テンテナからポソへ向かう行程をキリスト教徒に告げると、だれもが一様に信じられないという表情をして、必死に止めようとした。
多くのキリスト教徒は現在でもなお、ポソ市内に入ることは「死を意味する」と信じて疑わない。宗教抗争が終わったとされる今、キリスト教徒の心を覆う恐怖心は何なのか。
焼き払われた教会は、紛争当時のまま放置されていた
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 | 紛争発生前、トミニ湾に面したポソ市は、イスラム、キリスト両教徒が共存する美しい港町だった
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昨年十一月十六日、州都パルとポソ市を結ぶ街道沿いに捨てられていた乗用車の中で、男性二人の惨殺体が発見された。二人は、テンテナ在住のキリスト教徒だった。
十五日夕、パル方面のキリスト教徒集落へ出掛けるため、自家用車でテンテナを出発。同日夕、ポソ近郊で何者かに乗用車を乗っ取られ、殺害された後に遺体発見現場まで運ばれたものとみられる。
殺された男性の妻は「和平合意には時間と金が費やされただけ。現にポソを通過しようとした多くのキリスト教徒が殺されている。われわれはいつになったら安心して暮らせるようになるのか」と目に涙を浮かべて訴えた。
和平合意後に設置された和平監視団によると、昨年一年間にポソで起きた爆弾・襲撃事件などは計六十九件、死者は三十五人に上り、ポソの住民が安心して暮らせる平和は、いまだ訪れていないことが明らかになっている。
■殺伐とした人々の表情
テンテナから南へ向かうキリスト教徒のバス運転手は、ポソ市約四キロ手前で「もうこれ以上先は行けない」と泣きついてきた。
テンテナを出発して約一時間。モスクや住居の焼け跡、キリスト教徒の避難民キャンプが車窓を流れる回数が増し、ちょうど国軍の駐屯地を過ぎた直後だった。
仕方なくイスラム教徒が運転するオジェック(バイク・タクシー)に乗り換え、ポソ市内に入った。
中心部のスマトラ通りへまず向かった。小規模の爆弾事件が相次ぎ、昨年十一月末には市内に「警戒(シアガ)1」が発令されたが、バスの発着所、ホテル、市場などは通常通り営まれていた。道端では子供たちが戯れ、オジェックの運転手たちが木陰で昼寝をしていた。
ただし、町全体に流れる空気は、決して穏やかなものではなかった。
かつてのキリスト教徒の居住区には、教会や住居の焼け跡が痛ましく残る。憎しみの傷跡が町全体の空気を侵食し、人々の表情に殺伐とした影を落としていた。
北の外れの港から、高い山々に囲まれたすり鉢状の底辺にある町を見渡した。今にも雨が降り出しそうな天候で、黒い雲が頭上を覆っていた。
ポソを覆う「黒い雲」はいつ晴れるのか。
十字架やコーランを胸に、必死に神に救いを求め続ける弱者は、一体いつになったら陽の光を浴びることができるのか。
答えの出ない自問を何度も繰り返した。