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■「2006年 この1年」
2006年12月30日 じゃかるた新聞掲載

投資、雇用、汚職  決断先延ばしで問題山積
「妥協せず指導力発揮を」
正念場のユドヨノ政権

 古都ジョクジャカルタを襲った中部ジャワ地震など2006年もインドネシアは大災害に見舞われた。鳥インフルエンザの恐怖も忍び寄っている。政権三年目のユドヨノ大統領は自然災害や原油高に伴う危機を乗り切り、アチェ州の首長選挙を成功させ、テロ対策など治安面での成果を挙げた。通貨、株価、成長率などマクロ経済の指標も好調だ。しかし貧富の格差が一段と広がり、外国投資は低迷し、雇用確保、汚職追放など待ったなしの課題を抱え込んだ。内政の手詰まりに「決断力がない」との批判も高まっている。二〇〇九年の国政選挙を念頭に政治エリートの利権争奪戦が始まった。「改革実行」の公約はどこへ行ったのか。軍出身のユドヨノ氏の指導力が厳しく問われる新年が訪れる。(じゃかるた新聞編集長、草野靖夫)

中部ジャワで地震、6000人が死亡(5月27日)
中部ジャワで地震、6000人が死亡(5月27日)
鳥インフルエンザ死者世界最多に(7月20日)
鳥インフルエンザ死者世界最多に(7月20日)
ユドヨノ大統領が訪日、安部首相や天皇皇后両陛下と会談した(11月27−29日)
ユドヨノ大統領が訪日、安部首相や天皇皇后両陛下と会談した(11月27−29日)
平和裏に行われたアチェ首長選
平和裏に行われたアチェ首長選(12月11日)
 昨年(2005年)十月、政府は石油燃料の大幅値上げを迫られた。原油が七十ドルを突破。先延ばしすれば国家財政の破綻は必至。即決を迫る側近にユドヨノ大統領は慎重だった。
 「私も貧しい家庭の出身だ。灯油を買うことがいかに大変だったか身に染みて知っている。貧者の苦労を熟慮せず(決断が遅いと)私を批判する人は貧困を知らない人だ」
 大統領は二千万人の貧困層に生活支援金を支給するよう命じた。異例の現金支給は大混乱になった。
◇ ◇ ◇

 ユドヨノ政権二年目の経済は投資を除けば、「まずまずの成果」との評価だ。年初、一七%に達したインフレ率は年末までに五・八%に収まり、中銀金利も一二%台から九%台へ下げた。この結果、消費が回復。株価も上昇。ルピアも安定。「信頼感」を取り戻した。
 しかし実行ベースの外国投資は十一月までの前年比で四六%減少。国内投資も三七%減少。政府目標を大きく下回った。

■多彩な外交で点数稼ぐ

 十一月末、ユドヨノ大統領は日本を訪問、日イ経済連携協定(EPA)の大筋合意や地下鉄建設の円借款実施で日本側と合意した。
 訪日前、ブッシュ米大統領とボゴール宮殿で会談し、ハッサン・ウィラユダ外相も豪州と安全保障枠組協定を結ぶなど、インドネシア外交の一年を締めくくった。外交で点数を稼ぐ大統領。「あまり外遊するとタイのようなクーデターが起きる」と国会議員が皮肉った。
 ユドヨノ大統領の訪日に合わせ、東京で開かれた投資調整庁主催の投資セミナーは、日本企業の幹部らが多数出席し、大盛況だった。しかし、翌日、開催されたインドネシア投資・産業展はパプア州など全国三十三州の観光資料や土産物の展示会にすぎず、見学者も少なかった。

■日本の投資かも批判

 元インドネシア駐在のビジネスマンは「中国の投資セミナーの担当者は、個別、具体的な投資案件を懇切丁寧に説明し、すぐにも下見に来てほしいと迫ってくる。意気込みがまったく違う。インドネシア政府は本気で投資誘致を考えているのか」と語り、新投資法、改正労働法、税務法案など法整備を先送りしてきた政府の怠慢を批判した。
 「マクロの数字はいいが、実態経済は少しも良くならない」とインドネシア人企業家も批判を強めている。雑誌「テンポ」が九月に実施した全国の企業家への面接調査によると、過去二年のインドネシア経済は「悪化した」「変化なし」が大半を占めた。企業家は経済閣僚の能力を厳しく批判。「次の選挙でユドヨノ政権は支持しない」という声が強い。

■衝撃の支持率低下

 四月、ユドヨノ大統領にとって衝撃的な数字が公表された。史上初の直接投票で有効投票の六七%を獲得して圧勝。六〇%以上を維持してきた大統領の支持率が突然、三〇%台へ落ち込んだのだ。
 インフレの沈静化で、年末には六七%まで回復したものの、家計支出の激増、失業対策の遅れなど経済政策への批判が高まった。「決断が遅い」「優柔不断だ」「指導力に欠ける」など、ユドヨノ大統領の姿勢に不満がある。
 逆風を警戒したユドヨノ大統領は自らの政策を推し進めるため、大統領政策遂行チームの立ち上げを決断。九月、大統領令に署名、十月、シマンジュンタック元検事総長、元国軍領域担当参謀長で国民協議会副議長も務めたアグス・ウィジョヨ氏、米国のコンサルタントらで構成する人事を発表した。最優先課題として投資環境の改善、政府行政の改善、中小企業の発展、国営企業の業績向上、法順守の五項目を掲げた。

■カラ副大統領が横やり

 ところが、ユスフ・カラ副大統領(ゴルカル党総裁)が猛反対。国会最大のゴルカル党も「政権支持撤回」の脅しをかけ、チームの活動を封じ込める策に出た。
 閣僚選任などで、しばしば対立してきたカラ副大統領との関係を悪化させれば政権危機に発展しかねない。これを避けるため、ユドヨノ大統領は「任務遂行にあたり、副大統領の補佐を受ける。チーム運営に副大統領を除外することはない」と国民に説明し、騒ぎを収拾した。カラ副大統領がなぜ、強気なのか。ユドヨノ大統領は副大統領との間で「経済政策をまかせる」と密約を交わしているとメディアは報じ、ユドヨノ氏が大統領としての権限を回復するよう求めている。

■利権と権力の争奪戦

 「開発独裁」を三十二年間続けたスハルト政権が崩壊した一九九八年以降、憲法や法律を改正し、議会や選挙制度の仕組みを改革し、大統領と議会のバランスをとるなど民主的な仕組みを整えた。その結果、政治家の利権争奪も激しくなった。三年後の国政選挙に向け、旧体制の指導者が、新しい政党や大衆組織を旗揚げし、ユドヨノ政権を揺さぶる動きも見せている。
 ユドヨノ大統領は国営アンタラ通信の創立記念日の式場で「コンセンサスを重視してきたが、政権三年目なので政策はストレートに明確に決定していく」と語り、調整型の政治から大統領の決断を前面に出し、指導力を発揮すると約束した。

■確固とした信念で臨め

 政治評論家のウィマール・ウィトラー氏(元大統領報道官)は、大統領の権限を脅かすカラ副大統領を批判する一方、「汚職追放、法秩序の確立、人権の保護の三つを確固とした信念で推し進め、国家指導者としての指導力を発揮すれば、利権をあさる政治家の動きは止まる。指導力を発揮しない大統領の下では、いかなる問題も解決できない」と厳しくユドヨノ大統領を批判している。

2006年の主な出来事

労働法改正反対デモ荒れる(4月5日)
労働法改正反対デモ荒れる(4月5日)
プレイボーイ創刊(4月7日)
プレイボーイ創刊(4月7日)
幻の魚シーラカンス発見(5月30日)=共同
幻の魚シーラカンス発見(5月30日)=共同
ムラピ山火砕流で2人死亡(6月14日)
ムラピ山火砕流で2人死亡(6月14日)

【1月】

01 スラバヤ総領事館出張駐在官事務所がデンパサール総領事館に
格上げ
15 バスレーン第2、第3路線スタート
28−29 第4回三都市親善バリ・スポーツ大会

【2月】

22 金型工業会発足

【3月】

03−05 ジャワジャズ開催
10・11 パプア州、西イリアン州で州知事選
14 インドネシア日本友好協会(PPIJ)を再編

【4月】

05 労働法改正めぐるデモ荒れる
07 インドネシア版プレイボーイ発刊
13 JJC理事長に八木徹氏を選出
17 海老原大使が着任
30 文豪プラムディア氏が81歳で死去

【5月】

20 CNGとバイオディーゼル燃料を発売
27 中部ジャワで地震、死者約6,000人
30 スラウェシ沖でシーラカンス発見

【6月】

14 ムラピ山火砕流で2人死亡
22−24 福田康夫氏が来イ

【7月】

10 万亀子さん、外務大臣賞受賞
11 改正国籍法が成立
17 チラチャップ沖で地震、津波
20 鳥インフルエンザ死者、ベトナムと並び世界最多に

【8月】

13−19 日本人4人含むインドネシア代表チーム、米でリトルリーグ
世界大会ジュニアの部に出場
22 JJS幼稚部、ビンタロに移転

【9月】

01−05 ミスユニバース・ジャパン3位・藤田祥子さんが観光親善大使
として来イ
14 テレコムセルが国内初の3G携帯スタート

【10月】

07 バリで盆踊り大会
30 トミー仮出所

【11月】

初旬 作業委めぐりユドヨノとカラが対立
11 東ジャカルタのショッピングモールで爆弾炸裂
20 ブッシュ大統領が来イ
22 泥噴出事故現場でパイプライン爆発
27−19 ユドヨノ大統領が訪日

【12月】

11 アチェ首長選を実施
21 スマトラ北部の洪水で約200人死亡
27 台湾地震でインターネット接続に障害

福田康夫氏が来イ(6月22−24日)
福田康夫氏が来イ(6月22−24日)
チラチャップ沖で地震・津波(7月17日)
チラチャップ沖で地震・津波(7月17日)
ブッシュ大統領来イ(11月20日)
ブッシュ大統領来イ(11月20日)
シドアルジョの泥噴出事故現場でパイプライン爆発(11月22日)
シドアルジョの泥噴出事故現場でパイプライン爆発(11月22日)



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