スカルノ一家で最も政治好きといわれてきたスカルノ元大統領の二女ラフマワティさん(五二)が二十九日、姉のメガワティ大統領に対抗し、野党「先駆党」を旗揚げした。ラフマワティさんは、昨年、崩壊寸前のアブドゥルラフマン前大統領に接近し、大統領の座を狙う姉(当時、副大統領)の野心を打ち砕こうとした人物。新党結成で、長男で実業家のグントゥール氏を除き、長女メガワティ、二女ラフマワティ、三女スクマワティ、二男グルの四氏が、政治の舞台に躍り出た。スハルト将軍に政権を奪われ、スカルノ大統領が失意のうちに死去してから三十二年。再来年の大統領選挙と総選挙を目指す、スカルノ二世たちの政治復帰は、政治ゴシップが大好きな国民の格好の話題になりそうだ。
東ジャカルタのアスラマ・ハジ・ポンドック・グデで行われた結党式には、約三千人の党員や支持者が集まった。ラフマワティさんの盟友アブドゥルラフマン前大統領や、メガワティ大統領とたもとを分かちブンカルノ国民党を設立したエロス・ジャロット氏らも駆け付けた。
| 「先駆党」結党式で「ムルデカ」を連呼するラフマワティさん
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| スカルノ家の子供の現在
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「独立の父」の夢をもう一度とばかり、「革命はまだ終わってない」「ムルデカ!(独立)」などとスカルノ初代大統領が好んで使ったフレーズを連呼するラフマワティさんに、年配の支持者が熱烈な声援と拍手で応えた。
演説で「メガワティ氏は一般大衆のことを考えているのか。このことを、彼女と議論したい」と姉に挑戦状を突きつけた。
ラフマワティさんとメガワティ大統領は、様々な点で対照的だと言われる。目鼻立ちに父親の面影が残り、積極的な性格のラフマワティさんに対し、メガワティ大統領は母親(故ファトマワティ)似で、おとなしい。
主婦だったメガワティ氏が、一九八〇年代後半、スハルト政権の影響下にあった旧民主党に入党した際、「スカルノ家の名を汚す」と強く反対した。
結党式後の記者会見でも、「メガワティ氏は、父の教え(スカルノイズム)を葬り去ろうとしている」と非難した。
もともとスカルノ元大統領は、ラフマワティさんの政治家としての才能に期待し、外遊にも頻繁に連れて行った。ラフマワティさん自身も、子供の頃から政治的野心が強かったとされる。
ラフマワティさんは、政権の座を追われ病床にあったスカルノ元大統領の写真をあえて外国通信社に流し、スハルト政権に外圧をかけようするなど政治戦略の知恵もある。
しかし、「民主化の象徴」として国民の期待を集め、大統領に就任したのは、皮肉なことに政治には不向きとみられていた姉のメガワティ氏だった。
メガワティ大統領との関係が悪いのは、「ラフマワティさんが姉にジェラシーを感じているから」とささやかれている。
長男のグントゥールさんは、父親が死去した翌年の一九七一年、総選挙の演説で「国民党のために闘う。ナショナリストこそが、野党をまとめることができる」と、長期政権を目指していた当時のスハルト大統領に挑戦。軍の諜報機関の圧力を受けたことがきっかけで、以後、政治から手を引いた。
しかし、スカルノの亡霊に悩まされたスハルト大統領は、スカルノ兄姉の監視を強化。スカルノ一家の政治復帰は難しいと国民があきらめた時期もあった。
ところが、末っ子でアーティストとしても有名なグル氏は、芸能活動を続けて知名度を維持し、メガワティ氏と行動を共にして、国会議員となった。三女スクマワティさんも、大衆マルハエン国民党を率いている。