さち子さんは一九七三年からバリ島に住み、インドネシア人と結婚して家庭を築き、旅行会社の経営、インドネシア語の通訳、日本語教師、日本のテレビ局の取材協力などで活躍し、大きな体で、少女のような笑顔を絶やさない「バリ島のさっちゃん」で知られる。
「オーイ、社長、これ安いよ」と叫んでおみやげを売りつけるバリの若者たちの日本語に、さち子さんは心を痛めてきた。
「きれいな日本語を使えば、お客の心を、もっとつかめるのに」と、仕事柄、いつも感じていた。それが日本語学校を開く動機になった。
バリに魅せられた3人
バリを訪れる日本人は年間三十六万人に上る。一日千人以上の日本人が、島のどこかでバリ人と接している。観光で生きるバリ島の若者たちに、日本語をきちんと教えたいというさち子さんの気持ちが募り、バリの文化に魅せられた二人の親しい友人と相談、開校が決まった。
主婦の神崎敦子さん(四六)、中島宏二さん(三八)の二人だ。神崎さんが借りていたお店を教室に提供、中島さんが教師役を買って出た。備品などに必要な資金を三人が少しずつ負担し、空港からヌサドゥアに抜けるバイパスの商店街に、約七〇平米の小さな日本語学校が完成した。
クラスは基礎コース(定員二十人)とガイド・コース(同)。授業料は三カ月で九十万ルピア。地元紙に広告を出したら、たちまち定員オーバーし、出だしはまずまず。日本人のためのインドネシア語コースも併設した。
初心者の挫折が悩み
ところが、日本語の基礎コースは、初心者ばかりなので、一時、挫折組が続出した。カルタ取りやお買い物ごっこなどを取り入れ、できるだけ楽しく、実用的な会話を取り入れて人気を取り戻している。
ガイド・コースは、観光会社に勤めていた中島さんが経験を生かし、日本の文化、日本人への対応、ホテルの知識など実学も含めて教え、これも人気のクラスになっている。
バリ島では、今年四月、ウダヤナ大学に日本語科ができたばかり。海外青年協力隊による日本語の教育活動も活発だが、日本人直営の学校はこれが初めてだ。
インドネシアでは医療と学校は財団を設立するのが義務。文部省に相談すると「ほんとに生徒が集まるかな。失敗したケースが多いから、最初はライセンスは取らないで寺子屋で始めたら」と意外な返事。さち子さんは、しかし、労働許可をきちんと取得した、良い先生を確保するため財団を設立した。
日本人と交流してみたい。もっといい地位を得たい。プロのガイドになりたい−など、バリの若者たちの間に、日本語を学ぼうとする意欲はとても強い。
すぐ使える日本語
さち子さんが目指すのは、あくまで実用的な日本語の普及だ。だが、実際に教壇に立ってみると、日本語をクラスで教えることの難しさを悟った、とさち子さんは告白する。
「文法も含め基礎からしっかり勉強してもらいたいが、初心者は長続きしないのがつらい。授業内容を面白く、実用的にして、仕事に早く役立ててほしいと思っている。スピーチ・コンテストを開いて、卒論の代わりにしている」とさち子さんは語っている。
日本語学校「ドゥウィ・リングウァ」はチトラ・バリ・ショッピング・センター内(Jl.
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