「出るも地獄、残るも地獄。同じ地獄なら思い切って出てみればいい。日本の製造業は、コスト高から、日本国内での操業がもう割に合わないが、海外に生産拠点を移転しても、労使問題、文化摩擦などの苦労がある。同じ苦労するなら、海外で飛躍のチャンスつかむべきだ」
(日本の中小メーカーの社長の話)
未曾有(みぞう)のアジア通貨危機をくぐり抜け、インドネシアを拠点に活動を続ける日本の企業の中で、駐在員が一−二人といった部品会社などの中小企業が、しっかりと根を張り、新たなチャンスを求める動きが出ている。一時は停滞したジャボタベック(ジャカルタ−ボゴール−タンゲラン−ブカシ)と呼ばれるジャカルタ周辺の工業地帯も、日本や周辺国の中小企業の進出で、次第ににぎやかさを取り戻してきた。(2001年1月31日じゃかるた新聞掲載)
ジャカルタ・ジャパンクラブによると、二〇〇一年一月現在の法人会員数は大手企業を中心に三百六十三社に増えた。中小企業を含めたジャカルタ地区の日系企業の総数は、すでに千を超えるともいわれ、その裾野は徐々に広がっているようだ。
こうした中小企業向けに、労使、法律、文化に関する情報の提供、問題が発生した場合の相談を行う「駆け込み寺」として、四年前にジャカルタに店開きした全国商工会連合会・海外事務所(スディルマン通り・スミトマス1ビル6階、電話021・252・2560)に、最近、日本からの訪問客が目立ち始めた。
同海外事務所は一九九六年十一月、大企業と一緒に下請けとして海外に進出する中小企業の増加を背景に、ジャカルタに第一号として開設された。
園田稔所長は「インドネシアの大きさ、勢いを考慮してジャカルタを選んだ。ジャカルタから東南アジアに進出する企業をサポートしている。シンガポールという案もあったが、商工会の会員が進出する場所ではない」と語った。
「人とつき合うのが商売」と語る園田所長(右)
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同海外事務所の目的について「税務や法務などの情報提供はもちろんだが、コミュニティーの橋渡しになっていきたい。『何か情報ない?』と電話していただいても構わないし、サロンとして、息抜きに来てくれてもいい。日本人駐在員が一人しかいない会社では、簡単に相談できない場合がある。そんな時、気楽に声をかけてほしい。私で分からないことでも、別の人を紹介できる」と説明した。
園田所長のインドネシアへの思い入れは強い。「インドネシアには、頑張っている中小企業の経営者がたくさんいる。奮闘ぶりを取材して、『商工会』という機関紙に掲載している。日本の企業家がインドネシアに目を向けるような情報をどんどん紹介していきたい。それがこの事務所の使命の一つだ」と述べた。
全国商工会連合会・海外事務所には多くの人が訪れる。松山で高級事務機の部品製造を営む亀田正さん(五〇)は二十九日、「インドネシアで商売がしたいが、相談に乗ってくれ」と同事務所を訪れた。五十歳を迎え、何か新しいことをしたいと感じていたところ、ジャカルタに旅行に来て二日目、ピンとくるものがあったという。
「商売になるか分からないけど、ちょっとしたアイディアがわいた。この事務所を訪れれば、希望が持てるかもと思って来てみた。すみません、忙しいところを」と恐縮する亀田さん。
「どうぞ」と亀田さんを部屋に招き入れた園田さんは「この事務所はいわば『駆け込み寺』です。亀田さんのような、バイタリティーあふれる人は大歓迎。でも、正攻法で始めようとすると亀田さんのアイデアはちょっと難しそう。法律上の例外規定を探す必要があります」と法律の解説書を取り出して説明した。
園田所長は「ふるさとにこだわらず、世界市民として腹をくくっている人は話していて楽しい。こっちまで元気づけられる」と亀田さんにエールを送った。
全国商工会連合会は、日本全国に二千八百六ある市町村商工会を統括する経済産業省(旧通産省)の外郭団体。日本の中小企業基本法で定められた中小企業を対象としている。
同法による中小企業の定義は、製造業の場合、資本金三億円以下または従業員三百人以下、サービス業の場合、資本金五千万円または従業員百人以下と規定されている。町村レベルの八百屋やクリーニングなどもメンバーに入っているという。