日イ国交樹立五十周年記念を盛大に祝った二〇〇八年前半、インドネシアの経済成長率は六%台のペースで順調に推移していた。一月末、元大統領のスハルト氏が死去し、民主化の過渡期の十年が終わり、インドネシア政界は来年の国政選挙に向けた準備を始めた。より豊かな生活、教育の機会均等、正義や公平さを求める国民意識、ユドヨノ政権の政治、経済、外交のパフォーマンスはほかのアジア諸国に比べれば、はるかに前向きで、十年前のアジア通貨危機の試練を乗り越えたインドネシアは着実に良い方向に向かってきた。だが、青天の霹靂(へきれき)のように襲った世界金融危機。じりじりと広がる不況の波は、政治の季節に遭遇したインドネシアに失業者の増大をもたらし、再び社会不安が高まる恐れが出てきた。この一年の動きを政治、経済を中心にまとめた。
■政治─真剣勝負はメガだけ
ユドヨノ大統領は今年九月、来年七月の大統領選に再出馬する意向を正式に表明した。ユスフ・カラ副大統領(ゴルカル党党首)も大統領と組んでの続投に前向きな姿勢を見せた。国会議員選挙まであと三カ月、大統領選挙は七カ月後に迫り、ユドヨノ大統領は、新聞やテレビなどのメディアを味方に引きつけ、広報活動を強化し、世論調査では優位に立っている。
だが、ユドヨノ政権を支えてきた国会第一党のゴルカル党の指導部は二つに分裂した。ユドヨノ─カラの続投を支持する陣営と、大統領選挙に独自の立場から立候補を表明したジョクジャカルタ特別州知事のスルタン、ハメンクブウォノ十世(同党幹部)を支持する陣営だ。
一方、前回選挙でユドヨノ氏に敗れ、真っ向からユドヨノ氏に挑戦している闘争民主党のメガワティ前大統領のほか、ウィラント元国軍司令官(ハヌラ党)、プラボウォ・スビアント元戦略予備軍司令官、スティヨソ前ジャカルタ特別州知事(元国軍ジャカルタ軍管区司令官)の三人の元軍幹部、故スハルト大統領のスピーチライターだったユスリル・イフザ・マヘンドラ元国家官房長官らが続々と大統領選に名乗りを上げ、大統領候補が出そろった。
メガワティ氏は副大統領候補として、人気上昇中のイスラム政党の福祉正義党のヒダヤット・ヌルワヒッド国民協議会(MPR)議長ら三人に絞ったとされる。
柔軟イスラム政党の民族覚醒党(PKB)は、アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領(グス・ドゥル)派とムハイミン・イスカンダル党首派に分裂。ムハイミン派が勝利し、グス・ドゥルは来年の選挙に参加できなくなった。
福祉正義党も英雄の日のテレビCMをめぐり幹部の意見対立が表面化。もう一つの穏健イスラムの国民信託党も、かつての勢いはなくなった。
結局、軍人出身のテクノクラートとして実績を積み、現役で圧倒的な優位に立つユドヨノ大統領に対抗するメガワティ氏との対立軸が、新年早々、鮮明になっていくとみられる。ユドヨノ氏の最大の問題は、ゴルカル党党首としての指導力が急激に落ち、出身地のスラウェシ島の島民も含め、有権者の人気がかんばしくないユスフ・カラ氏が、選挙資金の確保、不況対策や資源戦略などの政策面で、どの程度、ユドヨノ氏を支えていけるかにある。
メガワティ政権末期の二〇〇四年、アジア通貨危機(一九九七─八年)以来の低成長を脱したのを受けて、過去四年間、順調な経済成長を遂げてきたユドヨノ政権は、五年ぶりの国政選挙と世界同時不況というハードルがそびえ立つ新年を迎える。
■経済─好調の経済に暗雲
リーマンブラザーズが破綻した今年九月十五日を境に、世界の金融危機はインドネシアの金融市場にも影響を与え始めた。レバラン(断食明け大祭)明けの十月初め、バクリー・グループの資金難をきっかけにインドネシア証券取引所の総合株価指数は急落し、十月八日から三日間にわたり、市場は閉鎖。同じころ、ルピアは一ドル一万ルピアまで下がり、その後、十一月末には一時一三二〇〇ルピアへ暴落した。
その数カ月前までは、バクリー・グループを率いるアブリザル・バクリー氏(公共福祉担当調整相)が資産総額一兆円のアジアのトップレベルの資産家として報じられ、インドネシア経済は順風満帆のようにみられていた。
経済成長率は一─九月期で六・三%。国民一人当たりのGDP(国内総生産)も、二〇〇四年に千百八十六ドルから三年間で六四%増加、二〇〇七年には千九百四十六ドルに達し、ユドヨノ大統領も「一九九七─八年の通貨危機以前の水準を上回った」と豪語した。
昨年からの資源価格高騰で、パーム油や石炭など地方の資源関連産業が好況に湧いた。四輪車・二輪車とも過去の年間販売台数を更新するなど、民間消費拡大の原動力となった。
しかし、経済危機の足音はじわりとインドネシアに押し寄せてきた。二輪・四輪は十月のレバラン明けから販売低下が顕著になり始め、早くも来年は三割減との見通しが上がっている。
来年は金融危機が実体経済にも深刻な影響を与え、輸出減速に伴う大量解雇が予想される。繊維など一部産業ではすでに人員整理が始まっており、インドネシア経営者協会によると、来年は新たに百五十万人が職を失うとの数字も挙がっている。
スリ・ムルヤニ蔵相は、六%台後半を目指していた来年経済成長率も五%を割る可能性があるとの見通しを示した。
政権発足時から掲げてきた失業対策や貧困削減、持続的な経済成長に不可欠な投資環境整備も、大きな進歩が見られない。当面の経済危機の深刻化を食い止めるための緊急かつ具体的な政策が急務となっており、ユドヨノ政権の前途には暗雲が垂れ込めている。
◇沖縄を伝える古い太鼓
日イ友好の最後を飾った十一月のイ日博覧会で、力強いエイサーを披露して喝采(かっさい)を浴びたインドネシア人の芸能団「うまーく・エイサー・しんか」は、新たな挑戦を始めた。沖縄の数の数え方から民謡、踊り、歴史など、エイサーを通して得た沖縄の文化をインドネシアの子どもたちに伝える。
一九九五年、インドネシア独立五十周年の行事に、ジャカルタの沖縄県人会が那覇で活動する本場のエイサー芸能団を招いた。
その公演を見て感動した女子高生が、記念にもらった大太鼓とビデオの画像を頼りに活動を始めた沖縄文化グループ。メンバーは六十人に増え、海外で唯一のエイサー団に成長した。
アニメや音楽を通じ、日本文化に興味を持つインドネシアの若者が増えているが、日本の生の文化に触れる機会はほとんどない。
「大好きになった沖縄をインドネシアに伝える使命を持って活動してきた」と創立期からの代表、ペペンさん(三〇)は語る。
メンバーが十年以上も、大切にしているものがある。学校訪問や公演に必ず持っていく古い大太鼓だ。クギは抜け、胴が割れ、黒くひしゃげてしまったが、あの時の沖縄のエイサー団が書いた「ありがとう。また来るね」の文字が残っている。
「インドネシアで育ったエイサーを日本文化と認めてもらいたい」とペペンさん。ぼろぼろの太鼓が、インドネシアに伝える沖縄の音楽と風は、次の世代に少しずつ広がっている。
◇IT化、次のステージへ
インターネット利用者四千万人、携帯契約数一億件。IT化が庶民層にまで浸透し始めた二〇〇八年はインドネシアにとって、「IT革命」がテイクオフした年だった。
パソコンも携帯電話もトレンドは途上国市場を狙った格安機種。金融危機や不安定なルピア相場という逆風にもかかわらず、来年も市場は底堅そうだ。
WiFiや3G携帯電話網といったインフラが整い、パソコンや携帯電話といったハードが行き渡ったなら、次はソフト、サービスの番。
例えばインドネシアの若者にも人気が高いSNS(ソーシャルネットワーキングサイト=ミクシィのような友人探しサイト)も米国のサイトを使っている人がほとんど。国産サービスはまだない。
海外のメジャー企業の進出を待つ必要はない。二〇〇九年はインドネシア版「ミクシィ」、「アマゾン」を作るインドネシア人企業家が出て、不景気を吹き飛ばしてほしい。
◇来年もいきいきと
県人会、同窓会、同好会などクラブ活動に出席した人たちに、参加したきっかけを尋ねると「じゃかるた新聞の『じゃらんじゃらん』の記事を見て」という答えが多い。
同好会や趣味の会の中には、ジャカルタに日本人駐在員が増え始めた一九七〇年代から続く古い歴史のあるクラブもある。
新しく赴任した若い世代のメンバーが、それぞれの会を継いで現在も活動を続けている。
最近は、駐在員数が減少傾向にあるが、ここ数カ月の間に「ドイツ会」「神奈川県人会」「アミーゴ会」「MM働く女性の会」など新しい会合が誕生し、邦人コミュニティーに新たな活気を生み出した。
「仕事や職場の利害に関係なく参加できる」「世代を超えた付き合いができる」「ジャカルタの生活に張り合いがでた」
来年も同じような声が聞けるかもしれない。「じゃらん」のページが、インドネシアで出会った邦人たちの活動の輪を広める一助になれればと思う。
◇ひたむきに挑む感動
ジャカルタ日本人学校中学部三年の「卒業を祝う会」で、人気歌手アンジェラ・アキの「手紙・拝啓、十五の君へ」の合唱を聴いた。今年のNHK全国音楽コンクール・中学校の部の課題曲だ。
深い悩みを抱え「消えてしまいそう」な十五歳の若者の孤独を歌い、多くの人に愛されている名曲。卒業を控え、泣き出しそうになるのをこらえて歌う生徒たちの姿に、両親、先生たちも目頭を押さえていた。
勉強でもスポーツでも趣味でもいい。ひたむきに物事に取り組む少年たちの感動を伝えたい。教育担当記者として、そんな思いで記事を書いてきた。
ジャカルタ、バンドン、スラバヤの日本人学校、バリ日本語補習授業校の取材を通じ、子どもたちの笑顔や元気な声だけでなく、悔しさや喜びで涙を流す光景に何度も出会った。取材中、その姿に胸を熱くし、メモをとるペンを何度、止めてしまったことだろう。
「人間だけが赤面する動物である。あるいは、そうする必要がある動物である」。「トム・ソーヤーの冒険」の作家マーク・トウェインはそう語った。「人間だけが感涙する動物である」。トウェインの言葉にそう続けたい。感動を追った一年だった。
| 日イ友好年が開幕(1月)
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| スハルト氏死去(1月)
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ジャカルタで洪水(2月)
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| 厳戒体制で聖火リレー(4月)
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| 燃料値上げ反対デモ(6月)
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◆2008年の主な出来事
【1月】
20 秋篠宮ご夫妻が来イし、日イ友好年開幕
27 スハルト氏死去
28 鳥インフルエンザ死者100人に
【2月】
01 ジャカルタで大洪水
16 「マス・エンダン」チルボンで初上映会
【3月】
09 ジャワジャズ開幕
18 アダムエア免許を凍結
【4月】
18 日イ交流・現代アート展「KITA」開幕
22 一般非公開で五輪聖火リレー
【5月】
18 塩尻孝二郎大使が着任
23 石油燃料28.7%値上げ
【6月】
02 ガルーダ、バリー名古屋便が再開
09 異端アフマディアに活動禁止令
21 JJS体育祭
24 石油燃料値上げデモ、国会正門襲撃
【7月】
01 日イ経済連携協定(EPA)発効
27 イ日友好フェスティバル
【8月】
06 看護、介護士第一陣が日本へ
15 日本食レストラン「蘭」が閉店
16 北京五輪、バドミントン男子復で金メダル
【9月】
18 オールジャパン協力会議
中旬以降 メラミン騒動。日本食スーパーも影響
【10月】
8-11 株式市場を閉鎖
24 クリスジョン10度目王座防衛
28 スルタンが大統領選立候補
30 ポルノ規制法可決
【11月】
01 イ日博覧会開幕
09 アムロジらに死刑執行
【12月】
01 石油燃料を値下げ。14日にも追加値下げ
11 東京でインドネシア流エコ展
| JJSで体育祭(6月)
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| 御輿も登場した友好フェスティバル(7月)
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| 看護士第一陣が日本へ。塩尻大使も激励した(8月)
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| JJCが4年ぶり盆踊り(11月)
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北京五輪で金メダル(8月)
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日本食スーパーから日本製食品消える(9月─)
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金融危機で株価は急落。証券取引所では途方に暮れる投資家の姿が(10月)
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JJS幼稚部の焼き芋パーティー(10月)
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イ日博覧会で福田前首相も出席した開幕式典(11月)
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イ日博覧会を盛り上げた竿灯(11月)
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イ日博覧会でコスプレを楽しむ参加者(11月)
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コンピューター展は大盛況(11月)
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