中部ジャワの古都ジョクジャカルタの王宮の南に、ホテル「ウィスマ・アリス」はある。開店四周年を迎えた「アリス」のオーナーは小倉利予さん、五十四歳。十年ほど前、愛する一人息子を交通事故で亡くし、この地を訪れたことが、この愛らしいホテルを開くきっかけとなった。
■ゆったりと時間が流れ
ホテル・アリスをデザインしたのは、小倉さん。数年かけて暖めてきたアイデアを、紙にスケッチし、設計図の基を描いた。中庭には湧き水を利用した噴水と、昼寝にちょうど良い高床式のバンブーハウスがある。
レンガ作りの二階建ての建物に二十室。どの部屋も風通しがよく、部屋の前に置かれたベンチでコーヒーを飲みながら本を読む。ゆったりと時間が流れ、とても充実した気持ちになる。
部屋に入ると、パートナーのユリアントさん(三四)が作ったバティックのベッドカバーや、海をイメージして作った風呂場もかわいい。
スローテンポな町に似つかわしいホテルには、多くの観光客が訪れる。リピーターや長期滞在者が多く、ジョクジャ滞在の日本人の溜まり場になっている。
小倉さんは「地球の歩き方」に「ジョクジャのお母さん」と紹介された。その人気もあって、日が落ちると、ロビー兼レストランは、人々の団らんの場所となる。
■傷心の旅でジョクジャに
小倉さんがこの地を訪れたのは九年前。その前の年に一人息子を交通事故で亡くし、悲しみに耐えようと海外へ出たのがきっかけだ。
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ゆったりとしたジョクジャ時間が支配するウィスマ・アリス
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タイのバンコクで、ふと手にしたパンフレットで、ボロブドゥール寺院の写真に惹かれ、ジョクジャカルタを訪れた。そのとき、小倉さんのガイドになったのが、パートナーのユリアントさんだった。
ユリアントさんは小倉さんの「田舎で少し昼寝でもできたらなあ」という何気ない一言を覚えていて、田舎に住む友人宅の一室を借り、そこへ小倉さんを招き家族に紹介した。
「まるで友人のように誠実な態度で接してくれました」と当時のことを小倉さんは語った。
■人生の出会いの場を
そんな旅から日本へ帰った小倉さんは、帰国直後に保険会社から支払われた息子さんの保険金を、どうするかで悩んだ。ジョクジャカルタから帰ったばかりなのに、ふと「現実」へ引き戻された。
葛藤。
小倉さんが出した答えは、息子と同じような年齢の人たちに、人生の出会いとなる交流や、何かのチャンスの場を提供していくこと。
意を決して九七年、再びジョクジャを訪れ、ユリアントさんに連絡をとった。日本人学校経営など、さまざまな案があったが、従業員にも給料を出せるということでホテルを建てることになったという。
ホテル開業まで「tidak apa apa」、「bisa」という言葉に悩まされた。開業した翌年の一九九八年がもっと大変だった。
「サービス業とは何かを従業員がわかってくれない。ありがとう、ごめんなさい、笑顔。そんなことができなかった」と小倉さんは話した。
サービスが不完全な状態での営業にあせりを感じた。「でも、今は母親のような気持ちで、それぞれを見守っているから悩まなくなりました」と小倉さん。「インドネシア人従業員には、しっかりと自分の気持ちを伝えられる人に成長してほしい」という。
■ユリアントさんと結婚
ホテルの収入は、すべて従業員で配分。ボランティア状態の小倉さんは、「いつになったら、私の飛行機代が出るようになるかしら」と笑った。
これからの展望を、「シルバー人材を幾人か招いて、食住を提供する代わりに、現地の人々に技術を伝えてほしい」と話した。
小倉さんの根底にあるのは「チャンスやジョイントの場の提供」。悲しみの中から生まれた強い希望が、一つの成果となって実り、前進する。小倉さんは、最近、ユリアントさんと結婚した。「最初の出会いから九年。もうけんかの種もつきたので、結婚します」と、照れ隠しに語る小倉さんは、本当に幸せそうだった。
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日本人やインドネシア人のお客と従業員(後列左から2人目が小倉さん、その右がユリアントさん)
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■Wisma Ary's
Jl.Suryodiningratan.29,Yogyakarta 55141
電話 0274-387215
ホームページ
http://welcome.to/wismaarys/