アルファベットの「K」の形に似たスラウェシ島(約22万7,000平方キロ)は、その複雑な地勢から、多様な産業、文化、宗教が共存する島として知られる。海洋民族としての誇りを綿々と引き継ぐマカッサル・ブギス族、険しい山岳地帯で死と向き合いながら生きるトラジャ族、そして異なる宗教の狭間で、必死に祈りを捧げるポソの住民たち。南スラウェシ州の州都マカッサルから、中部スラウェシ州パルへ抜ける「街道」を乗り合いバスで縦断した。スラウェシ街道を北へ。そこには、壮大な自然、人々の笑顔や苦悩があった。
ピニシ船が停泊する港で、元気に遊ぶブギス族の子供たち
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| 再建工事が進むスラウェシ通りの天后公
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東部インドネシア最大の都市、南スラウェシ州州都マカッサル。
古来、香辛料貿易の中継地として発展した港町は、現在も農林水産業の一大拠点であり、海洋民族のブギス人やマカッサル人、華人の活動で活況を呈している。一九九七年の通貨危機では、国内全体が経済破綻にあえぐ中、カカオ、コーヒー、ヤシなど豊富な農産物の輸出によって外貨獲得に貢献したことでも知られる。
伝統的なピニシ船が次から次へと水揚げに立ち寄る漁港、木材やカカオを積んだトラックが頻繁に行き交う大通り、マカッサル出身の実業家であるユスフ・カラ公共福祉担当調整相に関連した企業の看板も目立つ。
最大の繁華街は、マカッサル海峡に面した海岸通り周辺。スラウェシ通りには貴金属や時計を売る華人経営の商店が軒を連ねる。
通りを歩いてみると、街の活気を感じたが、多くの商店の二階部分の窓に、頑丈な鉄格子が覆われていることに気付いた。
■「心の奥底にある怒り」
一九九七年九月、マカッサルに激しい暴動の嵐が吹き荒れた。同月十五日夜、精神障害の華人系青年が、モスクから家に帰る途中のマカッサル人の女児を刺殺したことが発端だった。
事件は瞬く間に市内のイスラム教徒の間に流布し、数日間にわたって華人系住民の民家や商店への投石、放火などが続いた。
鉄格子は、暴動の再発に備えた華人の防衛策なのだ。
スラウェシ通りにある寺院・関公廟の管理者の一人、馮家俊(フォン・ジアチュン、六七)さん。暴動の二週間、恐怖で自宅を出ることができなかった。
寺は無事だったが、市内最古の天后公に火が放たれた。全焼だった。屈辱感が胸を覆った。
「今でも心の奥底に怒りはある。しかし決して表には出さない。少数派のわれわれが、怒りをあらわにしたところで報われることはないから」とフォンさんは静かに語る。
そのフォンさんにとっての朗報は、天后公の再建工事が始まったことだ。現場を訪れてみると、マカッサルやブギス人の労働者たちが基礎工事に精を出していた。