地震災害や爆弾テロが影を潜めた二〇〇七年は、ユドヨノ大統領にとってラッキーな一年だった。深夜、自宅でギターを弾き、作詞・作曲する余裕が出来た。十曲のCDを発売し、若い世代の有権者にラブコールを送った。国連の気候変動会議の最終日、行き詰まった会議に英語でハッパをかけ、「バリロードマップ」をまとめるのに一役買った。「音楽にも外交にも強い大統領」を売り出そうとしている。経済政策を牛耳るユスフ・カラ副大統領は、病床のスハルト元大統領や野党のメガワティ元大統領と会談して大物ぶりをアピール。日本の政府開発援助(ODA)を批判したり、強気の資源戦略を打ち出して「実力派の副大統領」のイメージを定着させようとしている。「慎重居士」の知性派大統領と「独断専行」のビジネスマン副大統領。二人の溝が深まり、二〇〇九年の大統領選挙では、ペアを組まない可能性が出てきた。影絵劇ワヤンのように次々と奇怪な人物が登場するインドネシアの政治ドラマが新年早々、幕を開ける。(じゃかるた新聞編集長、草野靖夫)
| 対照的な正副大統領の2人が2009年の大統領選挙で激突する可能性が出てきている
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| 2度目の内閣改造。経済閣僚には不満の声も(5月)
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| 安倍首相が来イ、EPAに調印(8月)
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| バリで気候変動会議(12月)
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| ガスボンベを持ちLPG利用促進をアピールするカラ副大統領
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アジア通貨危機から十年目の節目でもあった二〇〇七年のインドネシアを振り返ると「よくもここまでたどりついた」との感慨が湧いてくる。
スハルト長期独裁政権が崩壊した直後の混乱を乗り切ったハビビ政権、言論や報道の自由、宗教や民族の共生を打ち出したアブドゥルラフマン政権、国家統一と領土保全に固執し、一九四五年憲法を改正して自由選挙の基盤を確立したメガワティ政権、アジアの大国として国際社会での役割を広げようと外交に力を入れるユドヨノ政権。
四つの政権が政治の民主化、地方分権、市場開放、汚職追放、法秩序の確立を進め、人権・地球環境、非核化、テロ対策などグローバルな課題にも取り組むようになった。新投資法や日イ経済連携協定(EPA)を成立させるなど経済外交も軌道に乗せた。
政府見通しによると、今年の経済成長率は昨年を上回る六・四%前後。インフレも六%程度に落ち着き、通貨ルピアも安定。輸出も好調で外貨準備高は五百四十億ドルを越えた。乗用車・二輪車の新車販売台数が大きく伸び、不動産ブームに見られるように中間層の所得は確実に増えている。
■貧困層が4千万人も
しかし、一人当たりの国内総生産(GDP)はタイの半分の約千六百ドル、シンガポールの約二十分の一にとどまっている。一日二ドル以下で生活する貧困層は四千万人。失業者は千五百万人から二千万人に達する。
毎年、約二百五十万人の若者が新規労働力になるので、若者たちに職を与え、極端な貧富の差を少しでも減らすことが、ユドヨノ政権にとって最大の政治課題になっている。
雇用を拡大するには、当面、外国投資を大胆に誘致し、電力、道路、港湾など産業インフラを整備した上で、大型の資源開発事業や製造業の振興に取り組み、経済成長率を七%台へ乗せることが必要とされる。
■閣僚人事でもめる
大統領と副大統領の確執は、二〇〇四年のアチェ津波の大災害の修羅場で起きた前線指揮をめぐる対立に始まり、原油高に伴う石油燃料値上げの決断の遅れ、その責任を負う経済閣僚の入れ替えをめぐる対立、大統領が密かに仕掛けた大統領政策チーム創設をめぐる内紛、無能閣僚の更迭人事をめぐる対立などが次々と表面化。いずれもユドヨノ大統領の指導力が問われた。
政権運営はそれなりにうまくいっているとの分析もある。ジャワ人とブギス人の文化の違い、国軍のサロン派将軍だったユドヨノ氏のロマンチシズムとビジネスマン政治家のプラグマティズムが補い合っているという見方だ。
「カラ氏は資本家としてビジネス利権を求めているだけで、大統領ポストに野心はない。年齢的にもチャぺ(疲れる)な仕事と思っているではないか」との見方もある。しかし、ジャカルタの政界筋は、大統領選挙が近付くにつれ、立候補の意思を固めていると見る。
■寄り合い所帯の政権
ユドヨノ政権は、ユドヨノ氏のために国軍OBらが二〇〇一年に創立した歴史の浅い民主党(五十七議席)を中心に、スハルト独裁政権時代の翼賛組織だったゴルカル党(百二十八議席)、イスラム系の開発統一党(五十八議席)、民族覚醒党(五十二議席)、国民信託党(五十二議席)、福祉正義党(四十五議席)など七政党の連合で発足した。
メガワティ元大統領が率いる闘争民主党(百九議席)が唯一の野党。閣僚の派遣を拒否してユドヨノ政権を監視している。
カラ副大統領はゴルカル党の党首でもあるので、閣僚人事などで党の要求に応えなければならず、政府と党の板挟みになることがある。
こうした寄り合い所帯の政権のため、ユドヨノ大統領の政権基盤は弱く、二人の確執が伝えられるたびに、それぞれの党がユドヨノ大統領の指導力の弱さを問題視してきた。
■ユドヨノ再選阻止の動き
二〇〇七年一月、「ユドヨノ政権打倒」を訴える初のデモが起きた。主宰者である元学生運動指導者のハリマン・シレガル氏は「ユドヨノはイメージ優先の自己保身ばかりで国民への公約を果たしていない」と叫んだ。
続いて国軍OBらが、ユドヨノ大統領のパフォーマンスを批判。一昨年の石油燃料値上げで広がった社会不安を憂慮し、政権批判を始めた。
「ユドヨノ再選阻止」の行動を大々的に起こしたのはゴルカル党幹部のスルヤ・パロ氏(メディアグループ会長)とメガワティ元大統領の夫、タウフィック・キマス氏。
闘争民主党、ゴルカル党を中心にイスラム系の開発統一党、国民信託党にも呼び掛け「民族連合」を結成しようと画策。メダンとパレンバンで政治集会を開き、ユドヨノ大統領に揺さぶりをかけた。
こうした動きに連動し、ゴルカル党も内部分裂が起きた。アクバル・タンジュン元党首が、前回の大統領選挙で敵対していたユドヨノ大統領に接近し、「ユドヨノ再選」を支援する側に回った。
カラ副大統領は「大統領選挙の三カ月前までは任務を果たす。その後、別々の方向を歩むことでユドヨノ大統領と合意した」と語り、情勢によっては大統領選に出馬する可能性を示唆した。
しかし、カラ副大統領の世論調査の人気はきわめて低い。「今日大統領選が行われたら誰を選ぶか」との問いで、ユドヨノ大統領がトップだが、カラ副大統領は下位だ。金権政治がはびこるゴルカル党内でも、まだ指導力を確立していない。
■選挙民は意識が変わる
二〇〇九年の大統領選挙の有権者数は推定で約一億七千万人。前回投票しなかった新しい有権者(十七歳以上)約二千万人が投票に参加するので、選挙民の政治意識は大きく変わる。
(1)農村や過疎地にも民主主義が浸透し、ジャワ人、ブギス人といった民族的な区別が薄まる(2)国軍や中央政府など古い権威にこだわらない世代が増える(3)民族主義やイスラムのイデオロギー的な選択肢より人物本位になる(4)情報化社会が進み、有権者は候補者の能力を判断しやすくなる(5)治安と経済がより安定し、消費ブームを体験した世代が増えるだけに、経済政策や国造りで、実力を発揮できる指導力のある人物に期待する─などの変化が起き、旧世代のユドヨノ大統領やカラ副大統領が、予想外の厳しい国民の審判を受ける可能性がある。
◇ユドヨノ大統領
東ジャワ州パチタン生まれのジャワ人で58歳。貧しい教育者の家庭で育つ。陸軍士官学校を主席で卒業、米国の大学で経営学修士号をとった国軍改革派のエリート。アブドゥルラフマン政権の鉱業エネルギー相、メガワティ政権の政治・社会・治安担当調整相。
◇カラ副大統領
南スラウェシ州ワタンポネ出身のブギス人で65歳。フランスで経営学を学んだ後、父から車両販売、ゴム園、ホテルなどのビジネスを引き継いで実業家となり、スハルト政権時代、国会議員を務め、アブドゥルラフマン政権で産業貿易相、メガワティ政権で公共福祉担当調整相。
| ジャカルタで大洪水(2月)
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| ガルーダ機着陸失敗(3月)
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| ジャワジャズで渡辺貞夫ら熱演(3月)
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| 水上バスがスタート(6月)
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| イ日50周年委員会が発足(6月)
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◆2007年の主な出来事
【1月】
1 アダムエア墜落、102人死亡
10 闘争民主党、大統領選挙でメガ擁立決定
【2月】
2 ジャカルタで大洪水
【3月】
3,4 ジャワジャズに渡辺貞夫ら出演
6 西スマトラで地震、死者73人以上
7 ガルーダ機オーバーラン事故、21人死亡
29 新投資法可決
【4月】
16 JJSで入学式
28 メンテン公園が開園
【5月】
7 大統領、2度目の内閣改造
19 マナド沖でシーラカンス捕獲
【6月】
6 水上バス運航開始
11 元日本兵の藤山さん死去
15 鳥フルの感染者100人に
22 イ日五十周年記念事業実行委員会が発足
23 JJS体育祭
【7月】
6 EUがインドネシア航空機を乗り入れ禁止
7 サッカーアジアカップ開幕
10 JJS校外学習
24 最高裁、地方首長選で無所属候補認める
【8月】
8 ジャカルタで知事選
12 バリで初の鳥フル死者
18 ボクシングのクリスジョン王座防衛
19 安倍首相が来イ、EPA調印
【9月】
12 ブンクル地震で死者23人以上
29,30 JJSフェスティバル
【10月】
2 カラ副大統領、大統領選立候補を示唆
【11月】
17 JJCが4年ぶりの盆踊り
17 プルサダの役員交代
【12月】
3-15 バリで気候変動会議
| サッカーアジアカップ、ジャカルタで開催(7月)
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| ジャカルタで州知事選(8月)
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| ブンクルで地震(9月)
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| JJCが4年ぶり盆踊り(11月)
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