人口三百万人を超える国内第二の都市スラバヤ。天然の良港タンジュン・ペラック港を中心に、オランダ統治時代から貿易の中心として栄えた商業都市の各地には、アラブ人や中国人、スラバヤから目と鼻の先の距離にあるマドゥラ島からの移民が古くから住みつき、カンプンの路地や街角からは、多様な異郷の文化の香りが流れてくる。
| 「トコ・エミラテス」を経営するイエメン人2世のラティファンさん(右)
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| ドラゴンの修繕作業を行うカンさん
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ジャカルタでは近年すっかり目にすることのなくなったベチャに揺られ、気が付くと北スラバヤ区のアラブ人街に紛れ込んでいた。
十五世紀にジャワ島でイスラム教の布教活動を行ったスナン・アンペルが祭られているアンペル・モスクの周辺に、サウジアラビア、イエメン、イラクなどの移民が居住する。
■賑わうモスクの仲店
モスク前に連なる商店には、干し柿のような味のするクルマや、イスラム教徒の数珠タスベ、色鮮やかなサルン(腰巻き)やイスラム風のやかんが並び、国内各地から訪れたイスラム教徒で賑わう。東京・浅草の浅草寺の仲店といった風情だ。
モスク前の雑貨店「トコ・エミラテス」を経営するのは、イエメン人二世の美人姉妹、ラティファンさん(二六)とサミーラさん(二三)。
「アイル・ザムザム」と呼ばれる十リットル当たり三十万ルピアもする高価な水を販売していた。「イスラム教の聖地メディナから取り寄せた神聖な水。万病に効くので、買い手が絶えないわ」とラティファンさん。
■中国文化が花咲く
再びベチャに揺られ、プギラン川を越えると、至るところに中国寺院が目に付くようになる。
そのうちの一軒、カパサン通りに面したボエン・ビオ寺院の中に入ってみると、バロンサイ(獅子舞)を演じる楽団メンバー、カン・キアン・グアンさん(三四)が、公演で使用するドラゴンの修繕作業を行っていた。
タンジュン・ペラック港のコンテナ会社に勤めるカンさんは、仕事の傍ら仲間とともにバロンサイの練習に励み、華人の結婚式や誕生日などで依頼があれば、スラバヤの至る所で公演を行う。
だが、「至る所で」公演できるようになったのは、つい最近のことだ。
「スハルト政権時代、公演を依頼する招待状には、必ず警察の許可証が添付されていた。煩雑な手続きを終えても公演できるのは華人が集まる寺院内のみ。インドネシア人の目に触れるところで公演することは決して許されなかった」
当時は一年に一度しか公演できなかったが、スハルト政権崩壊後、急速な自由化が進み、今ではホテルやレストランのほか、インドネシア市民からの依頼も殺到し、週に一度の公演で大忙しだという。