ホーム
2003年1月23日 じゃかるた新聞掲載

続・アチェは今(2)
小松邦康(紀行作家)
戦う姿勢崩さぬGAM 抗争を恐れる住民たち
 南アチェはドリアンの季節だった。少し小ぶりだが一個二千ルピアという安さだ。しかし北スマトラ州から南アチェにかけて見られたドリアンが、州都バンダアチェなどアチェ州北部にはなかった。
 広いアチェでは南北で気候も変わるからだ。アチェの五万五千平方キロという面積は日本の九州やオランダよりも広い。
 その南アチェの県庁所在地タパトゥアンはバンダアチェから五百キロも離れている。乗り合いのミニバスで十時間もかかる。北スマトラ州の州都メダンからも四百キロ離れている。
 だからアチェの辺境、南アチェからの情報はほとんど伝わってこない。いつも何が起きているのか分からない。
 私はメダンからトバ湖の北側を通り、南アチェを目指した。しかしその日のうちに南アチェにはたどり着かなかった。メダンからタパトゥアン行きの直行バスは二年も運休が続いているという。理由は、まだ通行の安全が保障されていないからだ。

■バスの移動に制限

 ミニバスでアチェとの州境に近い町シディカランまで行き、そこでスブルスサラームやタパトゥアンなど南アチェ行きの車を探せと言われた。
 和平調印からまだ三週間しかたっていないとはいえ、住民のバスでの移動は制限されたままだ。マラッカ海峡側のバンダアチェ−メダンを結ぶ幹線道路は治安が回復され、エアコン付きの夜行バスも走っているのに、やはり南アチェは和平から取り残されている。
 メダンでシディカラン行きのミニバスに乗るのに、三時間も待たされた。インドネシアでは乗客が満員になるまでバスが発車しないことはよくあるが、そうではなくバスが足りないので待たされた。
バスの切符売り場にも人だかり(南アチェ県スブルスサラームで)
バスの切符売り場にも人だかり(南アチェ県スブルスサラームで)
 ぎゅうぎゅう詰めでバスは発車した。運転手の隣に座ったので、クラッチを切り替えるたびに運転手の手が私のひざに当たった。

■珊瑚礁目指す若者 

 高原のきれいな景色の連続だったが、シディカランに着いたら午後六時になっていた。スブルスサラームまではまだ五十五キロある。早くアチェに入りたかったが、夜間の走行は危険なのでその日はシディカランに泊まることにした。
 驚いたことにホテルに二人のオランダ人の観光客がいた。南アチェにある珊瑚礁の島、プロウバニャックに行くという。「和平合意があったから大丈夫だろう」と、彼らは言った。若者たちはたくましい。
 翌朝、スブルスサラーム行きのミニバスに乗った。十四人の乗客のうち、州境に着くまでに十人が降りて行った。たった四人しか残っていない乗客を見て、やはりアチェは今、特別な所だと感じた。

■緊迫する検問所

 しかしアチェ州に入ると、民家には人影があり、洗濯物が干してあった。家にかぎをかけ、村人が離散して行った、一年二カ月前に私が見た光景とは違っていた。スブルスサラームから乗り継いだタパトゥアン行きのミニバスからも、民家に人影と洗濯物が見えた。最悪の時期は脱したのだろう。
 だがミニバスの乗客の口は重かった。外国人の私と関わることを警戒していた。それは何カ所も機動隊の検問所があり、そこを通るたびに緊張した雰囲気になることと無関係ではなかった。
 検問所に近づくと運転手は、まず車内に流れている音楽のスイッチを切る。車内の空気が張り詰めたものに変わる。そして運転手は「通行料」として、五千ルピア札や一万ルピア札を機動隊員に渡していた。

■荷物検査を受ける

 相変わらず、住民に対する監視は続いていた。あるときは乗客全員がミニバスから降ろされ、荷物検査を受けた。あるときは私だけが降ろされ、「なぜ外国人がこんな所を旅行しているんだ」と、質問された。
 検問所には決まってインドネシア国旗が何本も揚がっていた。いくつかの村ではすべての民家にインドネシア国旗を揚げさせていた。
 ある検問所前には「ここでは笑顔を見せろ」と書かれてあった。住民に笑顔を強制している。治安部隊の住民に対する圧力は、和平調印前とまったく変わっていなかった。
 ミニバスが一度だけ街道からそれ、一キロほど入った村に寄った。田植えが終わったばかりの美しい水田のあぜ道で、大人や子どもがたこ揚げをしていた。その村がGAMの拠点であることは、トランシーバーを持った男が何人もいたことでわかった。
 乗客に張り詰めた雰囲気はなく、アチェ語で男たちと普通に会話していた。男は私に対しては「気を付けて旅をして下さい」とインドネシア語で言った。

■GAMは住民の味方

 その村を出て運転手が私に言った。「GAMは怖くない。武器を隠し持っているんだ。GAMはどこにでもいて、住民を守ってくれる強い味方なんだ」
 和平調印後、南アチェは一時的に停戦しているにすぎない。国軍もGAMもいつでも戦える体制を崩していない。住民はまた抗争に巻き込まれる不安から開放されていない。そして犠牲者が出ても「アチェの辺境で起きた小さなこと」で済まされるだろう。
 和平調印後も治安部隊の圧力が南アチェの住民に重くのしかかっている現実をメディアは伝えていないのだから。
つづく


続・アチェは今 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回・写真グラフ




ホーム | この一週間の紙面
 Copyright © 2003 PT. BINA KOMUNIKA ASIATAMA, BYSCH
 All Rights Reserved.