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2003年1月25日 じゃかるた新聞掲載

続・アチェは今(4)
小松邦康(紀行作家)
人手不足のJSCが訴え 日本人がもっと参加を
 「サラマットダタン PBB」(ようこそ国連) 地元紙に大きな見出しが載っていた。
 アチェの人たちは外国人のアチェ訪問が増えたことをとても喜んでいる。
 二〇〇二年十二月九日のジュネーブでの和平調印以来、アチェには国連など国際機関の調査団の来訪が続いている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はバンダアチェに事務所を開設した。
 和平を仲介したスイスの非政府組織アンリ・デュナン・センター(HDC)は、外国人をアチェに派遣し、合同治安委員会(JSC)のメンバーとして各地で停戦監視が始まった。
 アチェの海岸線を一周した今回の私の旅では、バンダアチェ以外の地方では停戦合意以前の「怖いアチェ」がまだ続いていた。JSCが各県に配置されたようだが、JSCの旗を付けた車が走っているのをバンダアチェ以外では見なかった。

■外国人の監視が重要に

 とはいえ和平調印の最大のポイントは、外国人がアチェで治安や人権侵害の監視をできるようになったことだ。アチェでは自由アチェ運動(GAM)が独立を宣言して以来、二十六年にわたって続いてきたインドネシア国軍による拷問や虐殺、GAMの暴力行為に住民が巻き込まれてきたことが、アチェの外に伝わりにくかった。これからは国際社会がアチェの和平を見守ることができるようになった。

■メダンからバス便復活

 外国人観光客も戻ってきている。彼らはマレーシアからスマトラ島に渡り、バンダアチェを目指して来る。そして物価の安いウェー島(サバン)に渡り、長期滞在してダイビングやシュノーケリングを楽しむ。
給水塔に国旗が林立。国軍の支配を誇示する光景も
給水塔に国旗が林立。国軍の支配を誇示する光景も
 和平調印後、北スマトラのメダンからバンダアチェまで、一時間おきにエアコン付き大型バスが走るようになったことが大きい。外国人の存在はアチェの平和を望まない勢力にとって、プレッシャーになっているはずだ。
 バンダアチェ滞在中、私はJSCの事務所を訪ね、アチェ人とスイス人から話を聞いた。

 −アチェの人たちはJSCをどう見ていますか。
 まだ始まったばかりだが、アチェの住民はわれわれの活動をとても喜んでいる。これまでは国軍の監視が怖く、どこへも訴えられなかった。アチェの地方政府も中央政府の下にあるので、住民の味方ではなかった。今はここへ駆け込める安心感が生まれた。

■危険地帯へタイの軍人

 −JSCの駐車場には車が二十台、半数以上が新車です。バンダアチェだけに活動が集中しているのではないですか。地方の治安はまだ回復されていません。
 南アチェや西アチェにある国軍や機動隊の検問所は順次なくしていく。アチェからの撤退も進める。「通行料」を取ることも、和平合意に反しているので止めさせる。しかし問題は、JSCの人が足りないことだ。GAMと国軍とJSCが三人一組で、各県に散らばっている。しかし治安の悪い県で任務に就いているJSCはタイの軍人だけだ。JSCの民間人だけで行くにはまだ危ない。
 −JSCの民間人はどこの国から来ていますか。日本人はいませんか。
 スイス、スウェーデン、イギリス、アメリカ、エチオピアなどから十五人くらい来ている。日本人はまだいない。

■日本人の参加がない

 −この事務所に日本政府やNGOは来ましたか。
 まだ来ていない。電話もない。アチェ紛争を支援してきた日本のNGOからも連絡がない。来たのは数人の記者だけだ。
 −日本人がJSCにいた方がいいと思いますか。
 もちろんだ。東京でアチェ復興準備会合も開催された(二〇〇二年十二月三日)。現地で活動する日本人がいないのはおかしい。日本はこれまでインドネシア政府を支援してきた。そして国軍は多くの住民を殺した。今回もインドネシア政府やアチェの地方政府だけに援助が渡ると、一方の側だけに肩入れすることになる。それを監視するのは日本人の責任でもある。

■短期でも長期でも参加を

 −だれでもJSCのメンバーになれますか。
 だれでも、というわけにはいかない。アチェの和平を願う気持ちがないとだめだ。インドネシア語か英語ができないと仕事にならない。観光ビザでなく、滞在ビザか社会文化ビザを取ってきてほしい。短期でも長期でもいい。相談に応じる。少しだが報酬もある。
 −今、一番大事なことは何ですか。
 国軍が撤退できる環境を作ることだ。三月の上旬までに、どこの村にも平和が戻ったと実感してもらえるようにする。それができれば国軍の撤退が進む。三月上旬までが正念場だ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 私はアチェからジャカルタに戻り、飯村豊日本大使に面会した。飯村大使は一月十三日から三日間、アメリカ大使らとアチェを訪問すると言った。
 これまで外務省からは、だれも「危険地域アチェ」を訪問していなかった。短期で限られた所だけの訪問だろうが、やっと外務省も重い腰を上げた。

■危険なので時期尚早

 「日本政府として資金援助だけでなく、アチェに人材を派遣しないのですか」と、私は大使に質問した。
 「まだ危険なアチェに日本人を派遣することは、邦人保護の上からも時期尚早です」と、大使は答えた。
 そのあとで私は、日本のNGOに「外務省は勧めていませんが、日本のNGOとしてアチェで活動する予定はありませんか」と問い合わせた。
 「今はありません。日本の本部でもまだ計画はないでしょう」という答えが返ってきた。

■日本への報道が重要

 東ティモールでは多くの日本のNGOが活動しているのに、なぜアチェに行かないのか。それはメディアの報道の差だと思う。
 東ティモールに比べ、アチェはニュースの量が少なく、日本人の関心が高まっていない。アチェで毎年千人以上の住民が殺され、生活が脅かされているという事実が、きちんと日本に伝わっていれば、日本のNGOはアチェで活動を始めていただろう。
 アチェだけでなく、インドネシアには毎年何千人もの住民の命が奪われている地方がいくつもある。私も含め、それをきちんと報道してこなかった記者の責任は重い。
 三月上旬までといわれる和平の正念場に、日本人が参加しないとしたら寂しいことだ。

(おわり)



2003年1月30日 じゃかるた新聞掲載

写真グラフ

「スイスのように美しい」 アチェに和平は来るか
 露店や青空市に賑わい 明るさ取り戻した人々
モスクの集会で笑顔を見せるアチェ人の少女(バンダアチェ)
モスクの集会で笑顔を見せるアチェ人の少女(バンダアチェ)
中東の雰囲気が漂うバンダアチェのモスク
中東の雰囲気が漂うバンダアチェのモスク
 四半世紀にわたり内戦状態にあったアチェは、国際社会の支援を受け、ようやく本物の和平を模索し始めた。独立派武装組織「アチェ自由運動」(GAM)と国軍の停戦、武装解除、政府との信頼回復を経て自治政府樹立に至るプロセスはガラス細工のように、壊れやすく、もろい。
 しかし、人々の和平実現への願望は、かつてなく高まっている。紛争の死者は一万人を超え、資源に恵まれたインドネシア最西端の民族アチェ人は、あまりにも多くの犠牲を払い過ぎた。「独立かどうかより、平和が一番だ」という声が広がっている。
 北スマトラ州メダン発の長距離バスが復活し、州都バンダアチェでは、夜遅くまで、人々がワルンに群がり、街を散策する人も増えた。
 紀行作家の小松邦康さんが撮影した人々の表情は、かつてなく明るく、和平への期待が溢れていた。
 東南アジアの大国を安定させ、マラッカ海峡の治安確保を目指す国際社会のアチェ支援体制も固まった。
 日本の飯村豊大使、米国のラルフ・ボイス大使とともに欧州連合(EU)を代表してアチェ和平の進行状況を視察したフランチェスコ・マリア・グレコ・イタリア大使は「アチェはスイスのようだ」とアチェの自然の美しさを誉めたという。
 その賛辞にインドネシアとアチェ人が応えられるのは、いつの日になるのだろうか。(写真は小松邦康氏)

平和になり、復活した露店でジュ−スを売る少年(南アチェ県タパトゥアンの海岸で)
平和になり、復活した露店でジュ−スを売る少年(南アチェ県タパトゥアンの海岸で)
インド洋の荒波が届かない静かな湾の漁村(西アチェ県パテック村)
インド洋の荒波が届かない静かな湾の漁村(西アチェ県パテック村)
交通量が増えた西アチェ県ムラボの商店街
交通量が増えた西アチェ県ムラボの商店街
西アチェ県パテック村で。家族そろって移動する姿も見え始めた
西アチェ県パテック村で。家族そろって移動する姿も見え始めた



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