現代人とかけ離れた原始的な生活を送る少数民族がジャワ島に残っている−インドネシア在住歴の長い邦人から、幾度かこのような話を聞いていた。バンテン州山間部の限られた地域の中で「内バドゥイ」と「外バドゥイ」に分かれて居住し、長年にわたって貨幣、電力、交通手段といった近代文明を拒否し続けてきたバドゥイ族の実態について、多くは知られていない。バドゥイ族が守り続けるものは何なのか。ジャカルタ首都圏から南西に車で約三時間。旅行代理店「Jabato」の政本康之さんと数人のローカル・スタッフで、外バドゥイ族の集落を訪れた。
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居住内へ戻る内バドゥイ族の2人
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バドゥイ集落部へ入る街道の商店で、二人の内バドゥイ族の青年と出会った。
塩分とカルシウムの豊富な塩魚(イカン・アシン)を物々交換で入手するため、三十キロ以上離れた内バドゥイの村から山道を下ってきたのだという。
午後零時過ぎの炎天下、石で造られた道は、焼けるように熱せられているが、彼らは裸足だった。頭には白い布が巻かれ、綿製の白い長袖シャツを羽織っている。
名前を尋ねると「ヤディ」「サリフ」とはにかむように答えた。身長は二人とも百五十センチほど。自称「三十歳くらい」だが、初々しさの残る少年と話しているような印象を受けた。
■アニミズムの世界観
ヤディさんとサリフさんの二人は、生まれてから一度も、靴はおろかサンダルも履いたことがない。乗り物に乗ったことがない。電気を使用したことがない。海を渡ったことがない。正確な暦を知らない。酒の味を知らなければ、たばこも知らない。
それらは、彼ら種族が伝統的に守り続ける慣習(アダット)に反する禁忌だからだ。外バドゥイ族よりも、はるかにアダットに厳格な内バドゥイ族の居住地には、外国人が足を踏み入れることさえ許されない。
アダットを束縛に感じたことはないのだろうか、とヤディに尋ねると、質問の意図があまり理解できない、というような顔をされて答えが返ってきた。
「アダットは日常的に実践するもの。生まれてから一度も不思議に感じたことはない」
アダットは、彼らバドゥイ族にとって日々の生活そのものであり、独自のアニミズムに基づいた世界観でもあるのだ。
■外バドゥイの民家に宿泊
バドゥイ族の起源はバンテン山間部の原住民、イスラムの侵入を避けたパジャジャラン王朝貴族の末裔など諸説があって定説はない。
居住地は、バンテン州ルバック県レウィダマル郡カネケス村地域の、約五十キロ平方キロメートルにわたるグンデン山地北斜面。
政府の保護区となっている山間部の中心部三分の二の地域に内バドゥイが、残りの周辺地域に外バドゥイが暮らしている。
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ヤディさん(右)とサリフさん
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このうち外国人旅行者が訪問できるのは、外バドゥイ地域のみ。宿泊施設は存在しないので、バドゥイ族に顔が利くガイドなどに委託し、外バドゥイ住民の家屋で寝床を借りることになる。
バドゥイに詳しいJabatoのローカル・スタッフや専門ガイドのデデンさん(四〇)の案内で、宿泊先のカドゥ・ジャンクンの民家へ急いだ。
バドゥイ入境ポイントのカドゥ・クトゥグで滞在許可を得て、高低差のある山道を歩くこと約十五分。カドゥ・ジャンクンの集落に軒を連ねる竹製の家々が目に入った。
■電気のない生活
われわれのホスト・ファミリーの世帯主であるハムダンさん(六〇)とジャヤさん(三〇)は、ヤディさんやサリフさんとは異なり、外国人旅行客と接することにも幾分、慣れているようだった。決して口数は多くないものの、インドネシア語は十分に通じ、少なくとも「はにかみ屋」ではなかった。
その晩、ハムダン老人が、日本の琴に似たケチャピという楽器を演奏してくれた。
集落にはまったく電気が通っていないので、各家屋からろうそくやランプの明かりがぽつぽつと漏れる。
テレビやエアコン、読書のための電気スタンドも存在しない。だが、まったく不快ではなかった。どこか悲しい音のするケチャピの演奏と、漆黒の戸外から流れる虫の鳴き声に耳を澄ませながら、深い安楽の眠りに就いた。