ジャカルタの歓楽街を襲撃する暴力集団として恐れられていたイスラム擁護戦線(FPI)のハビブ・リジック・シハッブ代表は、このほど、組織を立て直し、五カ月ぶりに活動を再開すると明らかにした。昨年十月十二日のバリ爆弾テロ事件の直後、治安当局の圧力で活動を一時停止していたが、新隊員をリクルートし、イスラムに反する道徳的退廃を社会から一掃する路線を強化、歓楽街の襲撃を再開すると示唆した。
シハッブ代表は「過去四年間の活動を振り返り、指導部の強化と組織の引き締めを行った。これまで軍やビジネス関係者が介入したことが弱点だった。バリ事件の後、実動部隊を一時凍結したが、優れた隊員を募集し、組織を立て直した。(米国のイラク攻撃など)国際情勢とは関係ない」と語った。
同代表は(1)隊員が恐喝を働くなどヤクザ集団化していた点も反省し、隊員の資格を厳しくし、訓練を強化し、本来のモラル回復運動に戻る(2)しかし、売春、麻薬、賭博の温床となる歓楽街を攻撃するこれまでの路線は変えない−などと述べ、歓楽街の監視を強化するとしている。
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イスラム過激派指導者バアシル氏の逮捕に抗議して演説するハビブ・リジック・シハッブFPI代表
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二月末の一週間、中央ジャカルタのタナアバンに近いFPIの本部を訪れ、採用された新しい隊員は八十八人。ディスコを攻撃した際、経営者を恐喝した四人の幹部を脱退させたという。
イスラム擁護戦線は、ジャカルタ暴動を経てスハルト政権が崩壊し、首都の治安が極端に悪化した一九九八年十一月、当時の国会や政府への過激な学生デモや、翌年の総選挙の治安対策の補助機関として国軍・警察が組織した自警団(パム・スワカルサ)の一つのグループとして発足。自警団の創設には、当時のウィラント国軍司令官、ジャジャ・スパルマン陸軍ジャカルタ軍管区司令官、ヌグロホ・ジャユスマン警視総監らがかかわったといわれる。
当初は、治安当局をバックに、学生デモや一般市民を挑発し、騒乱状態を誘導するエージェント的な役割を演じたが、過去四年半の間に、イスラムのモラル再構築を掲げ、コタの華人経営のディスコ、マッサージ・ハウス、カラオケ、賭博場、ビリヤード、ゲームセンター、ダンスホールなど風俗営業の拠点を襲撃したほか、ブロックMの日系カラオケ店やナイトクラブをターゲットにしたこともある。
白装束でトラックに乗り込み、「イスラムの戒律を順守せよ」と叫び店を破壊、金品を略奪する暴力行為を、警察はほとんど黙認してきた。
断食月や年末に集中する、こうした歓楽街の襲撃だけでなく、FPIは政治運動にも関与し、マルク紛争では「聖戦」を叫んでイスラム派の暴力に加担し、憲法に「イスラム法」を挿入するデモ、カトリック教会の布教攻撃、パレスチナ紛争をめぐる反米デモ、芸術大学襲撃など多方面の活動のほか、特に、一昨年の九・一一米国攻撃テロ以降は、米国のアフガン攻撃に抗議する米国大使館デモの中心的な存在だった。
バリ島爆弾テロ事件の直後、マルク紛争に介入した「聖戦部隊」(ラスカル・ジハード)が、当局に解散させられたのに続き、FPIも活動を停止していた。
最近は、来年の国政選挙を控え、組織のトップが反メガワティ派の政治家やイスラム団体が旗揚げした政治組織「貧困民衆信託戦線」(アンペラ)に参加するなど、新たな政治活動を活発化させている。
FPI本部では、組織の名前を付けた爪切り、メモ帳、バッジなどFPIグッズを売り、講話活動でカンパを募るなど浄財を集めて活動資金にすると宣伝し始めたが、多数の隊員を抱える組織運営の資金源はなぞに包まれている。
首都ジャカルタの治安警備の補助機関として治安当局が育てた組織が、ヤクザ集団ともいえる過激な政治組織に変身してきた背景には、首都の治安維持を担保にとる治安当局が、時の政権の権力維持を脅かす道具として、FPIなどの暴力組織が、常に、便利な存在になっているためだ。