国会への法案提出から二年半が経ち、早期可決を望む声が高まっていた労働保護開発法案が二十五日、国会本会議で、ようやく可決された。法案は大統領の署名を経て、近く施行される。来年の総選挙を控え、法案承認がさらに延期されることを懸念し、早期可決を急ぐ政府の方針に労使ともに反発、国会を舞台に最後まで協議が続けられた。一部の労組は法案可決に反対し、国会前でデモを展開、治安部隊との小競り合いで数人が重軽傷を負った。
国会本会議は、本会議を傍聴していた経営者側から、退職金の上限について、労組側との間で再協議を行いたいとの意見が出たことから、二度にわたり中断された。
国会は、労使間で主張の食い違いがみられた数項目について、労相、インドネシア商工会議所(KADIN)、インドネシア経営者協会(APINDO)と労組などを交え、再び協議した。非公開の協議後、国会全会派が合意、正式に承認された。
労働法特別委員会のスルヤ・チャンドラ委員長は、退職金支払いに関する一五六条について、「勤続八年の従業員に対し、九カ月分を上限とすることで労使ともに同意した」と明らかにした。
■経営者「労働省が改変」
国会可決後、ヤコブ・ヌワウェア労相は「労働法の可決は、経営者と労働者の双方にとって最も良い選択肢だ。国会特別委員会と政府が最大限に両者の主張を考慮した結果、生まれた法律だ」と賞賛したが、労使ともに法案の早期可決を急ぐ政府が、これまでに行ってきた非公式の三者協議の結果を無視したものだとして、政府と国会を非難している。
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労働保護法に抗議し国会正門突入を図る労働者
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APINDOのアントン・スピット会長は、メトロTVのインタビューに答え、「これまでにとてつもない努力をし続けてきた協議で、労働者側と同じ認識に至った項目が、労働省によって変えられている」とヌワウェア労相を非難。
以前から法案の廃案を求めていたインドネシア闘争労働組合戦線(FNPBI)のディタ・インダ・サリ委員長も「一部の労組しか協議に参加していない。さらに協議に参加した労組の支部会員も反対デモに加わるなど、ごく一部の上層部だけが決定していることの現れだ」と述べ、法案策定プロセスにおける透明性の欠如を指摘した。
■残る争議解決法
労働開発保護法案は二〇〇〇年六月に国会に提出されたが、労使双方の主張が大きくかけ離れていたことから審議が難航、国会可決が大幅にずれ込んでいた。
インドネシアの労働関連法は、オランダ統治時代やスカルノ政権下で制定された法律などが使用されていたが、社会情勢の変化を考慮し、政府は一九九〇年代後半になり、それまでの法律の整理に着手した。
労働に関する法律一九九七年第二五号を成立させたが、各界から批判の声が上がり、実施を数回にわたって延期、それに代わる法案の審議を進めていた。
労働関連法としては、労働組合に関する法律二〇〇〇年第二一号が、二〇〇〇年八月に施行。労働争議解決法案は現在も国会審議中で、ヌワウェア労相は四月にも可決に持ち込みたいとしている。