二〇〇一年十月、私はアチェを旅した。十年以上インドネシア各地の旅を続けてきたが、あのとき訪れたアチェほど暗くて重い雰囲気に覆われていたことはなかった。
政府は国軍や警察機動隊をアチェ全域に増派し、独立派武装組織・自由アチェ運動(GAM)の掃討作戦を進めていた。そして私服の警官が住民の行動を監視していた。住民はGAMに接触したと疑いをかけられただけで、命の保障はなかった。国軍兵士らによる拷問や虐殺が各地から伝えられ、毎年千人以上もの住民が命を失っていた。
いつもは人なつっこく話し好きのアチェ人だが、外国人旅行者である私と会話をしている姿を見られること恐れ、多くを語ってくれなかった。
■10年前の不安よぎる
十年ほど前、私はインドネシア国軍が独立派掃討作戦を繰り返していた東ティモールを旅した。そのときよりも、アチェには危険な空気が漂っていた。治安維持の名目で任務に就いている治安部隊だが、それはまったく逆効果で、彼らがアチェにいる限り、閉塞感から開放される期待はなかった。
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新年を祝う集会に集まった子供たち(バンダアチェで)
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昨年十二月九日、インドネシア政府とGAMはスイスの非政府組織アンリ・デュナン・センター(HDC)の仲介で、ジュネーブで和平協定に調印した。
インドネシア政府は交渉努力が和平調印をもたらしたと成果を強調し、内外のメディアも国軍とGAMの幹部が握手している映像を流し、和平の機運を盛り上げた。
私も和平調印がなされたことは歓迎するが、ニュースを見ながら気になった。
これまで武力で住民を抑圧してきた政府や国軍が発表する報道がほとんどだ。日本の九州より広いアチェで、取材先が州都バンダアチェと第二の都市ロクスマウェ周辺に限られている。情報が操作され「いい話」しかマスコミは伝えていないのではないか。
■今度こそ本物の和平か
和平合意はこれまでも毎年のように繰り返されてきたが、長続きしなかった。家族を殺された住民やアチェ特別州全体で数万人といわれる避難民らは、政府主導の和平調印をどんな気持ちで受け止めているのだろうか。
昨日まで殺し合っていた敵が、手のひらを返し和平を主張することを住民は受け入れるのだろうか、
地方の危険な空気は変ったのだろうか。一年二カ月前に訪れたとき、一番雰囲気の悪かったのはインド洋側の南アチェ県だった。GAMと国軍との抗争の犠牲で、住民が土地や家を捨て逃げ出し、村が一つ、二つとなくなっていくのを見た。
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国内で一番美しい、バンダアチェのバイトゥラフマンモスク
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私が泊まったホテルに「警官」と名乗る二人組が来て、金を巻き上げられそうになったこともある。ミニバスで移動中、乗客は何度も国軍や機動隊の検問所で降ろされ、運転手はその度にいくらかの「通行料」を払っていた。
■「アチェで正月なんて」
その南アチェを訪れてこそ、和平調印後のアチェの雰囲気を感じられるというものだ。私は昨年末から今年の正月にかけ、アチェを旅することにした。
とはいえ不安はあった。アチェを何度も訪れ、GAMの幹部にも会った二人の外国人女性が、昨年九月警察に逮捕され、禁固六月の判決を受けた。
私だって怪しい外国人と疑いをかけられれば逮捕されかねない。私はアチェの平和を願っているが、独立には賛成でも反対でもない。逮捕も刑務所行きもごめんだ。
一緒に行こうと友人を誘ったら、「アチェ以外なら行きたい」と言われた。「よりによって正月をアチェで迎えるなんて」とも言われた。腹をくくって一人でアチェを旅することにした。
小松邦康(こまつ・くにやす) 紀行作家。一九五九年、高松市生まれ。一九八七年から、ジャカルタを拠点に世界各地を旅している。マルク、東ティモール、パプア、アチェの紀行をじゃかるた新聞に寄稿している。アチェ訪問は約十回。著書に「楽園紀行」、「インドネシア全二十七州の旅」(めこん)。三月に新著を出版の予定。