ホーム

情報群島

 「正しい日本語を普及し、バリ島観光のスマートさを売り出そう」−デンパサール在住三十年のさち子・シャムスディンさん(五二)が、日本人の友人二人と協力して、このほど念願の日本語学校「ドゥウィ・リングウァ」を開いた。日本人が経営する日本語学校はバリ島では初めて。バリブームで訪れる日本人旅行者の世話をする観光ガイドやホテルの従業員の申し込みが相次ぎ、さち子さんら三人の日本人先生の、楽しい授業が評判になっている。(2000年12月5日掲載)


3人の先生がクラスに訪れた(左からさち子さん、神崎さん、中島さん)
→写真を大きく見る


笑顔で会話を交わすさち子さん(左)と生徒。右は神崎さん→写真を大きく見る

バリ島に初の日本語学校

「スマートな観光地に」
在住30年の日本人女性らが開設

 さち子さんは一九七三年からバリ島に住み、インドネシア人と結婚して家庭を築き、旅行会社の経営、インドネシア語の通訳、日本語教師、日本のテレビ局の取材協力などで活躍し、大きな体で、少女のような笑顔を絶やさない「バリ島のさっちゃん」で知られる。

 「オーイ、社長、これ安いよ」と叫んでおみやげを売りつけるバリの若者たちの日本語に、さち子さんは心を痛めてきた。

 「きれいな日本語を使えば、お客の心を、もっとつかめるのに」と、仕事柄、いつも感じていた。それが日本語学校を開く動機になった。

バリに魅せられた3人

 バリを訪れる日本人は年間三十六万人に上る。一日千人以上の日本人が、島のどこかでバリ人と接している。観光で生きるバリ島の若者たちに、日本語をきちんと教えたいというさち子さんの気持ちが募り、バリの文化に魅せられた二人の親しい友人と相談、開校が決まった。

 主婦の神崎敦子さん(四六)、中島宏二さん(三八)の二人だ。神崎さんが借りていたお店を教室に提供、中島さんが教師役を買って出た。備品などに必要な資金を三人が少しずつ負担し、空港からヌサドゥアに抜けるバイパスの商店街に、約七〇平米の小さな日本語学校が完成した。

 クラスは基礎コース(定員二十人)とガイド・コース(同)。授業料は三カ月で九十万ルピア。地元紙に広告を出したら、たちまち定員オーバーし、出だしはまずまず。日本人のためのインドネシア語コースも併設した。 

初心者の挫折が悩み

 ところが、日本語の基礎コースは、初心者ばかりなので、一時、挫折組が続出した。カルタ取りやお買い物ごっこなどを取り入れ、できるだけ楽しく、実用的な会話を取り入れて人気を取り戻している。

 ガイド・コースは、観光会社に勤めていた中島さんが経験を生かし、日本の文化、日本人への対応、ホテルの知識など実学も含めて教え、これも人気のクラスになっている。

 バリ島では、今年四月、ウダヤナ大学に日本語科ができたばかり。海外青年協力隊による日本語の教育活動も活発だが、日本人直営の学校はこれが初めてだ。

 インドネシアでは医療と学校は財団を設立するのが義務。文部省に相談すると「ほんとに生徒が集まるかな。失敗したケースが多いから、最初はライセンスは取らないで寺子屋で始めたら」と意外な返事。さち子さんは、しかし、労働許可をきちんと取得した、良い先生を確保するため財団を設立した。

 日本人と交流してみたい。もっといい地位を得たい。プロのガイドになりたい−など、バリの若者たちの間に、日本語を学ぼうとする意欲はとても強い。

すぐ使える日本語

 さち子さんが目指すのは、あくまで実用的な日本語の普及だ。だが、実際に教壇に立ってみると、日本語をクラスで教えることの難しさを悟った、とさち子さんは告白する。

 「文法も含め基礎からしっかり勉強してもらいたいが、初心者は長続きしないのがつらい。授業内容を面白く、実用的にして、仕事に早く役立ててほしいと思っている。スピーチ・コンテストを開いて、卒論の代わりにしている」とさち子さんは語っている。

 日本語学校「ドゥウィ・リングウァ」はチトラ・バリ・ショッピング・センター内(Jl. By-Pass NUSA DUA No.27, Tuban-Kuta, Bali エ702・793)


Copyright © 2000 PT. BINA KOMUNIKA ASIATAMA, BYSCH
All Rights Reserved.