二月中旬に公開、今でも映画館では行列が出来るほど大人気の「チンタ(愛)に何があったのか?」(ルディ・スジャルウォ監督)。芸術的作品として内外で高い評価を得た「囁く砂」とはうってかわり、高校生の恋愛というシンプルなテーマに取り組み、活発で自信家ながら無防備で繊細と、どこにでもいるような女子高生チンタを好演した主演のディアン・サストロワルドヨさん(19)に話を聞いた。
|
映画への思い入れを熱く語るディアンさん
|
−「チンタに何があったのか?」が大人気です。どういうお気持ちですか。
◆ディアンさん とてもうれしいです。この作品を観て、例えば本を読むとか、何かを学んでくれればと思っています。若い人は本を読むより、テレビを観たり、マンガを読んだりするのが好きですから。
詩についても同じです。詩は古いものだと受け止められていますが、この作品を通じ、若い人たちが詩に興味を持ってくれればと思っています。
*ディアンさんは現在、インドネシア大学文学部で哲学を専攻している。法学部だったのを、わざわざ転部して、哲学学科に入り直した変わりダネだ。
−どうして哲学を専攻したのですか。
◆母が本好きで、小さいころから本に囲まれていました。最初は強制的に読まされましたが、そのうち本を読むのが好きになりました。気付いてみると、読んでいた本の多くが哲学についてのものだったのです。
法律を勉強していて、大学自体はとても気に入っていました。そして、新しく哲学学科が出来ると聞いたので、転部して、哲学学科に入りました。実際勉強してみて、法律にはうそが多く、興味が持てなかったからです。
−ABG(Anak Baru Gedeの略=ティーンエージャーの意)について、どう思いますか。
◆何も考えずに、流行ばかり追いかけているとか、昔からネガティブなイメージがありますが、勉強をする、洪水があったら支援をする、政治について考えるなど、前向きなことを、かっこいいと感じるようになればいいなと思います。
幸い、今の若い人たちの中では、私やニコ(「愛に何があったのか?」で共演したニコラス・サプトラ)みたいになりたいという人もいると聞きます。そういう若者たちに、私の考えているようなことが分かってもらえればと思います。
*その自由奔放なスタイルや、ドラマには出演しないと断言していることから、一部ではディアンさんに対する風当たりも強い。「どうして映画にこだわるのか」について熱く語る彼女から、彼女の信念が浮かび上がってくる。
−三作立て続けに主演し、演技の評価も高いですが、ドラマに出ないのはどうしてですか。
◆実際のところ、私は、インドネシアでは「(ドラマに出ないから)有名じゃない」とか「生意気だ」などと言われています。
けれど、ドラマでは毎日が撮影で、過密スケジュールが続きます。私は学校にも行っていますし、仕事と勉強が両立できなくなるのを心配しているからです。
正直に言うならば、ドラマでいい作品だと思うことはめったにありません。ギャラは高いですが、好きでなければ、わざわざ出る必要はないでしょう。
多くのインドネシア人はまだ、ドラマと映画の違いを理解していないようにみえます。
映画は多額の費用をかけるので、製作者もより真剣ですし、いいストーリーであることが絶対条件です。「チンタに何があったのか?」も、何度も手直しをし、ストーリーの完成まで、二年間かかりました。
また、映画というのは、観客に何かを伝えるべきものであると思っています。この映画では「本を読もう」とか「アイデンティティーを持とう」とか、とてもシンプルなものです。
私の夢は、例えば「汚職をなくそう」とか「自分たちが誇れる民族になろう」とか、映画を通じて、より前向きなメッセ―ジを伝えていくことです。インドネシアでは、日本と違い、「常に前向きに努力する」という気持ちがまだまだ育まれていないですから。
−本作でも、愛が描かれています。どうしてその要素を取り入れたのですか。
◆愛をテーマにすれば、若い人たちが一番、関心を持ってくれるからです。
実は、最近のインドネシア映画で、愛について描いたものはあまりありません。高校生ぐらいの若者の恋愛を描いた作品となると、これが初めてと言ってもいいのでは。
−意地悪な質問ですが、本作はドラマのようだとの評価もあります。あなたにとって、この作品とドラマの違いは何ですか。
◆違いは明らかだと思います。映像面では、カメラやライティングなどの技術による表現力。さらに重要なのは、映画では、観客が大画面に二時間集中して、鑑賞できるよう、作る側はとてつもない努力を要することです。
ドラマでは、コマーシャルもあり、ダラダラと話が続くので、つい間延びしてしまいがちです。
映画では、いろいろなエッセンスを短時間に凝縮することで観客の感情をコントロールし、何かを学び取ってもらわなくてはなりません。
−将来の目標は。
◆本当は映画監督かカメラマンになりたかったのですが、演技をさせる映画監督でなく、演技をする方になってしまいました。今は演技も大好きですけど。
年をとったら、プロデューサーになって、立派な作品に資金を提供する側になりたいと考えています。その意味でも今は映画について、学ぶ時期であるとも言えるでしょう。
*今、一番の注目株として、マスメディアの取材攻勢に遭う毎日のディアンさん。地元記者のインタビューでは、ゴシップについてや「あなたはこれまでどんな映画に出演したの」など初歩的な質問も多く、インドネシアのメディアがまだ、それほど成熟していないと嘆く。
その一方で、「日本にはいい美容整形外科があるのを雑誌で見て、まつげの植毛をしようとお金を貯めたこともあるんですよ」と屈託のない笑顔で語り、十九歳の女の子らしい一面ものぞかせる。
そんな彼女の根底に流れるのは、常に前向きに成長していく気持ちを持つこと。まだ若いながらも、自分の置かれた場所をしっかりと認識しており、今後のインドネシアの映画界を引っ張っていく存在となることは間違いないだろう。
|
公開中の主演作の看板を前にするディアンさん
|
■「チンタに何があったのか?」
仲良し五人組の一人、快活な女子高生チンタは、学校では壁新聞を製作、家では親友を前にギターの弾き語り、彼とも良好な関係と、充実した生活を送っていた。
ある日、チンタは得意の詩で校内コンテストに応募する。優勝は確実とみえたが、栄冠を勝ち取ったのは、無口で存在感の薄い美少年ランガ。
チンタは、自分より詩の才能に長けたランガに接近を図るが、ランガはまともに取り合わない。チンタは腹を立て、親友に当たり散らしながらも、心の中では、自分の知らない世界に生きるランガへの想いが募り始める。
ランガとの距離が縮まるとともに、これまでの自分の価値観が一気に崩壊し、苦悩するチンタ。親友たちも、初めて本当の恋を経験するチンタが、変わりつつあることに気付き、困惑する。
そして、そんなチンタの親友に対する態度がきっかけで、悲劇が起こるのだった。
■ディアン・サストロワルドヨ
一九八二年三月十六日、ジャカルタ生まれ。祖父は作家のスバギヨ・サストロワルドヨ。
十四歳で雑誌のモデル・コンテストに入賞、その後も広告のモデルとして活躍する。
ルディ・スジャルウォ監督の「流れ星(Bintang Jatuh)」(二〇〇〇年)で映画デビュー。二〇〇一年には「囁く砂(Pasir Berbisik)」(ナン・アフナス監督)でクリスティン・ハキムとスラメット・ラハルジョの娘ダヤを演じ、内面から湧き出る秀逸な演技で、一躍注目を浴びる。「チンタ(愛)に何があったのか?(Ada Apa Dengan Cinta?)」(ルディ・スジャルウォ監督)では主人公のチンタ役を演じている。
現在、インドネシア大学文学部哲学学科在学中。