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2003年12月2日 じゃかるた新聞掲載

マルクは今(3)
小松邦康
(旅行作家)
テルナテ到着 ゆったりと流れる時
 五日目の朝、最後の寄港地、北スラウェシのビトゥンではフィリピンからの貨物船を見かけた。フィリピン人はインドネシア語を話した。ミンダナオ島までは一晩だという。
 ここからシナブン号ははるかに定員をオーバーし、通路まで乗客があふれた。そしてありとあらゆる貨物がクレーンで積み込まれた。
 テルナテやパプアまで運ばれる野菜がデッキに積み上げられ、段ボール箱から顔を出した鶏の鳴き声が船内に響きわたるようになった。人間は荷物でふさがれた通路の隙間を歩かなければならなくなった。
 マルク紛争時、島々を結ぶ貨物船が減って以来、客船が貨物船も兼ねるようになったという。「アルバイト」の味を占めた客船は、平和になった今も貨物を満載し航行を続けている、と港の業者が教えてくれた。
 夕方、テルナテ島にそびえるガマラマ山が見えた。山頂からは白い煙が少し出ている。周囲十五キロほどの島を半周し接岸した。ジャカルタから飛行機なら五時間の距離を九十五時間かけた船旅だった。
 ちょうど断食の終わりを告げるアザーンがいくつものモスクから聞こえてきた。ゆっくりとした時が流れている。
活気が戻ったテルナテでは馬車も走る
活気が戻ったテルナテでは馬車も走る
 テルナテは驚くほど賑やかで、活気に満ちていた。断食を終えた島中の人たちが町へ繰り出して来たかのようだ。そして屋台でのどを潤し、夜店を冷やかしている。乗り合いのベモは渋滞し、中央分離帯では花火のような電飾がピカピカしている。モスクや教会のネオンも負けずに輝いている。
 ホテルはどこも満室で十三万ルピアも払ったのに、壊れたシャワーからはお湯が出ず、蚊が音を立てて飛び回る部屋しか空いていなかった。
 テルナテは十三世紀以降に王国が栄え、チョウジやナツメグなどの香料貿易で勢力を拡大し西洋列強と渡り合った。アラブ人や中国人などが住み着き、混血も進んだ。百四十年前、イギリスの博物学者ウォーレスもテルナテに滞在した。
 香料の収穫期には島に甘い匂いが漂い、緑豊かで気候が良く、貧富の差が少ない。人口六万人の九割はイスラム教徒で、キリスト教徒と共にのんびりした暮らしを続けてきた。
 しかし九九年十二月、テルナテにも宗教紛争が飛び火して来た。そして民族浄化が進み、イスラム教徒しか住めない島になってしまった。その後二千五百人というマルク紛争最大の死者を出した隣のハルマヘラ島からは、テルナテの人口を上回る避難民が押し寄せて来た。
 紛争の真相はよく分からない。当時はハルマヘラ島にある金鉱の利権をめぐる政争や、北マルク県から北マルク州に昇格した権力闘争があった。それをスハルトファミリーにつながる人物や国軍関係者が扇動者を使って煽り、住民同士の宗教紛争に発展させ、国内の混乱を理由に復権を狙ったと言われている。

つづく


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