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[写真グラフ] 2001年1月4日本紙掲載
インドネシアの生活を活写
永田さんの写真カレンダー
詩情あふれる作品が人気
二十一世紀の趣味を写真に賭けた人がいる。兼房株式会社(愛知県大口町)の現地法人カネフサ・インドネシア社長の永田貢さん(五七)だ。六年前、ジャカルタに赴任し、通貨危機を乗り越えて会社の経営も順調。若いときからの趣味だった写真のターゲットを大きく広げ、仕事の合間に撮影したインドネシアの風俗、生活、人物、景色は数百枚に上る。そのうちの傑作を西暦二○○一年の会社のカレンダーに採用したら、たちまち、引っ張りだこになった。なぜだろう。過去一年間、永田さんが撮影したインドネシアの各地の写真を、逐次、じゃかるた新聞の紙面で紹介していく。(2001年1月4日じゃかるた新聞掲載)
リンゴ、ミカンをぎっしり詰めた供物を頭に載せ、ヒンドゥー寺院に向かう女たちの列
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評判のカレンダーをめくると、最初の作品(1月)は、ウブド郊外の祭りの行列だった。
着飾った数十人の女性たちが、頭の上にリンゴやミカンなどの果物をぎっしり詰めたバンテン・パジェガンと呼ばれるお供え物を載せ、近くのお寺に向かう光景だ。
永田さんが日本からの客を案内し、芸術村のウブドへ向かう途中、車を止めてシャッターを切った。逆光だったけれど、チャンスはその瞬間しかない。
永田さんに気づいた女性がほほえんでいる。撮影のタイミングに配慮しているので、カメラを向けてトラブルになったことはない。インドネシアでは、だれもが親しみを込めて反応してくれるのがうれしい。
「人々の暮らしや表情を撮り続けたい。自然とそんな気持ちになりました」と永田さん。
人々の素顔に感動
赴任する前、ファミリー・カメラマンだった永田さんは百六十人を超えるインドネシアの若い従業員を指導しながら、インドネシアの歴史や文化への理解を深めた。景色より人々の生活にひかれるようになったのも、現地と一体になった仕事の必要性を感じたからだ。
二月の写真は、ジャカルタ・メンテンのバリ通りの果物屋の少女。三月はホテル・サヒッドジャヤ裏の広場のベモ(ミゼット)。四月はロンボク島の牧場の少年たち。五月はアニエール海岸のバナナの店。六月はスラバヤの果物店。七月はバリ島の物売り−−と続く。
地方出張がチャンス
ライステラスで働く農民
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永田さんは、仕事柄、スラウェシやカリマンタン島の人里離れた合板工場を訪れることが多い。インドネシアで最も重要な資源である木材に、付加価値を付ける木材に合板刃物を生産し、地方の工場に納めているからだ。オートバイで山道を登り、山岳民族の水浴シーンをカメラに収めたこともある。
ジャカルタしか知らない駐在員から「インドネシアにこんな素朴な光景があるんですか。よく、こんな田舎まで行きましたね」と言われることが多い。
この永田カレンダーを制作したのは二○○○年版からで、今回で二度目だ。写真の趣味を、会社の宣伝用カレンダーに活かすことを思いついたのは、ふとした観察がきっかけだった。
愛情こもった写真館
ヒンドゥー寺院に向かう少女
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一九八六年に操業開始以来、製作会社に任せ、お仕着せのデザインを使用してきた。だが、どこの会社も似たり寄ったり。配ったカレンダーが、ほとんど利用されていない。「それなら手作りはどうか」と思いついた。
インドネシアの人々の生活を、良い画質の写真に仕上げ、壁掛けカレンダーとして紹介する。インドネシアへの愛情がこもった写真展のようなカレンダーが出来上がった。
「お得意先の工場や会社が、壁にかけてくれるようになりました。日本の駐在員の方々にも好評で、会社まで取りに来る人もいました」
その理由は、意外なことばかり。まず、インドネシア人も、地方の人々の生活についてあまり知らない。既製のカレンダーでインドネシアを、きちんと紹介した写真は皆無なので、永田カレンダーは、インドネシア人の企業家から引っ張りだこになった。
留守家族にも人気
日系企業の駐在員にとっても同じで、インドネシア生活誌の写真を事務所に掲げたいという希望が多かった。「東京の本社に送りたい」「留守家族に届けたい」という希望もあった。人々の写真が好評な上に、インドネシアの国民の休日が記入されているカレンダーは、本社のインドネシア担当者にはむろん、留守家族にとっても便利だというわけだ。
永田さんのカメラは、いま小型カメラ一台のほか、キャノンの高級機種のEOSと三五−三五○ミリの望遠が一本だけ。一九九八年五月暴動の際、六台のカメラをスーツケースに詰めて日本へ避難したが、あまりの重さに苦労した。それ以来、二台だけを愛用している。
いずれは写真集に
フィルムはリバーサルを使っているので一本五万ルピア。数日間の出張の旅で十本ぐらい撮る。費用は現像、焼き付けも含め一度に五十万ルピアほど。日本だと数倍はかかるという。
クバヨランバルの自宅にある膨大なアルバムを眺めながら、永田さんは「人々の表情がうまく撮れたとき、とてもうれしいです。いずれ一冊の写真集にまとめてみたい」と語っている。
タナ・ロットの海に沈む夕日
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