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■内務大臣−ガマワン・ファウジ(51)
1957年11月9日、西スマトラ州ソロック生まれ。ムスリム。アンダラス大法学部卒。
西スマトラ州広報局長などを務めた後、95年、ソロック県知事に就任。汚職撲滅運動を展開し、汚職撲滅に貢献した人物を表彰するブンハッタ賞を受賞。2005年の西スマトラ州知事選でクリーンさが人気を集めて圧勝した。
地方自治体運営の実績を買われ、大臣に抜擢された。 |
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■外務大臣−マルティ・ナタレガワ(46)
1963年3月22日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)卒業、ケンブリッジ大で修士、オーストラリア国立大で博士号取得。
外務省報道官、同省東南アジア諸国連合(ASEAN)総局長などを歴任し、2005年、駐英大使に就任。07年からは国連大使を務めた。 |
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■国防大臣−プルノモ・ユスギアントロ(58)
1951年6月16日、中部ジャワ州スマラン生まれ。カトリック。バンドン工科大(ITB)で石油学を学び、米コロラド大で博士号取得。
国営石油・ガス会社プルタミナに勤務後、スハルト政権下で鉱業エネルギー相のアドバイザーや国防研究所副所長を歴任、アブドゥルラフマン政権の内閣改造で鉱業エネルギー相に就任。メガワティ、ユドヨノ政権と3政権で同相を歴任した。
石油輸出国機構(OPEC)の議長も務めた。 |
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■法務人権大臣−パトリアリス・アクバル(51)
1958年10月31日、西スマトラ州パダン生まれ。ムスリム。84年、ムハマディア大法学部卒。弁護士。
2004年から国民信託党(PAN)国会議員。07年から同党中央執行委員会役員。09年の総選挙で再選を果たした。 |
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■大蔵大臣−スリ・ムルヤニ・インドラワティ(47)
1962年8月26日、ランプン州タンジュン・カラン生まれ。ムスリム。86年、インドネシア大経済学部を卒業、米イリノイ大アーバナ・シャンペーン校で修士、博士号を取得。
インドネシア大教授を経て、2002年、国際通貨基金(IMF)の東南アジア諸国12カ国の代表に就任。04年、ユドヨノ政権で国家開発計画庁長官として初入閣し、05年12月の内閣改造で蔵相に就任。08年6月から筆頭閣僚である経済担当調整相代行を兼任した。
国内屈指の経済通として知られる。米経済誌フォーブスの「世界で最も影響力のある女性」の2008年版で23位、2009年版で72位に選ばれるなど、国際的に注目を浴びている。 |
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■エネルギー鉱物資源大臣−ダルウィン・ザヘディ・サレ(48)
1960年10月29日、リアウ州生まれ。ムスリム。インドネシア大経済学部卒。米中部テネシー州大学(MTSU)で経営学修士、インドネシア大学で経済学博士号取得。
同学部講師を経て、民主党中央執行委員会経済局長に就任。兄の故ジョハン・シャフペリ氏は元駐シンガポール大使。 |
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■工業大臣−モハマッド・スレマン・ヒダヤット(64)
1944年12月2日、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。
パジャジャラン大で経済学を学んだ後、不動産部門を中心に事業を拡大し、インドネシア商工会議所(カディン)西ジャワ支部長、インドネシア不動産開発業者協会(REI)会長などを歴任。
1999年から2期にわたりゴルカル党の国会議員を務め、2004年、カディン会頭に就任。08年に2012年までの任期で再選を果たした。 |
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■商業大臣−マリ・エルカ・パンゲストゥ(52)
1956年10月23日、ジャカルタ生まれ。カトリック。
オーストラリア国立大で経済修士号、米カリフォルニア・デービス校で博士号を取得。マクロからミクロまでをカバーするエコノミストとして、国際的評価も高く、国際戦略研究所(CSIS)のエクゼクティブ・ディレクターなどを経て、2004年、ユドヨノ政権で初入閣。華人女性として初の大臣となり、新政権でも留任となった。 |
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■農業大臣−ススウォノ(50)
1959年4月20日、中部ジャワ州トゥガル生まれ。ムスリム。ボゴール農科大畜産経済社会学部卒。同大農業経営学修士、企業経営学博士号取得。同大で教授を務めた。
イスラム学生連盟(HMI)ボゴール支部長をを経て、正義党(後の福祉正義党=PKS)副幹事長に就任。2002年からPKS副幹事長。
05年から、国会第4委員会(農業、水産、林業担当)副委員長を務めた。 |
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■林業大臣−ズルキフリ・ハッサン(47)
1962年5月17日、ランプン州生まれ。ムスリム。クリスナドウィパヤナ大経済学部卒、経営大(PPM)で経営学修士。
2000年に国民信託党(PAN)幹部になり、05年、同党幹事長に就任。09年の総選挙で国会議員に当選した。 |
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■運輸大臣−フレディ・ヌンベリ(62)
1947年10月15日、パプア州スルイ生まれ、プロテスタント。
71年、国軍士官学校卒、海軍第5司令部(ジャヤプラ)司令官を経て、アブドゥルラフマン政権下で、パプア出身者として初入閣。行政改革担当国務相を務める。駐イタリア大使を経て、2004年のユドヨノ政権で海洋漁業相。今年4月の総選挙では民主党から出馬し、国会議員に当選。大統領選ではユドヨノ選対チームの一員を務めた。 |
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■海洋水産大臣−ファデル・ムハマッド・アルハダル(57)
1952年5月20日、マルク州テルナテ生まれ。ムスリム。
78年にバンドン工科大(ITB)卒業後、実業界で活躍。ブカカ・グループなどを率い、インドネシア商工会議所(カディン)幹部も務めた。
1992−2004年に国民協議会(MPR)議員。ゴルカル党の中央執行委員会幹部などを経て、現在は同党ゴロンタロ州支部長。
2001年12月、ゴロンタロ州知事に就任。06年11月、州知事の直接選挙の得票率として史上最高となる81%を獲得し、再選を果たした。トウモロコシ協会会長を務めるなど、農業振興にも力を注いでいる。 |
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■労働移住大臣−ムハイミン・イスカンダル(43)
1966年9月、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。ガジャマダ大政治学部卒業、インドネシア大で情報学の修士号を取得。94−97年、インドネシア・イスラム学生運動(PMII)代表を務める。
99−2009年、2期にわたり国会副議長を務めた。民族覚醒党(PKB)最高顧問で党創立者のアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領の甥。05年4月、党首に就任したが、元大統領派と対立、裁判でムハイミン派が正統と認められた。 |
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■公共事業大臣−ジョコ・キルマント(66)
1943年7月5日、中部ジャワ州プンギン生まれ。ムスリム。
69年にガジャマダ大卒業後、77年にオランダ・デフルトのインフラ・水理・環境工学研究所(IHE)で修士号を取得。
官僚としてキャリアを積み、公共事業省の計画局長、地域インフラ住宅省の住宅開発総局長などを歴任。2004年10月に地域インフラ住宅省から分離独立後の公共事業相に就任した。 |
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■保健大臣−エンダン・ラハユ・スディアニンシ(54)
1955年2月1日、中部ジャワ州バニュマス生まれ。ムスリム。インドネシア大医学部で学び、米ハーバード大で公衆衛生学の修士、博士号を取得。
1979年から1年間プルタミナ病院で勤務した後、80−83年の東ヌサトゥンガラ州の保健所、保健省ジャカルタ事務所などの勤務を経て、2007年2月から保健省生物医学研究開発センターの所長を務めた。2001年には世界保健機構(WHO)本部で伝染病監視・対応担当のテクニカル・アドバイザーの経験もある。 |
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■教育大臣−ムハマッド・ヌー(50)
1959年6月17日、東ジャワ州スラバヤ生まれ。ムスリム。スラバヤ工科大(ITS)電子技術学科卒業、仏モンペリエの大学で修士・博士号取得。
84年からITS電子技術学科講師、97年にはスラバヤ・ポリテクニック所長に就任。2003年から06年までITS学長を務めた。
07年5月、ユドヨノ政権の内閣改造で、情報通信相として入閣した。 |
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■社会大臣−サリム・セガフ・アルジュフリ(55)
1954年7月17日、中部ジャワ州ソロ生まれ。ムスリム。
祖父のイドゥルス・アルジュフリ氏は、中部ジャワにイスラムの教育財団を創設、東部インドネシアに約1,800校を設立した著名なイスラム指導者。
サウジアラビアのシャリア・マディナ大で学士、修士、博士号を取得。DKI銀行シャリア部門の幹部などを歴任、国立イスラム大学などで講師を務めた。
福祉正義党(PKS)幹部。2005年11月から駐サウジアラビア大使。 |
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■宗教大臣−スルヤダルマ・アリ(53)
1956年9月19日、東ジャワ州マラン生まれ。ムスリム。シャリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム大卒。在学中はインドネシア・イスラム学生運動(PMII)を率いた。
85−99年、ヘロー・グループに勤務し、最終役職はヘロー・スーパーマーケット副社長。
開発統一党(PPP)に入党し、2007年、党首に就任。スハルト政権下で翼賛政党として機能した同党の改革に取り組む。7月の大統領選でユドヨノ連合に参画。ナフダトゥール・ウラマ(NU)出身。 |
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■文化観光大臣−ジェロ・ワチック(60)
1949年4月24日、バリ州シンガラジャ生まれ。ヒンドゥー教徒。
バンドン工科大で機械科、インドネシア大で経済学の学士号を取得。
アストラグループのユナイテッド・トラクター社で技術者として勤務した後、バリでホテルや旅行代理店などを経営。
2008、09年をインドネシア観光年(ビジット・インドネシア・イヤー)と定め、外国人観光客の誘致を強化した。
民主党副幹事長。4月の総選挙で国会議員に当選。大統領選ではユドヨノ選対チームの一員。 |
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■通信情報大臣−ティファトゥル・スンビリン(48)
1961年9月28日、西スマトラ州ブキティンギ生まれ。ムスリム。ジャカルタ情報処理大卒。
82年、国営電力会社PLNに入社し、通信・データ送信部門で勤務。89年退社後、イスラム学生連盟(PII)などで活動する一方、パキスタンのイスラマバード政策研究所で学ぶ。
98年スハルト政権崩壊後、ヒダヤット・ヌルワヒッド前福祉正義党(PKS)党首(前国民協議会議長)らとともに同党の前身の正義党設立に参加。2004年10月からPKS党首代行、05年5月から党首を務める。 |