「チンタ(愛)に何があったのか?」「ジュランクン」などのヒット作が登場し、活気付いてきた国内映画界復興の原動力となったリリ・リザ監督(31)がこのほど、「エリアナ、エリアナ」を発表、ジャカルタでの上映はわずか二十日ほどで打ち切られ、映画ファンの幅広い支持を得ることはできなかったが、近年のヒット作とは色合いが異なるシリアスタッチのヒューマンストーリーとして批評家の高い評価を得た。十四日間という短期間に低予算で作り上げた秀作は、全編通して手持ちのデジタルカメラで撮影、クルーの人数や照明設備も最小限に抑えるなど、多彩な試みに満ちている。何故、この実験的とも言える作品に取り組んだのか。制作に至るまでのエピソードや映画との関係について聞いた。
−制作のきっかけについて教えてください。 ◆リリ これまでの仕事で、多くの女性と接してきました。まずは、友人のミラ・レスマナ。パートナーとして一緒に仕事をしてきました。スマトラの女性に関するドキュメンタリーも二本作り、制作過程で女性についてのリサーチやインタビューを繰り返しました。
|
「エリアナ、エリアナ」で5年ぶりの再会を果たしたブンダ(左)とエリアナ
|
一方で、我々が抱える普遍的な問題である人間関係、コミュニケーションの難解さについて、飾り気のない小作品を作りたいと思っていました。それを全部結び付けて生まれたのが「エリアナ」です。
−どれくらい前の話ですか。 ◆最初にコンセプトを考えついたのは二年ほど前、「シェリナの大冒険」を撮り終えた二〇〇〇年三月ごろです。
アイデアをいろいろこねくり回しているうちに、ほかの構想も湧いてきました。しかし、私の琴線に触れるようなものはなく、いま頭の中で思っているような問題に近づけるものではなかったので、「エリアナ」を続けたのです。そして、シナリオを作り上げました。
−テーマにジャカルタを選んだのはどうして。 ◆これまでにジャカルタを描いた映像作品は数多くありますが、まだ、表現されていない部分もたくさんあります。
例え、それがわれわれの誇れないようなものであったとしても、映画制作者、芸術家として、映像化すべきだと思ったのです。
−ジャーナリスト的なアプローチだといえますね。 ◆その通りです。映画制作者の使命は、部分的にはジャーナリズムと同列だと思います。
また、ジャカルタの人口のだいたい八〇%は、全国各地から集まった地方出身者で、非常にバラエティーに富んでいます。そしてこれらの人たち、特に女性は、悲喜こもごものドラマを持ち合わせているのです。
リリ監督は、北野武の信奉者であるとともに、小説家の村上春樹、歌手の椎名林檎も好きだという日本びいきでもある。「日本からは多くのインスピレーションを受けている。何故、日本に惹かれるのかは分からない」というが、日本に出稼ぎに行ったインドネシア人男性とそこで出会った日本人女性の恋愛をオムニバスの一作として描く新作の構想も進行中だという。
−日本人向けカラオケの密集するムラワイを撮影場所の一つに選んだのはどうしてですか。 ◆ムラワイには、日本のお店がたくさんあり、とても興味を惹かれました。そこにいくと、すべてが休むことなく活動しています。
何故そこに行ったのか。そこでは色とりどりの人生があります。多くの偏見の中にも、生に対するひたむきな希望や熱意があると信じていました。
また、「エリアナ」は夜から翌朝までの一晩の物語です。そのため、夜でも映像化するに値するエネルギーを持った場所を必要としていたというのも理由の一つです。
|
ジャカルタの地図をバックにリリ監督
|
−これまでカラオケに行ったことはありましたか。 ◆制作前に一度だけ入り、雰囲気などを調べました。普段、われわれがその内部を見ることはめったにありません。逆説的に言えば、虚構の世界を作り上げる自由を与えられたということです。
本当は女性を脇に坐らせたお客が、お酒を飲みながら歌ったりする場所なのですが、それではしっくりこないと思いました。登場人物の個人的な人間関係を取り上げていることもあり、場面設定を敢えて騒がしい舞台上でなく支度部屋にしたのです。
−それでは、日本人が歌っているシーンなどは考えなかったと。 ◆日本人が歌って、騒いでいるような様子は、とても必要でした。インドネシア人の友人にかたっぱしから声をかけましたが、見つかりませんでした。
けど、エリアナが支度部屋から外へ出て、ブンダとけんかをするシーンでちょっとだけ日本人の歌声が入っているんですよ。近くにあったお店の一つから聞こえてきたみたいです。
ムラワイは非常にユニークな雰囲気を持ち合わせています。毎晩お店が閉まる時間帯になると、千人近くもの女性たちが、送迎の車に乗るために列をなし、日本人は酔っ払って賑やかに歌いながら店から出てきたり。私にしてみれば「ここはどこ?インドネシアじゃないみたいだ」という気分です。
これらの女性たちを通じ、人間の弱さを描きたいと思っていました。私が今回取り上げたのは、偏見や悩みなどの困難に対し無力な女性たちです。不幸にもアジアの女性たちはまだまだ、「女性はこうあるべき」というような伝統的な価値観や風習でがんじがらめになっているからです。
リリ監督は、シナリオについて学ぶため、奨学金を受け、英国に一年間留学している。米国では、映画が商品として扱われているのに対し、英国では重要な芸術の一つとして位置付けられているのがその大きな理由だったという。
−あなたにとって映画とは。 ◆私にとって映画とは、感情表現の方法の一つ。高飛車な言い方かもしれませんが、映画制作者は芸術を理解していなければなりません。逆に、芸術を理解するための努力を怠ることができないという点で、私はこの職業につけたことを幸せに感じています。
また、映画というのは、他人の心の中に潜り込むための扉だとも言えます。
「エリアナ」にしても、ジャカルタの社会問題だけでなく、人々の感情の高まり、恐怖など、より深遠な問題を描くことで、観客を感情の渦に巻き込もうとしています。
映画は私の人生そのものです。私は映画のために生きていて、映画こそが私に生命を与えてくれていると言ってもいいでしょう。
「『エリアナ』はごくパーソナルな作品。自分を取り巻く焦燥感を表現したかった」というリリ監督は、本作でシナリオライター、プロデューサーも兼任。過保護な母親ブンダに反抗し、西スマトラ州パダンから上京したエリアナが、自立しようと奮闘しながらも、ブンダとの一晩の再会を通じ、本当の母親の愛情というものを理解していく姿を、首都ジャカルタの夜の賑わいとともに繊細かつエッジの効いた映像で描いた。主な登場人物は、エリアナとブンダ、エリアナの親友でカラオケに務めるラトナ、姉貴分として慕っているヘニ、タクシー運転手の五人。運転手以外は女性が占めていることから、「フェミニズム色の濃い作品では?」との声も相次いだが、リリ監督は「特に意識はしていない。結果的に女性が大部分を占めてしまっただけ」と語っている。
◆リリ・リザ◆
1970年10月2日、南スラウェシ州ウジュンパンダン(現在のマカッサル)に8人兄弟の7人目として生まれる。父親は熱心なイスラム教徒で、旧情報省でスハルト政権の政治宣伝映画を担当していた。
93年、ジャカルタ芸術学院(IKJ)卒、卒業制作の「Sonata Kampung Buta」はドイツの短編映画祭で第3位に入賞。95年には、アシスタントとして、英国映画「ビクトリー・遥かなる大地」のジャワロケに参加する。
同年、国内テレビシリーズの「千の島の子どもたち」で2編を担当、98年にはテレビ向け作品「僕の日記」を発表する。友人の映画監督3人と共同制作した「クルドゥサック」(98年)では、批評家の間で賛否両論を巻き起こす。
2000年、単独の長編映画デビュー作となる子ども向け映画「シェリナの大冒険」を発表、「ミッション・インポッシブル2」などをしのぎ、年間トップの興行成績を収めた。イギリスに1年間、留学した後、「チンタ(愛)に何があったのか?」でプロデューサーを務め、歴代1位となる200万人以上の観客動員数を記録した。
ウィリタ・プトゥリンンダ夫人との間に今月10日、待望の長男リアム・アマデオ君が誕生した。163センチ、52キロ。