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2003年1月24日 じゃかるた新聞掲載

続・アチェは今(3)
小松邦康(紀行作家)
活気復活バンダアチェ ラッパで新年を迎える
 一年二カ月前にアチェを旅したとき、一番雰囲気の悪かった町が南アチェ県のタパトゥアンだった。「サラマットパギ」と挨拶をしても、外国人とかかわることを避ける住民は口を閉ざし、声を掛けてくるのは、警官とベチャ引きだけだった。

■まだ安心できない

 あのときと違い、今回は住民と話ができた。屋台でアチェの苦くておいしいコーヒーを飲みながら、話を聞いた。
 「先月の断食月まで村で住民が殺されたりして、危なかった。和平調印後、少し良くなった。でも少しだ。まだまだ安心できない」「自動小銃を担ぎパトロールしている機動隊を見ると、戦争状態が続いている感じがする。彼らがいなくならないと、和平は訪れない」
 「二日前から停戦監視をする合同治安委員会(JSC)がタパトゥアンに来ている。タイの軍人とGAMと国軍の三人だ。南アチェ県全体で三人だけなので、ぜんぜん足りない」

■外国人に来てほしい

 治安が悪化してアチェを訪れる人が減った。どこの町も活気がなくなった。きれいな海や山があり、物価の安いアチェは外国人観光客もよく訪れていた。
 今回タパトゥアンで泊まったホテルは客が二人しかいなかった。数日後、北アチェ県のロクスマウェで泊まったホテルの客は三人だった。休業に追い込まれたホテルもあった。
活気が戻ったバンダアチェの野菜市場
活気が戻ったバンダアチェの野菜市場
 「JSCが来たことで治安が良くなり、客が戻って来るだろう。昔のように外国人も来てほしい。首を切られ田舎に帰った従業員も戻って来れば、ホテルも賑やかになるだろう。来年はいい年になってほしい」と、タパトゥアンのホテルの従業員は話した。
 正月は大きな町で迎えたかった。だから大晦日、タパトゥアンから州都バンダアチェまで十時間以上かけて走った。途中また何度も検問があった。インドネシア国旗を揚げさせられている村も多かった。

■街に

 アチェの西海岸、インド洋側の景色は美しい。しかし通過する町の雰囲気は対照的に暗かった。西アチェ県のムラボで昼食の休憩中に住民に話を聞いた。
 「昼間は人通りが多いが、夕方には店が閉まり人気がなくなる。そして夜は停電する。和平合意は一歩前進だが、国軍が撤退しない限り、まだ不安は残っている」
 「バンダアチェはJSCの車がたくさん走っているが、ムラボは一台だけ。ここの方が治安が悪いのに」
 ムラボから五時間、バンダアチェに着いたら夜の八時を過ぎていた。しかし紙のラッパを鳴らし、新しい年を迎えようとする人たちで、町はとても賑やかだった。オートバイに乗った若者や家族連れが繰り出し大騒ぎだった。私もホテルに荷物を置きすぐ外に出た。
 「昨年も一昨年も、こんなことはできなかった。家の中で新年を迎えた。平和になってとてもうれしい」と、ラッパを手にした女の子は興奮して話した。

■屋台は満員

 「アチェに外国人の停戦監視団が来てくれた。これでもう安心だ。独立かどうかよりも平和が一番重要だ」と、オートバイに乗った青年は言った。
 大晦日のバンダアチェは、これまでの南アチェや西アチェの町とは違い、開放感にあふれ、平和な空気でいっぱいだった。治安部隊は見なかった。交通整理をしている警官だけが目立った。
 夕食を取っていなかったので、屋台が並ぶ「REX」という広場に行った。そこも家族連れで満員だった。夜遅く人が集まり食事をしている。この動きが、アチェの各地に拡がってほしい。

■この平和が永遠に

 この賑わいはいつまで続くのだろう。朝まで続いてほしいと私は思った。しかし午後十一時過ぎ、強い雨が降ってきた。皆慌てて家路についた。何年振りかに大騒ぎで平和な新年を迎えられると思った直前の、無常の雨だった。
 翌朝は晴れ上がり、バンダアチェは穏やかな新しい年を迎えた。市場は野菜や果物を売り買いする人で賑わっていた。笑い声が聞こえていた。私はインドネシアで一番美しいといわれるバイトゥラフマン大モスクに行き、初詣をした。
 この平和がアチェ中に拡がり、ずっと続きますように。

つづく



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