−ジャワの王宮舞踊をジャカルタで紹介しようとなさるのは、どういう理由からでしょうか。
王が演出、娘2人が踊る
◆ジャワの王宮舞踊にはいろいろな哲学が込められている。シンボリックなメッセージとして、それを今の政治エリートに伝えたい。
「ブドヤ・サン・アムルワ・ブミ」(ハメンクブウォノ十世創作)は、マジャパヒト王国とトゥマペル王国の王女たちの伝説をベースに、私が創作した舞踊劇だ。父であるハメンクブウォノ九世に捧げた。
私の二人の娘が百十五人の踊り子をバックにして踊る。舞踊の中で、指導者は正しいことを話し、行動し、考える存在として描かれている。今日の政治指導者や政府高官が忘れてしまった献身的な騎士道精神が描かれている。しかし、現実には、そうした優れた指導者が少なくなってきている。
−演奏には王宮のガムランを使うと聞きましたが。
王家のガムラン使用
◆王家の家宝とでもいうべきキアイ・マドゥムルティと、キアイ・マドゥクスモのガムランを使用する。これらのガムランを、ジョクジャカルタの王宮の外へ運び出して演奏するのは、これが初めてだ。ガムランが出発する前に「スラマタン」と呼ばれる儀式を行い、ジャカルタに向かう道中の無事を祈願した。
対話を学んだ市民
−ジョクジャカルタは安全な街ですが、それはスルタンの力によるものとお考えですか。
◆いや、ジョクジャカルタの住民自身の力によるものだ。彼らは常に文化的対話を行っている。学園、文化都市として、人々がいろいろな地方から集まってくるので、人々は話し合うこと、受け入れ合うことを長年の経験から学んだ。
三十年前なら、ジョクジャカルタの娘はスマトラの男には、嫁に出せないといった雰囲気があったが、今は違う。文化的対話をずっと行ってきたからだ。
−いま、インドネシア全土で文化的対話は行われているのでしょうか。
民族の疑心暗鬼
◆一九四五年の独立から、インドネシアは「異なる文化を持つ者同士の団結である」という意識があった。インドネシア人は互いに異なる者同士であるから、対話の重要性を熟知していたはずだ。文化的な対話があれば、少数民族の文化もインドネシアの一つの個性になっていたはず。
しかし、スハルト政権時代に、政治と経済が優先されたことで、民族間に利害の対立が生まれてしまった。(ジャワ島から外島への)移民政策に見られるように、経済を優先し、文化を軽視した民族移動によって異なる民族の間に疑心暗鬼が起きた。
それが抗争に発展した。だから私は文化に関する対話が必要だと主張したい。
時間がかかる対話
−文化的対話を全国で起こす考えはありますか。
◆必要だと思う。しかし、広めるのには時間がかかる。人の出入りが激しいジョクジャカルタのようなケースはまれで、インドネシア全体では、まだまだ人の交流が足りない。
感情の問題も大きい。例えば、インドネシアで弱いと言えるものは通貨ルピアとインドネシア語だ。インドネシア語の語彙が少ないために、英語がどんどん入ってきている。まるで、英語に征服されているようだ。
征服される不安
同様なことがインドネシア内でも起きている。地方の人が、他の文化に征服されるのではないかと不安を感じている。そのような状況では、対話は難しい。
時間をかけ、「多様性の中の統一」を単なるスローガンでなく、インドネシアの本当の個性にするようにみんなで努力をしていきたいと思っている。
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