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枕の上の葉の三少年


はだしのカンチル(左)とスグン
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第4回 援助の視点

社会が路上を包む

「少年たちは社会の構成員であり、明日があり、未来がある」

 マリオボロ通りの少年たちに「お金がたくさんあったら何をしたい」「里親が見つかったらどうするか」と聞いても、当惑したように「分からない」という答えが返ってくるばかりだ。路上に住んだことのない傍観者の質問は、少年たちにとって、現実味のない問いであるようだ。

 朝起きる。靴磨き、ギター弾き、観光ガイドなどでわずかな稼ぎを探す。お金があったら、あるだけ使う。貯金はしない。寝る。その繰り返し。年をとったらスラムかカンプンに移って暮らすことになるのだろうが、今の彼らは未来を思い描くことはしない。

 社会から排除された少年たちは、最貧層に向けられた政府のソーシャル・セーフティー・ネット(社会的弱者救済)からさえ、排除されている。支援を受けるには住民登録証(KTP)が必要だからだ。

 スグンが「枕の上の葉」で演じた少年−殺し屋に間違って刺殺される−は、ジョクジャの街に実在したドドという少年で、スグンと同じように親に捨てられた。

 ドドが死んだ時、KTPを持たなかったため、当局はドドの遺体を共同墓地に埋葬することを拒否した。これを聞いたマリオボロ通りの少年たちやカンプンの住民、メディアが一斉に当局を非難した。これらの世論が圧力になり、ドドは三日後に埋葬されたという。

 失業率が二○%を超えるともいわれるインドネシアでは、たとえ職業訓練学校へ行けたとしても、路上の少年がインフォーマル・セクター以外の職を得ることは不可能だ。

 社会から何の保護も受けない少年たちは、自らが自立することについて強烈な意識と誇りを持つ。「一番大事なことは自由だ」と口をそろえる。しかし、自由とは何の保障もないことの裏返しだ。

 少年たちの好きなテレビ番組は「パトロリ」という犯罪ニュースだ。手錠をかけられた人や死体の映像を異常な熱心さで、食い入るように見つめている。いつ暗転するかもしれない自分の姿を見つめているようだ。

 「皆で『枕の上の葉』は何度も見に行った。いい映画だと思う。いつも、悲しい気持ちになってしまうけど…」。映画の中で、カンチルにけ飛ばされるちょい役で出演したアセップは語る。

 映画の主役を演じたヘルー、カンチル、スグンの三人の少年は、マリオボロの少年たちの代表として受け止められている。映画「枕の上の葉」で描かれたのは、現実そのものだったのだ。

 結婚するまでの六年間、非政府組織(NGO)活動家として路上生活を体験したキリックさんは「路上には路上の社会がある。少年たちの『社会復帰』ではなく、社会の側が路上の社会を包み込み、社会全体で解決策を探るしかない」と語る。

 「路上の少年も人間であり、社会の構成員であり、明日があり、未来がある、と社会が認めるべきだ。そうした視点から対策を練り直す必要がある」

 キリックさんの活動は路上の社会を組織化することに重点が置かれている。音楽やドラマのワークショップを通じ、一般の社会と路上の社会を融合させ、潜在的な衝突の芽をなくす。

 少年たちの健康を守る移動診療所の活動を支えるために、医者グループを組織する活動が始まっている。

 「枕の上の葉」は日本の岩波ホール、ジャカルタの在留邦人向けにも上映され、多くの日本人を「何かをしたい」という気持ちに駆り立てた。岩波ホールの募金箱に二百万円以上、ジャカルタで約一千万ルピアが集まったことがそれを示している。われわれができる支援は何だろうか。考えている。


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