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ユドヨノ政権・第2次「統一内閣」(2009〜2014)

 ユドヨノ大統領は10月22日、中央ジャカルタの大統領宮殿に第2次統一内閣の閣僚34人と新設の「開発管理調整官」など閣僚級の3人を召集し、就任式を行った。大統領は「閣僚の能力は毎年評価していく」と述べ、業績により内閣改造を、必要に応じて行う姿勢を明らかにした。「石油価格高騰や国内問題は複雑化しており、今後五年間の道のりは容易ではない」と指摘し、「大統領制では大統領が『船長』だ。諸君の忠誠と責任を政党ではなく大統領に払うように」と、出身政党の利益ではなく、国民と国家のため力を合わせるよう強調した。

ユドヨノ政権・第2次「統一内閣」(2009〜2014)

*原語との整合性や職務範囲などを考慮し、一部の省庁名を変更しました。
(年齢は2009年10月22日現在)

ユドヨノ ■大統領−スシロ・バンバン・ユドヨノ(60)

 1949年9月9日、東ジャワ州パチタン生まれ。ムスリム。陸軍退役中将。73年、国軍士官学校を首席で卒業、米国で経営学修士、2004年、ボゴール農科大で農業経済学博士号を取得。
 国軍きっての理論派として国軍領域担当参謀長などを歴任。スハルト政権崩壊後は、国軍改革に取り組み、99年8月のアブドゥルラフマン政権で鉱業エネルギー相として初入閣。01年8月発足のメガワティ政権で筆頭閣僚を務め、04年に初の国民による直接投票で大統領に就任。
 5年の任期で、経済の順調な成長、汚職撲滅、治安改善などの分野で成果を上げ、9月の大統領選挙で圧倒的な支持を受けて再選した。
ブディオノ ■副大統領−ブディオノ(66)

 1943年2月25日、東ジャワ州ブリタル生まれ。ムスリム。米ペンシルバニア大で経済学博士号を取得。中銀で局長まで務めた後、スハルト政権末期からハビビ政権にかけて国家開発計画庁(バペナス)長官。
 メガワティ政権で蔵相を務め、ユドヨノ政権下では2005年12月の内閣改造で経済担当調整相に抜てきされた。08年5月、中銀総裁に就任。
 国内屈指の経済通として知られ、国際的に評価が高く、各政権で経済政策に手腕を発揮してきた。
 今回の新内閣の組閣では、ユドヨノ大統領から経済閣僚の人事を任された。

スディ ■国家官房長官−スディ・シララヒ(60)

 1949年7月13日、北スマトラ州プマタン・シアンタル生まれ。ムスリム。
 陸軍士官学校卒。国軍領域担当参謀長補佐官、陸軍ブラウィジャヤ師団(東ジャワ軍管区)司令官などを歴任。 
 2001年、政治・治安担当調整相秘書官に就任。04年3月、ユドヨノ氏が政治・治安担当調整相を辞任した際、当時のメガワティ大統領に冷遇されていたことをリークし、ユドヨノ人気のきっかけを作った。
 2004年10月、ユドヨノ政権発足で内閣官房長官に就任。常にユドヨノ大統領に付き添っており、ユドヨノ氏の「側近中の側近」といわれる。

----------調整相----------

ジョコ ■政治・法務・治安担当調整相−ジョコ・スヤント(58)

 1950年12月2日、東ジャワ州マディウン生まれ。ムスリム。ユドヨノ大統領と国軍士官学校時代の同期(73年卒)。空軍参謀長作戦補佐官、空軍参謀長を歴任。
 ユドヨノ政権下の2006年2月、空軍出身者として初の国軍司令官に就任。民主化時代に沿った職業軍を目指す2004年制定の国軍法の下、国軍の内部改革を進めた。
 7月の大統領選挙では、ユドヨノ大統領の選挙対策チームの副本部長を務めた。
ハッタ ■経済担当調整相−ハッタ・ラジャサ(55)

 1953年12月18日、南スマトラ州バレンバン生まれ。ムスリム。バンドン工科大で石油技術を学んだ後、2000年まで石油採掘会社のアルティンド・グループ社長などを歴任。
 98年、アミン・ライス氏らと国民信託党(PAN)を設立し、幹事長に就任。メガワティ政権では研究技術担当国務相を務めた。
 2004年、ユドヨノ政権で運輸相、07年の内閣改造で国家官房長官に就任し、ユドヨノ氏の側近として調整力を発揮。ユドヨノ氏の副大統領候補にも名前が上がり、大統領選ではユドヨノ陣営の選対チームを率いた。
アグン ■公共福祉担当調整相−アグン・ラクソノ(60)

 1949年3月23日、中部ジャワ州スマラン生まれ。ムスリム。キリスト教大卒業。
 ゴルカル党青年部(AMPI)部長などゴルカル党の青年団幹部や支持母体であるゴトン・ロヨン協同組合(コスゴロ)代表を歴任。87年、国民協議会議員に当選した。
 スハルト政権崩壊後、アクバル・タンジュン前党首の側近として党内で発言権を強め、2004年に国会議長に就任。ゴルカル党副党首を務めるが、今年の国会議員選挙では落選した。

----------各省大臣----------

■内務大臣−ガマワン・ファウジ(51)

 1957年11月9日、西スマトラ州ソロック生まれ。ムスリム。アンダラス大法学部卒。
 西スマトラ州広報局長などを務めた後、95年、ソロック県知事に就任。汚職撲滅運動を展開し、汚職撲滅に貢献した人物を表彰するブンハッタ賞を受賞。2005年の西スマトラ州知事選でクリーンさが人気を集めて圧勝した。
 地方自治体運営の実績を買われ、大臣に抜擢された。
■外務大臣−マルティ・ナタレガワ(46)

 1963年3月22日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)卒業、ケンブリッジ大で修士、オーストラリア国立大で博士号取得。
 外務省報道官、同省東南アジア諸国連合(ASEAN)総局長などを歴任し、2005年、駐英大使に就任。07年からは国連大使を務めた。
■国防大臣−プルノモ・ユスギアントロ(58)

 1951年6月16日、中部ジャワ州スマラン生まれ。カトリック。バンドン工科大(ITB)で石油学を学び、米コロラド大で博士号取得。
 国営石油・ガス会社プルタミナに勤務後、スハルト政権下で鉱業エネルギー相のアドバイザーや国防研究所副所長を歴任、アブドゥルラフマン政権の内閣改造で鉱業エネルギー相に就任。メガワティ、ユドヨノ政権と3政権で同相を歴任した。
 石油輸出国機構(OPEC)の議長も務めた。
■法務人権大臣−パトリアリス・アクバル(51)

 1958年10月31日、西スマトラ州パダン生まれ。ムスリム。84年、ムハマディア大法学部卒。弁護士。
 2004年から国民信託党(PAN)国会議員。07年から同党中央執行委員会役員。09年の総選挙で再選を果たした。
■大蔵大臣−スリ・ムルヤニ・インドラワティ(47)

 1962年8月26日、ランプン州タンジュン・カラン生まれ。ムスリム。86年、インドネシア大経済学部を卒業、米イリノイ大アーバナ・シャンペーン校で修士、博士号を取得。
 インドネシア大教授を経て、2002年、国際通貨基金(IMF)の東南アジア諸国12カ国の代表に就任。04年、ユドヨノ政権で国家開発計画庁長官として初入閣し、05年12月の内閣改造で蔵相に就任。08年6月から筆頭閣僚である経済担当調整相代行を兼任した。
 国内屈指の経済通として知られる。米経済誌フォーブスの「世界で最も影響力のある女性」の2008年版で23位、2009年版で72位に選ばれるなど、国際的に注目を浴びている。
■エネルギー鉱物資源大臣−ダルウィン・ザヘディ・サレ(48)

 1960年10月29日、リアウ州生まれ。ムスリム。インドネシア大経済学部卒。米中部テネシー州大学(MTSU)で経営学修士、インドネシア大学で経済学博士号取得。
 同学部講師を経て、民主党中央執行委員会経済局長に就任。兄の故ジョハン・シャフペリ氏は元駐シンガポール大使。
■工業大臣−モハマッド・スレマン・ヒダヤット(64)

 1944年12月2日、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。
 パジャジャラン大で経済学を学んだ後、不動産部門を中心に事業を拡大し、インドネシア商工会議所(カディン)西ジャワ支部長、インドネシア不動産開発業者協会(REI)会長などを歴任。
 1999年から2期にわたりゴルカル党の国会議員を務め、2004年、カディン会頭に就任。08年に2012年までの任期で再選を果たした。
■商業大臣−マリ・エルカ・パンゲストゥ(52)

 1956年10月23日、ジャカルタ生まれ。カトリック。
 オーストラリア国立大で経済修士号、米カリフォルニア・デービス校で博士号を取得。マクロからミクロまでをカバーするエコノミストとして、国際的評価も高く、国際戦略研究所(CSIS)のエクゼクティブ・ディレクターなどを経て、2004年、ユドヨノ政権で初入閣。華人女性として初の大臣となり、新政権でも留任となった。
■農業大臣−ススウォノ(50)

 1959年4月20日、中部ジャワ州トゥガル生まれ。ムスリム。ボゴール農科大畜産経済社会学部卒。同大農業経営学修士、企業経営学博士号取得。同大で教授を務めた。
 イスラム学生連盟(HMI)ボゴール支部長をを経て、正義党(後の福祉正義党=PKS)副幹事長に就任。2002年からPKS副幹事長。
 05年から、国会第4委員会(農業、水産、林業担当)副委員長を務めた。
■林業大臣−ズルキフリ・ハッサン(47)

 1962年5月17日、ランプン州生まれ。ムスリム。クリスナドウィパヤナ大経済学部卒、経営大(PPM)で経営学修士。
 2000年に国民信託党(PAN)幹部になり、05年、同党幹事長に就任。09年の総選挙で国会議員に当選した。
■運輸大臣−フレディ・ヌンベリ(62)

 1947年10月15日、パプア州スルイ生まれ、プロテスタント。
 71年、国軍士官学校卒、海軍第5司令部(ジャヤプラ)司令官を経て、アブドゥルラフマン政権下で、パプア出身者として初入閣。行政改革担当国務相を務める。駐イタリア大使を経て、2004年のユドヨノ政権で海洋漁業相。今年4月の総選挙では民主党から出馬し、国会議員に当選。大統領選ではユドヨノ選対チームの一員を務めた。
■海洋水産大臣−ファデル・ムハマッド・アルハダル(57)

 1952年5月20日、マルク州テルナテ生まれ。ムスリム。
 78年にバンドン工科大(ITB)卒業後、実業界で活躍。ブカカ・グループなどを率い、インドネシア商工会議所(カディン)幹部も務めた。
 1992−2004年に国民協議会(MPR)議員。ゴルカル党の中央執行委員会幹部などを経て、現在は同党ゴロンタロ州支部長。
 2001年12月、ゴロンタロ州知事に就任。06年11月、州知事の直接選挙の得票率として史上最高となる81%を獲得し、再選を果たした。トウモロコシ協会会長を務めるなど、農業振興にも力を注いでいる。
■労働移住大臣−ムハイミン・イスカンダル(43)

 1966年9月、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。ガジャマダ大政治学部卒業、インドネシア大で情報学の修士号を取得。94−97年、インドネシア・イスラム学生運動(PMII)代表を務める。
 99−2009年、2期にわたり国会副議長を務めた。民族覚醒党(PKB)最高顧問で党創立者のアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領の甥。05年4月、党首に就任したが、元大統領派と対立、裁判でムハイミン派が正統と認められた。
■公共事業大臣−ジョコ・キルマント(66)

 1943年7月5日、中部ジャワ州プンギン生まれ。ムスリム。
 69年にガジャマダ大卒業後、77年にオランダ・デフルトのインフラ・水理・環境工学研究所(IHE)で修士号を取得。
 官僚としてキャリアを積み、公共事業省の計画局長、地域インフラ住宅省の住宅開発総局長などを歴任。2004年10月に地域インフラ住宅省から分離独立後の公共事業相に就任した。
■保健大臣−エンダン・ラハユ・スディアニンシ(54)

 1955年2月1日、中部ジャワ州バニュマス生まれ。ムスリム。インドネシア大医学部で学び、米ハーバード大で公衆衛生学の修士、博士号を取得。
 1979年から1年間プルタミナ病院で勤務した後、80−83年の東ヌサトゥンガラ州の保健所、保健省ジャカルタ事務所などの勤務を経て、2007年2月から保健省生物医学研究開発センターの所長を務めた。2001年には世界保健機構(WHO)本部で伝染病監視・対応担当のテクニカル・アドバイザーの経験もある。
■教育大臣−ムハマッド・ヌー(50)

 1959年6月17日、東ジャワ州スラバヤ生まれ。ムスリム。スラバヤ工科大(ITS)電子技術学科卒業、仏モンペリエの大学で修士・博士号取得。
 84年からITS電子技術学科講師、97年にはスラバヤ・ポリテクニック所長に就任。2003年から06年までITS学長を務めた。
 07年5月、ユドヨノ政権の内閣改造で、情報通信相として入閣した。
■社会大臣−サリム・セガフ・アルジュフリ(55)

 1954年7月17日、中部ジャワ州ソロ生まれ。ムスリム。
 祖父のイドゥルス・アルジュフリ氏は、中部ジャワにイスラムの教育財団を創設、東部インドネシアに約1,800校を設立した著名なイスラム指導者。
 サウジアラビアのシャリア・マディナ大で学士、修士、博士号を取得。DKI銀行シャリア部門の幹部などを歴任、国立イスラム大学などで講師を務めた。
 福祉正義党(PKS)幹部。2005年11月から駐サウジアラビア大使。
■宗教大臣−スルヤダルマ・アリ(53)

 1956年9月19日、東ジャワ州マラン生まれ。ムスリム。シャリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム大卒。在学中はインドネシア・イスラム学生運動(PMII)を率いた。
 85−99年、ヘロー・グループに勤務し、最終役職はヘロー・スーパーマーケット副社長。
 開発統一党(PPP)に入党し、2007年、党首に就任。スハルト政権下で翼賛政党として機能した同党の改革に取り組む。7月の大統領選でユドヨノ連合に参画。ナフダトゥール・ウラマ(NU)出身。
■文化観光大臣−ジェロ・ワチック(60)

 1949年4月24日、バリ州シンガラジャ生まれ。ヒンドゥー教徒。
 バンドン工科大で機械科、インドネシア大で経済学の学士号を取得。
 アストラグループのユナイテッド・トラクター社で技術者として勤務した後、バリでホテルや旅行代理店などを経営。
 2008、09年をインドネシア観光年(ビジット・インドネシア・イヤー)と定め、外国人観光客の誘致を強化した。
 民主党副幹事長。4月の総選挙で国会議員に当選。大統領選ではユドヨノ選対チームの一員。
■通信情報大臣−ティファトゥル・スンビリン(48)

 1961年9月28日、西スマトラ州ブキティンギ生まれ。ムスリム。ジャカルタ情報処理大卒。
 82年、国営電力会社PLNに入社し、通信・データ送信部門で勤務。89年退社後、イスラム学生連盟(PII)などで活動する一方、パキスタンのイスラマバード政策研究所で学ぶ。
 98年スハルト政権崩壊後、ヒダヤット・ヌルワヒッド前福祉正義党(PKS)党首(前国民協議会議長)らとともに同党の前身の正義党設立に参加。2004年10月からPKS党首代行、05年5月から党首を務める。

----------国務大臣----------

■研究技術担当−スハルナ・スラプラナタ(53)

 1955年12月13日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。インドネシア大数学・自然科学学部卒。バンドン工科大物理工学修士。筑波大でリサーチフェロー。
 インドネシア大で教授を務めた。国家原子力庁、科学技術応用評価庁で勤務。
 正義党(後の福祉正義党=PKS)の設立に関わる。2005年にPKS中央諮問会議議長に就任した。
■協同組合・中小企業担当−シャリフディン・ハサン(60)

 1949年6月17日、南スラウェシ州パロポ生まれ。ムスリム。クリスナドゥウィパヤナ大経済学部卒。同大経営学修士、カリフォルニア州立大で経営学博士を取得。イスラム学生連盟(HMI)に所属。IFC社、ユナイテッド・トラクターズ社などに勤務した。
 04年に民主党の国会議員に当選。同党国会会派代表を務めた。
 高校時代に日本留学経験もあり、日本語も堪能。
■環境担当−グスティ・ムハンマド・ハッタ(57)

 1952年9月1日、南カリマンタン州バンジャルマシン生まれ。ムスリム。ランブン・マンクラット大林学部卒。ガジャマダ大科学修士、オランダのワゲニンゲン大で博士号取得。
 ランブン・マンクラット大で環境研究センターを設立。同大で講師を務める。
■女性問題・児童保護担当−リンダ・アマリア・サリ(57)

 1951年11月15日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。父アフマッド・タフィル氏は文化観光相、母ルスリラ・シマンジュンタック氏は国会議員を務めた。
 インドネシア子どもがん財団、乳房健康財団の顧問、インドネシア女性会議(KOWANI)議長を歴任。女性の権利確立や児童保護の分野で精力的に活動する。
 92年にゴルカル党の国会議員となり、98年、国民協議会(MPR)議員に就任。アグム・グムラール元運輸相の妻。
■国家行政改革担当−エフェル・エルネス・マンギンダアン(66)

 1943年1月5日、中部ジャワ州ソロ生まれ。プロテスタント。通信教育機関・公開大学社会科学部卒。
 陸軍トリコラ師団(パプア軍管区)、陸軍指揮幕僚学校長を歴任。95年に北スラウェシ州知事に就任した。
 ゴルカル党の地方支部幹部を務めた後、民主党に移籍。2004年に国会議員に当選し、同党幹事長を務めた。
■途上地域開発担当−ヘルミ・ファイシャル・ザイニ(37)

 1972年8月1日、西ジャワ州チルボン生まれ。ムスリム。東ジャワ州ジョンバンのダルル・ウルム大工学部卒、インドネシア大で政治学修士。
 2004年から民族覚醒党(PKB)の国会議員。05年に同党副幹事長に就任した。
 第2次インドネシア統一内閣の最年少閣僚。
■国家開発計画担当−アルミダ・アリシャバナ(49)

 1960年8月16日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。インドネシア大経済学部卒。米国ノースウェスタン大学で経済学修士、ワシントン大で経済学博士。
 パジャジャラン大学で教授を務める。専門は財政、経済開発、教育経済、マイクロ計量経済。
 アジア開発銀行や世界銀行、豪州国際開発局、国際協力銀行(JBIC)などでコンサルタントを務めた。国家開発計画庁(バペナス)長官を兼任。
■国営企業担当−ムスタファ・アブバカル(60)

 1949年10月15日、アチェ州ピディ生まれ。ムスリム。ボゴール農科大水産学部卒、同大で修士号、博士号を取得。
 79年から85年までラクヤット・インドネシア銀行(BRI)、86年から中銀の世銀担当コンサルタント、海洋水産省監察官を歴任。インドネシア・コンサルタント連盟の会長を2期にわたって務めた。
 2005年12月から07年2月までアチェ州知事代行。07年3月に食糧調達公社(ブロッグ)社長に就任した。
■国民住宅担当−スハルソ・モノアルファ(54)

 1954年10月31日、西ヌサトゥンガラ州マタラム生まれ。ムスリム。バンドン鉱業地質学専門学校卒。カーティン工科大で博士号候補。
 ゼブラ・ヌサンタラ社やステディ・セーフ社で社長を歴任。
 2004年に開発統一党(PPP)の国会議員に当選。07年から同党中央執行委員会会計担当役員を務める。
■青年・スポーツ担当−アンディ・アリフィアン・マラランゲン(46)

 1963年3月14日、南スラウェシ州マカッサル生まれ。ムスリム。ガジャマダ大社会政治学部卒。米国ノーザンイリノイ大社会学修士、同大政治科学博士号を取得。
 ハサヌディン大で講師を務めるかたわら、著名政治評論家として各種メディアで活躍した。2004年の総選挙時には、新政党の民族民主党を設立。同年10月のユドヨノ政権発足で大統領報道官に就任。ユドヨノ氏側近として政権を支えた。民主党中央執行委員会役員。
 弟のチュル氏、リザル氏は政治コンサルタント会社、フォックス・インドネシア社を設立、民主党やユドヨノ氏の選挙運動を主導した。リザル氏は現在、ゴルカル党役員。

----------閣僚級----------

■開発管理調整官−クントロ・マンクスブロト(62)

 1947年3月14日、中部ジャワ州プルウォクルト生まれ。ムスリム。
 バンドン工科大(ITB)で学士、博士号、米スタンフォード大で土木の修士号を取得。
 国家官房庁でキャリアを積み、鉱業系の国営会社役員、鉱業エネルギー省の総局長、投資調整庁次官などを歴任し、ハビビ政権下の1998年に鉱業相。
 2000年に国営電力会社PLN社長。2005年4月に創設され今年4月に解散したアチェ・ニアス復興再建庁(BRR)長官を務めた。
■国家情報庁長官−スタント(59)

 1950年9月30日、中部ジャワ州プマラン生まれ。ムスリム。73年に国軍士官学校の警察部門を主席で卒業、同年にユドヨノ大統領が国軍士官学校を主席で卒業している。
 スハルト大統領の補佐官、東ジャワ州警本部長、国防研究所副所長、国家麻薬委員会(BNN)事務局長などを歴任、2005年に国家警察長官に抜てきされた。
 09年1月に国営石油・ガス会社プルタミナの理事長に就任。
■投資調整庁長官−ギタ・イラワン・ウィルヤワン(44)

 1965年9月21日、ジャカルタ生まれ。ムスリム。
 米テキサス大で会計学の学士号、ハーバード大で行政学の修士号などを取得。
 シンガポール・テクノロジーズ・テレメディア社の国際事業開発担当上級副社長、JPモルガン・インドネシア社社長を務めた後、2008年に投資会社のアンコラ・キャピタル・マネージメント社を創設。同社は昨年のリーマンショック後、大手資源開発ブミ・リソーシーズ社の買収計画などで注目を集めた。09年、プルタミナ社理事に就任した。

----------留任----------
今回の人事に含まれないが、留任を発表した
検事総長、国軍司令官、国家警察長官のプロフィール。


■検事総長−ヘンダルマン・スパンジ(62)

 1947年1月6日、中部ジャワ州クラテン生まれ。ムスリム。72年、ディポヌゴロ大卒。
 79年から最高検でキャリアを積み、バンコク駐在、検事総長特別補佐官、次席検事などを経て、1期目のユドヨノ政権で第2次改造を行った2007年5月に、特別刑事局長から検事総長に抜擢された。
■国軍司令官−ジョコ・サントソ(57)

 1952年9月8日、中部ジャワ州ソロ生まれ。ムスリム。
 75年、国軍士官学校を卒業。陸軍戦略予備軍(コストラッド)第2管区司令官、パティムラ師団(マルク軍管区)、ジャヤ師団(ジャカルタ軍管区)司令官、陸軍副参謀長、参謀長などを経て、2007年12月に国軍司令官に就任した。
■国家警察長官−バンバン・ヘンダルソ・ダヌリ(57)

 1952年10月10日、西ジャワ州ボゴール生まれ。ムスリム。
 74年、国軍士官学校の警察部門を卒業。パプアのジャヤプラ市警署長、西ヌサトゥンガラ、バリ、東ジャワ各州警の刑事局長、南カリマンタン、北スマトラの各州警本部長、国家警察の刑事犯罪局長を歴任し、2008年10月、国家警察長官に就任した。