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2002年8月30日 じゃかるた新聞掲載

スカルノ家が政治に復帰 ラフマワティさんが結党
 父親譲りの「革命」宣言 メガワティ政権に挑戦状
 スカルノ一家で最も政治好きといわれてきたスカルノ元大統領の二女ラフマワティさん(五二)が二十九日、姉のメガワティ大統領に対抗し、野党「先駆党」を旗揚げした。ラフマワティさんは、昨年、崩壊寸前のアブドゥルラフマン前大統領に接近し、大統領の座を狙う姉(当時、副大統領)の野心を打ち砕こうとした人物。新党結成で、長男で実業家のグントゥール氏を除き、長女メガワティ、二女ラフマワティ、三女スクマワティ、二男グルの四氏が、政治の舞台に躍り出た。スハルト将軍に政権を奪われ、スカルノ大統領が失意のうちに死去してから三十二年。再来年の大統領選挙と総選挙を目指す、スカルノ二世たちの政治復帰は、政治ゴシップが大好きな国民の格好の話題になりそうだ。

 東ジャカルタのアスラマ・ハジ・ポンドック・グデで行われた結党式には、約三千人の党員や支持者が集まった。ラフマワティさんの盟友アブドゥルラフマン前大統領や、メガワティ大統領とたもとを分かちブンカルノ国民党を設立したエロス・ジャロット氏らも駆け付けた。
「先駆党」結党式で「ムルデカ」を連呼するラフマワティさん
「先駆党」結党式で「ムルデカ」を連呼するラフマワティさん
スカルノ家の子供の現在
スカルノ家の子供の現在
 「独立の父」の夢をもう一度とばかり、「革命はまだ終わってない」「ムルデカ!(独立)」などとスカルノ初代大統領が好んで使ったフレーズを連呼するラフマワティさんに、年配の支持者が熱烈な声援と拍手で応えた。
 演説で「メガワティ氏は一般大衆のことを考えているのか。このことを、彼女と議論したい」と姉に挑戦状を突きつけた。
 ラフマワティさんとメガワティ大統領は、様々な点で対照的だと言われる。目鼻立ちに父親の面影が残り、積極的な性格のラフマワティさんに対し、メガワティ大統領は母親(故ファトマワティ)似で、おとなしい。
 主婦だったメガワティ氏が、一九八〇年代後半、スハルト政権の影響下にあった旧民主党に入党した際、「スカルノ家の名を汚す」と強く反対した。
 結党式後の記者会見でも、「メガワティ氏は、父の教え(スカルノイズム)を葬り去ろうとしている」と非難した。
 もともとスカルノ元大統領は、ラフマワティさんの政治家としての才能に期待し、外遊にも頻繁に連れて行った。ラフマワティさん自身も、子供の頃から政治的野心が強かったとされる。
 ラフマワティさんは、政権の座を追われ病床にあったスカルノ元大統領の写真をあえて外国通信社に流し、スハルト政権に外圧をかけようするなど政治戦略の知恵もある。
 しかし、「民主化の象徴」として国民の期待を集め、大統領に就任したのは、皮肉なことに政治には不向きとみられていた姉のメガワティ氏だった。
 メガワティ大統領との関係が悪いのは、「ラフマワティさんが姉にジェラシーを感じているから」とささやかれている。
 長男のグントゥールさんは、父親が死去した翌年の一九七一年、総選挙の演説で「国民党のために闘う。ナショナリストこそが、野党をまとめることができる」と、長期政権を目指していた当時のスハルト大統領に挑戦。軍の諜報機関の圧力を受けたことがきっかけで、以後、政治から手を引いた。
 しかし、スカルノの亡霊に悩まされたスハルト大統領は、スカルノ兄姉の監視を強化。スカルノ一家の政治復帰は難しいと国民があきらめた時期もあった。
 ところが、末っ子でアーティストとしても有名なグル氏は、芸能活動を続けて知名度を維持し、メガワティ氏と行動を共にして、国会議員となった。三女スクマワティさんも、大衆マルハエン国民党を率いている。


2002年8月24日 じゃかるた新聞掲載

200党を突破 多党化現象さらに進む
 2004年国政選挙向け 新党が続々と誕生
 初の大統領直接選挙が実施される次期国政選挙を二〇〇四年に控え、七月末までに前回の総選挙を大きく上回る二百四の政党が、法務・人権省に登録していることが分かった。民主化で政治参加の機会が増えたことに加え、山積する難題をそっちのけで利権争いに走る既存政党への不満や、政党内の派閥争いによる分裂・離散が背景にある。飛び抜けた政治指導者がいないため、当分の間、多党化現象が続くのは避けられないようだ。 
 スハルト政権崩壊後、初の総選挙が行われた一九九九年には、民主化の流れとともに政党設立が自由化され、新党が続々と誕生、百四十八党が登録した。現在、国会議席を持つ二十一党は別として、ほとんどは名前があるだけで、休眠中だ。
 総選挙の後、二〇〇〇年に五党、二〇〇一年に十五党、二〇〇二年に入って三十六党が新たに法務・人権省に届け出た。七月末で合計二百四党。
 最も新しい政党は七月二十九日に登録された革新慈愛民主党。党名で見ると、シリワンギ(パジャジャラン王朝の王の名)党、急進イスラム党、ヤング・ジェネレーション党、民族の子党などユニークなものが目に付く。クリスチャン党、カトリック党、イスラム党といった宗教名をそのまま冠した政党もある。
 今月末に旗揚げ予定のメガワティ大統領の妹ラフマワティ氏の新党「先駆者党」もすでに登録を済ませた。
 法務・人権省によると、政党登録は年末で打ち切る予定だが、年内にさらに政党数が増えることが予想される。
 新党も泡まつ政党ばかりではない。リアス・ラシッド元地方自治担当国務相らが旗揚げした民族民主統一党や文化人のエロス・ジャロット氏のブンカルノ国民党は、確固たる組織基盤を持ち、有力とみられている。

■選挙参加は30党程度か

 政党登録は、パンチャシラ(国家五原則)に反しない綱領に五十人以上の署名を添えて提出すればいいだけの簡単なものだが、国政選挙参加には一定の条件を満たすことが必要となる。
 年内の成立を目指し国会で審議中の総選挙法改正案では、全国の州・市・県の三分の二以上に支部を置き、各支部は千人以上の党員で構成すると定めている。
 また、一九九九年の総選挙に参加した政党も、得票率二%か国会議席十以上を獲得できなかった場合、次期選挙への参加は認められない。この規則に従えば、参加資格があるのは四十八党のうち六党だけだが、総選挙委員会は、前回選挙の得票率に基づく足切りは次期選挙では行わず、二〇〇九年の国政選挙まで延期することを検討している。
 ムルヨノ・クスマ同委委員は、総選挙参加の条件などから、「二〇〇四年選挙に参加するのは、前回より少ない三十党程度」との見通しを示した。

■「自分が一番」で党乱立

 二〇〇四年には、国会の任命議席が廃止されるほか、全体の議席数が増加する。国会議席を持つ既存の有力政党を軸に、再び、多数政党で選挙戦を争うことになりそうだ。
 インドネシアの政党は、闘争民主党を最有力とするナショナリスト政党と、開発統一党などのイスラム政党に二分されるが、意見対立や主導権争いが原因で、内部分裂を繰り返している。闘争民主党からは、エロス氏のブンカルノ国民党とディムヤティ・ハルトノ元議員の祖国党、開発統一党からは改革開発統一党が分離した。
 大統領制に基づく議会運営の観点から、多数政党の乱立は好ましくないとする見方が政府や主要政党関係者には多いが、過渡期にあるインドネシアでは避けられない現象ともいえる。
 政治評論家のアルビ・サニット氏は、政党乱立について「第一に、既存政党の信用が乏しい。絶対的な指導者がいないことも原因だ。だれもが、自分の方が優れていると思っているため、次々と政党を作る」と指摘している。






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