「私の父は今年で百四十七歳になるのよ」―年の瀬でにぎわうワルン(屋台)で、中央ジャカルタのクボン・ムラティのカンプンに住むロミアティさん(五三)から、信じられない話を聞いた。現在、ギネスブック認定の世界長寿記録は、鹿児島市の本郷かまとさんの百十五歳だったはず。ロミアティさんが誇らしげに語った父の長寿が事実だとすれば、世界記録を三十年以上も更新する大ニュースとなる。期待を胸に、ロミアティさんのお宅を訪ねてみた。
廃品回収の仕事をするロミアティさんの家を訪ねると、隣のカンプンに住むという父のダルモ・トゥギマンさん(一四七)を迎えに行ってくれた。
待つこと数十分、ダルモさんはロミアティさんの家へ、だれの手助けも借りず、腰を曲げてゆっくり歩いてきた。耳が遠く、言葉ははっきりしない。白いひげと顔の深いしわが、年輪を感じさせる。だが、一世紀以上を生きた人とは思えぬ元気さだ。
「オランダ語とジャワ語しか話せない」というダルモさんは、娘の通訳を通じ、ボソボソと語り出した。
ダルモさんは一八五五年(安政二年)、中部ジャワ州ウォノソボ生まれ。オランダ植民地時代、マグランの蘭系鉄道会社に勤務。インドネシア独立後、行商などを営み、約四十年前にジャカルタに移住してきた。
■長寿の秘訣はコメ
生涯に五人の女性と結婚し、九人の子供に恵まれたが、最後の妻だった故サルミナさんとの間に生まれたロミアティさんとトゥテさん(三七)を除く子供や妻はすでに亡くなっている。
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家族に囲まれるダルモさん
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ダルモさんは、娘の家に近いコスで一人暮らし。好物はナシ・サユール(野菜炒めご飯)だ。一日三食、必ずコメを食べるという。世界一の長寿の秘訣を尋ねると、「毎日、米を食べているからだ」と自信にあふれた表情で答えた。
ところで、百四十七歳のダルモさんと五十三歳のロミアティさんの年齢差は九十四歳。ダルモさんが九十四歳の時、ロミアティさんが生まれたことになる。どうも疑わしいので、住民登録証(KTP)を見せてください、とお願いしたところ、「ずいぶん前に無くしてしまった」とのこと。もちろん、それには生年月日が記録されていたという。
■KTP記録が怪しい
世界一長寿の証明はできず、残念な結果に終わったが、取材を重ねていくと、実はKTPに「長寿」のナゾが隠されているようだ。
インドネシアでは、独立後の一九五〇年代からKTPが発行されるようになったが、発行の時点で、自分の年齢を正確に覚えていないインドネシア人が多く、年齢があいまいなまま登録。日本軍が占領した年や火山が爆発した時に、大体何歳だったかを基準に登録したケースもある。イスラム歴と西暦の間に一年間で十一日の差があるので、そのずれが年齢差になっていることもある。
■ジャワ人の誇り
一九九五−二〇〇〇年の統計によると、インドネシアの平均寿命は、男性六三・三歳、女性六七・〇歳。
一般にインドネシアは衛生状態が悪いために幼児死亡率も高いが、ジャワ地方は高齢者が長生きできる環境にある。「元々ジャワは世界に誇る長寿国です」「ジャワ料理を食べていれば長生きできる」と答える人が多いのはそのためだ。
■マドゥラ島に150歳の人
中部ジャワ州スマランのインドネシア記録博物館に問い合わせたところ、同事務所のパウルス・パンカさんは「東ジャワ州マドゥラ島の住民で、自称百五十歳の老人がいるとの情報を得ており、目下、調査中です」と語った。「ジャワには『村の最長寿』を自称する人は数え切れないほどいます。でも、どれも信ぴょう性が薄く、公式な記録保持者は、まだいません」との返事だった。
ちなみに日本人は男性七八・〇七歳、女性八四・九三歳で、日本は世界一の長寿国。