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枕の上の葉の三少年


マリオボロ通り近辺を根城にするスグン
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第3回 二人の彷徨

真の居場所を求め

他人から与えられた家は「やることがなくて、退屈だった」

 ジョクジャカルタから、Eメールが届いた。差出人は「スリスルタンジョクジャ@ホットメール・コム」。

 「ジャカルタはどう? 最後に会いに来てくれた時、寝ていたのでごめんね」とあった。路上生活を続けるスグンからだった。

 スグンとカンチルの二人は、映画が完成した後、ジャカルタのスディルマン通り裏手にあるクリスティン・ハキムさんの家に引き取られた。しかし一年も経たないうち、二人はハキムさんの家を離れた。なぜだったのか。気にかかった。

 ハキムさんの家では、午前中は学校へ行き、午後はテレビを見たりコンピューターゲームをしていた。「やることがなくて退屈だった」と話す。

 インドネシアを代表する女優の家の生活は、たとえそれが豊かなものであったとしても「他人から与えられたもの」という思いにさせられたに違いない。

 路上で暮らす少年たちは自立への意識が強烈だ。それが彼らの唯一の誇りだからだ。いつも自由でありたいというスグンやカンチルの価値観と、ハキムさんが二人に伝えようとした社会の価値観の間には、大きな開きがあった。

 「家の人にお金をねだったけど、くれなかったので、(ハキムさんの)家にあった自転車を盗んで売り払った。復讐してやったんだ。そのお金を旅費にしてジョクジャに戻って来て、お金の残りは仲間と分けた」とスグン。ハキムさんが招き入れた家は、スグンやカンチルの家にはならなかったのだ。

 スグンは八歳の時、親に捨てられた。失業した両親はスグンを連れてスラバヤ近郊のシドアルジョに来た。三日間過ごした後、「スラバヤに行って来るから待っていなさい」と言い残して家を出て、そのまま戻って来なかったという。

 映画に登場したことにも支えられ、昨年、スグンは家族を捜そうと試みた。それを手助けした非政府組織(NGO)、「HUMANA」のキリックさんによると、スグンは、両親と一時滞在したシドアルジョの家をはっきり覚えていなかった。

 かすかな記憶を頼りに三日間かけてカンプンを探し当てた。両親と離ればなれになったカンプンをオジェックで走りながら、スグンは「あ、ここだ」と思い出した。だが、それ以上の手がかりは得られなかった。

 マリオボロの少年たちが路上生活をすることになったのには、家庭内暴力や貧困などさまざまの理由が絡んでいるが、突然、失踪した両親や、虐待をした肉親と再会を果たすことは全員の夢だ。

 ところが、スグンのように両親との最後の接点だった場所さえ覚えていないケースが多く、肉親との再会に成功するのは三割。再会できたとしても、家族に受け入れられるのは、その三分の一だけという。ほかは「入れ墨がある、世間体が悪い」などの理由で拒否される。

 断食明けのレバラン。日本のお正月に当たるその期間、少年たちは無性に家に帰りたくなる。しかし、どこへ帰ったらいいか分からない。仕方なく駅で適当に切符を買って別の街へ行き、再びジョクジャに帰ってくる。

 「彼らが切望してやまないのは家族であり家なのです。政府や慈善団体が提供するシェルターは家ではないのです」とキリックさんは強調した。


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