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2004年1月23日 じゃかるた新聞掲載

華人メディアが本格化 中国紙とニュース提携
 国際視野の華人像探る

 華人の文化活動を弾圧したスハルト政権崩壊から五年以上が経過し、インドネシア文化の一つとして定着した華人のメディアが多様化している。急成長する中国本土の情報を伝える中国語の新聞が販売部数を伸ばす一方、インドネシア語でタブー視されてきた華人問題を正面から論じる専門誌も発刊された。「国際日報」と月刊誌「シネルギー・インドネシア」の二人の編集長との対話から、国際的な視野に立った華人の成長に期待をかけ、インドネシアにはなかった硬派メディアを成功させようとする熱意が伝わってきた。

日刊「国際日報」−中国語ブーム背景に成長

 国際日報(本社・中央ジャカルタ・プチェノンガン)は二〇〇一年四月、ジャワ・ポス・グループの華字紙として創刊。約三年間で発行部数三万部を誇る国内最大の華字紙に成長した。衛星を通じて送信し、ジャカルタのほか、メダン、スラバヤ、ポンティアナックと華人の多い四都市で印刷する。
 インドネシア華人である李卓輝(リー・チョーフイ)編集長は「この五年間で多数の華字紙が発刊されたが、残っているのは約七紙。三十二年間で、華人の中国語能力は極度に低下したことを改めて痛感した」と話す。

■読める華人は100万人

 同編集長の推計によると、全国の華人を約一千万人とした場合、このうち三割は、会話はできるが読み書きはできず、読解能力があるのは約一割の百万人ほどだという。
「中国語の使用者は増加する」と楽観する李編集長
「中国語の使用者は増加する」と楽観する李編集長
 「しかし、この五年間で中国語の語学学校は大繁盛するなど、アジアの国際言語として、中国語を理解する若者は増加している」と語り、中国語の普及とともに新聞の成長は間違いないと楽観する。
 編集部には中国語が飛び交い、机の上には中国語の手紙が山積みされている。インドネシア大学などで中国語を習得し、中国語で記事を書くプリブミ(土着のインドネシア人)の記者も四人ほどいるという。

■中国本土の最新情報も

 李編集長は「中国を脅威と考えるのは間違っている。インドネシアの華人に中国の情報を早く的確に伝えることができれば、両国の関係も強化されていくはずだ」と強調する。
 中国紙との提携も多彩だ。中国本土の最新情報を伝えるため、人民日報、文匯報の海外版を別冊として折り込む。インドネシアの国内ニュースは、イスラム系政党幹部と華人実業家の会合など、インドネシア語の新聞には登場しない情報が満載されている。

■中小企業育成が重要

 華人が標的となった一九九八年の五月暴動から五年。「われわれは生まれも育ちもインドネシア。時代の波によって華人は標的となってきた。いつの日か再び襲われるかもしれないが、これは政治・社会的問題であり、回避する努力をすることが重要だ」。
 李編集長は「スハルト政権の最大の誤りは、特定の華人実業家を優遇し、同時に華人は金持ちとのイメージを植え付け、経済格差から生じる怒りの矛先を華人に向けさせたことだ」と述べ、華人だけでなくプリブミの中小企業の育成が緊急課題だと指摘した。

月刊誌「シネルギー・インドネシア」−差別のタブーに挑戦

 「プリブミの華人に対する差別意識を変えるには、インドネシア語で華人問題を伝えなければならない。華人だけで議論しても自己満足に終始するだけだ」
 タン・スウィ・リン編集長は昨年三月、月刊誌「シネルギー・インドネシア」を創刊。これまで一般誌ではタブー視され、めったに取り上げられることのなかった華人問題をさまざまな角度から論じる。
「華人問題をオープンに議論すべき」と話すタン編集長
「華人問題をオープンに議論すべき」と話すタン編集長
 華人差別の象徴でもある国籍証明書(SBKRI)をめぐる問題、近代史の検証、華人評論家による政局分析、華人に関するイベントや本の紹介などを取り上げている。
 「スハルト政権下では、少数派を多数派に同化させようとした。華人は他者ではなく、同じインドネシア人なのだという見方を広めなければならない」

■まだ残る華人監視

 スハルト政権崩壊後、多数の華字紙が発刊されたが、タン編集長は「インドネシアの華人問題を議論するメディアはなかった。華人の差別問題をタブー視する傾向は変わっていない」と指摘する。
 タン編集長は「以前のような強大な権力ではなくなったが、現在も国軍戦略情報庁や国家情報庁が華人の監視を続けている。差別的な法令が六十以上も残っているからだ」と述べ、華人監視用の指針が書かれた三冊の本を見せてくれた。

■憲法改悪に抵抗

 華人問題研究所所長でもあるタン編集長は、政府の華人政策にも積極的に提言を行っている。昨年八月の憲法改正審議では、正副大統領の資格として「土着のインドネシア人」という表現が盛り込まれたことに抗議、国民協議会議員と協議し、削除することに成功。法的には華人でも大統領になれることになった。
 シネルギー誌では、こうした問題の特集記事を組み、多角的に検証する。
 「この後、政府が策定した大統領選挙法案には、改正前の表現が再び使われていた。華人を同列に扱いたくないという政府高官の本心が見て取れる。華人問題は時間をかけ、オープンに話し合っていくことが重要だ」と強調した。



2003年1月31日 じゃかるた新聞掲載

中国語駆使する新世代 華人メディアを育てる
 アジアの「中国」発信

 華人の文化活動を弾圧したスハルト政権が崩壊して間もなく約五年。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、三十二年間にわたるスハルト政権下で禁止されていた中国語のメディアは、インドネシア文化の一つとして着実に成長し、競争も激化している。中国に留学したり、大学で中国語を専攻して中国語を習得し、本格的な中国語を駆使する若者が、新たなメディア作りに励む現場を取材した。

■リスナーのなまり多様

 中国語の番組が過半数を占めるFMラジオ局「チャクラワラ」(98・45MHZ)は、オランダ時代の建物が並ぶコタ駅前にある。
 二十四時間ノンストップで、全体の約六割が中国語だが、インドネシア語と英語の番組もある。可聴地域は首都圏一帯と広く、各地のリスナーが中国語でリクエストを寄せてくる。
中国語でリスナーに話しかけるアイリーさん
中国語でリスナーに話しかけるアイリーさん
 「リスナーの電話は、なまりも多種多様。言おうとしていることがなかなかつかめず、最初は大変でした」
 メダン生まれのアイリーさん(二六)は、二年間中国へ留学、中国の標準語とも言えるマンダリンを習得した同局の人気DJだ。
 「インドネシアの華人が話す中国語は、福建、客家、潮州のほか、ジャワ語、バタック語など地方語の影響が強い。だれにでも分かる、マンダリンのような標準的な中国語の必要性を感じている」
 DJのほか中国語教師も務め、中国正月は、ショッピングモールなどで開かれるイベントの司会業にも引っ張りだこ。「中国語と英語は、ジャカルタのような大都市では不可欠になりつつある」と話す。
 チャクラワラは一九七一年に開局。スハルト政権下では、インドネシア語に翻訳した中国語圏の曲を放送してきた。ハリー運営部長は「一時間に一曲なら当局をごまかせるだろうと、こっそり中国語の曲を挿入していたこともある」と振り返る。
 スハルト政権崩壊後、中国語番組を開始。自由化を推進したアブドゥルラフマン政権下で、放送時間を大幅に増やし、まったく新たなラジオ局に生まれ変わった。
 ハリー氏は「中国語メディアは軌道に乗りつつある。中国語を話せない若者が、ビジネスに必要な国際語として学び始めたが、まだ端緒についたばかりだ」と語った。

■中国文化を庶民に紹介

 芸能誌「アシアングリッツ」は二〇〇〇年に創刊。香港、台湾、中国、日本、韓国の芸能人の写真とともに、若者言葉を多用したインドネシア語の記事が並ぶ。
 「中国ドラマがテレビに氾らんしているのに、俳優や歌手などに関する情報は非常に限られていた。専門誌の需要はかなり高いと確信した」
 同誌編集長のルシア・ジュニアさん(二九)の予想は適中し、約三年で約七万部を発行する人気雑誌に成長した。
 ルシアさんは「中国ドラマのファンは、華人だけではない。すべてのインドネシア人に受け入れられるような誌面作りを心がけている。最近、美白クリームの広告なども入るようになったが、色白願望の強いインドネシア人女性の読者も多いということの証拠です」と話す。
 台湾のアイドル・グループ、F4がインドネシアでもブレイク、競合誌が続々と登場した。生き残りをかけた誌面改革は欠かせず、台湾、香港、シンガポールでの現地取材を充実させている。
 中国語は取材、情報収集に不可欠。同誌記者のフランシスカさん(二四)は、「マスターしたと言えるほどの語学力はないが、シンガポールでの取材はスムーズにできた」と話す。
 インドネシア語の家庭環境で育ったが、インドネシア大学文学部で中国語を専攻、中央ジャカルタ・パサールバルの華字紙「新生日報」で記者を務めて、中国語の基礎を身に付けた後、同誌に入社した。
 フランシスカさんは「幼稚園から高校まで、課外授業で中国語を教えるところも増加するなど、若者の学習熱は高まっている。ダイレクトに中国文化を吸収する若者が増えている」と語った。




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