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2004年1月6日 じゃかるた新聞掲載

スラウェシ街道(2)

在留邦人に連帯感 マカッサル・ロサリ通り
 一九九七年の反華人暴動は、マカッサルに在住する邦人にとっても衝撃的な事件だった。暴動時、華人の家と間違えられて襲撃されないよう、多くの邦人が門前にイスラム教徒の礼拝用じゅうたんなどを掲げた。
「ニュー将軍」を経営する西川さんとユリア夫人
「ニュー将軍」を経営する西川さんとユリア夫人
海岸沿いのロサリ通りの夕景色
海岸沿いのロサリ通りの夕景色
 「暴動が発生した夜、警察や軍は翌朝まで出動せず、町には銀座の歩行者天国のような騒ぎで暴徒が埋まっていた。今夜で死ぬのかな、と思った」と当時から住む邦人は振り返る。
 あれから五年、経済成長の恩恵を受けたマカッサルは、何事もなかったかのように栄えている。在マカッサル領事館によると、マカッサルの在住邦人は約百人(当時約百五十人)まで回復した。

■ロサリ通りの「将軍」

 市内海岸沿いにあるロサリ通り。「世界三大夕陽」として知られる美しい夕陽の景勝地は、日没時、夕涼みを楽しむ市民らでにぎわっていた。
 市民に愛されたこの通りの北端に、マカッサルの唯一の日本食レストラン「ニュー将軍」がある。
 店主の西川清澄さん(四七)は、一九八三年に水力発電所建設のコンサルタントとして駐在。八五年にユリア夫人と結婚後、義兄の店を引き継ぐ形で開店した。
 在住邦人の情報交換の場や憩いの場としてだけでなく、客層の九割以上を占める地元客に親しまれ続けている。開店十二年で、客の中には「二世代目」も多い。

■村社会の連帯で生きる

 西川さんは「暴動は、約十五年周期で起こる住民の『ガス抜き』のようなもの。九七年当時はエルニーニョ現象の影響で井戸水が枯渇していた。そのうっぷんが彼らを暴動に駆り立てたのだろう。今後、対日感情が悪化しないようにするためにも、ここの邦人一人一人が共同責任を負っていると思う」と語った。 
 西川さんは約十年前、市北西沖六十五キロのカポポサン島に、六部屋のコテージを開いた。趣味が高じて手に入れた「最後の楽園です」と西川さん。週末には在留邦人の友人と連れ立ってこの島でダイビングを満喫する。
 西川さんは、マカッサルの邦人コミュニティーを「村社会」と笑ったが、村社会でなければ得られない連帯感を共有し、豊かな自然の中で悠然と生きている姿が印象的だった。

つづく


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