−の四つに分けて考えたい。
数字の上では、レバラン休暇で国内の客が回復し、クリスマスや年末には、日本人など外国人が復帰した。爆弾テロ事件以前は一日約五千五百人だった観光客が事件直後、二百−七百人に減り、十一月十五日の慰霊祭の後、良い兆しが見え始めた。入国者が出国者を上回るようになり、十二月は一日の入国者が千六百人前後。年末年始は五千人に接近。数は少ないが回復基調に向かった。
一月−三月はもともと端境期なので、この間を「リハビリ期」と見て航空会社やホテルが特別パッケージを実施、今回の訪日のようなキャンペーンを強化する。
六月−七月は、復興実現のための行動期間として、ホテルの収入が損益分岐点を少し超えるところまでこぎ着けたい。そして八月以降に全面復興を目指す。日イの官民協力で、この計画を早めることができる。
−キャンペーンをどう進めるのか? 今回訪問する日本、マレーシア、韓国のほか、シンガポール、台湾、上海、広東など近隣諸国に重点を置く。四年前に閉鎖した世界の七つの観光促進事務所のうち東京事務所の再開を準備しており、その前段として民間会社と契約、在日大使館が参加して、日本での宣伝を強化する。
−インドネシア観光の長期戦略は? 「地域社会に根付いたツーリズム」というのが私の構想だ。住民を豊かにし、自然環境を保護するエコツーリズムだ。
一例は、無限の海洋資源を利用することだ。ダイビング、クルージング、サーフィン、フィッシングなど観光客は三百六十五日楽しめる。マリンスポーツが好きな日本の若者グループをターゲットにし、海で泳いだり、食事をするだけでなく、インドネシア中の島や海岸でマリンスポーツを楽しんでもらう自然と親しむ観光だ。
−バリ観光の見直しは? 今回のバリ島の悲劇を逆手にとって、新たな展望を切り開く。日本など外国の専門家の協力を得て、バリ島の産業復興も含む見直しを行う。
バリには音楽や舞踊のほかに彫刻、繊維、染色のプロがいるので、日本の専門家の訓練を受け、日本人に受け入れられる付加価値の高い製品を造ることも可能だ。これまで考えたこともなかった創造性の高いバリの文化的産物を生み出す方法も探りたい。
古いマスタープランを見直し、バリ島民の利益も考慮した観光戦略を立て直すために、日本の専門家の知恵をぜひ借りたい。
−入国管理局が観光ビザの短縮を示唆しているが。 二カ月のツーリスト・ビザは続けたいが、旅行者の実態を見ると三十日以内の滞在が平均だ。それ以上必要なら、延長することも可能な制度が考えられる。
■イ・グデ・アルディカ文化観光担当国務相
1945年2月15日、バリ州シンガラジャ生まれ。バリ観光局で長く務めた後、96年から98年まで文化観光省観光局長。バンドン工科大学卒業後、英国、スイス、日本でホテル経営学を学ぶ。
「日本が素晴らしいのは伝統と近代を両立させていること。例えば、西欧式の近代的ホテルがある一方で旅館がある。インドネシアは、この2つをミックスさせている。外観はバリ式だが中は西欧式。インドネシアの多様な文化を大事にして、日本の旅館の発想を取り入れたい」と語る。