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■「2010年 この1年を振り返る」
2010年12月30日 じゃかるた新聞掲載

インドネシア経済躍進
 国際社会で存在感増す

 年末に開店したばかりのジャカルタのコンビニは、床も天井もトイレも真っ白。ビンタン、ハイネケン、サンミゲルはもちろん、バリ産の地ビールも冷蔵棚にぎっしり並び、カツ丼もおにぎりもある。深夜、若者がマイカーで押し掛け、清潔で明るいテラスのテーブルで楽しそうに団らんし、スマートフォンで交信している。数年前までジャカルタの夜は薄暗く、こんな明るい店は考えられなかった。この一年、あちこちに登場した巨大モール、年間七十五万台を超えようという自動車、一千万台を目指すオートバイの生産。サッカーでは対マレーシア戦のチケットを購入しようと、情熱を燃やす若者たち。爆発的な消費エネルギーに支えられ、インドネシアは六%台の経済成長を取り戻し、中国、インドと肩を並べるアジアの経済大国を目指して動き出した。アジア通貨危機(一九九七―九八年)でスハルト独裁政権が崩壊した後の十年間、民族紛争、宗教対立、分離独立、大災害、連続爆弾テロに苦慮し、政治・社会の民主化や経済再建の助走期間は長く続いたが、二〇〇八年のリーマンショック後の世界不況では、景気低迷にあえぐ先進国を尻目に、インドネシアは世界が注目する新興国として急浮上し、エコノミストの間から「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国)にインドネシアの「I」を加えた「BRIICs」、「ネクスト11」(インドネシア、イラン、エジプト、トルコなど十一カ国)、「チャインドネシア」(中国、インド、インドネシア)ともてはやされるようになった。二〇一一年の国内総生産(GDP)は現在の世界十八位からさらに上昇に向かい、一人当たりの国民所得は三千ドルに達する「大躍進の年」になりそうだ。

大統領選でユドヨノ氏圧勝(7月)
ジャカルタで開かれた第1回日イ合同経済フォーラムには、直嶋経産相(右)が出席した(1月)
国際腐敗防止デーには全国で大規模なデモが行われた(12月)
多くの日本企業が出展し、ジャカルタで行われた国際エコプロダクツ展(3月)
堅調な内需を当て込み進出する日系企業も多数あった。10月には無印良品がジャカルタに進出した
日イ経済連携協定(EPA)に基づく看護師派遣で、初の国家試験合格者となった2人のインドネシア人(3月)
石油備蓄所で火災(1月)
ンチュリー銀救済措置に端を発する政争に巻き込まれ、辞任したスリ蔵相(5月)
ギントゥン・ダム湖が決壊(3月)
小学生から中学生までが参加して盛大に開かれたJJS体育祭(6月)
パダン沖で大地震、1000人以上死亡(9月)
初開催にもかかわらず、約2万人が訪れ、大盛況となったブロックMの七夕縁日祭(7月)

◇世界も注目の新興国に


 二〇一〇年はインドネシア経済にとって、来年以降の大きな飛躍に向け、期待が高まる一年となった。国内自動車販売は、過去最高だった二〇〇八年の六十万八千台をすでに上回り、年間で七十五万台に到達する勢いで、二輪車販売も同様に過去最高を大きく上回る実績を上げている。
 経済成長率は第三・四半期までに前年同期比で五・九%に達し、通年では六%台に達すると見込まれている。
 二〇〇八年九月のリーマンショックを発端とする世界経済の低迷以降、早期経済回復を見せる新興国に注目が集まっている。その中でも、元々、輸出依存度が二〇%台と周辺諸国より低く、二億三千七百万人の巨大市場を武器に堅調な内需の伸びを続けるインドネシアは一際注目度が高い。
 ユドヨノ政権が二期目に入り、政情が安定したとの評価が高まるほか、G20入りに代表されるように、国際社会のプレゼンスも増大していることも、インドネシアが好景気を享受する一因となっている。
 来年は格付け機関による格付けが投資適格に引き上げられる予測を元に、海外から多額の投資資金が流入。インドネシア証券取引所の総合株価指数は、連日のように最高値を更新し、昨年末の二五三四ポイントから三六〇〇ポイント台へと四〇%以上上昇し、国債の外国人保有比率が高まるなど、金融市場も活況を呈している。
 今後の課題は、現在の成長率を一層引き上げ、持続的な経済成長に結びつけることができるか。
 そのためには、流動性の高い内需に依存した成長から、直接投資に根ざしたモデルへの転換が必要不可欠で、産業インフラの整備や法の順守など、中長期的な経済政策の確実な履行が鍵となる。

◇早くも大統領候補の名前

 昨年十月、大統領選での圧勝を受けて発足した第二期ユドヨノ政権は、今年前半にはスリ・ムルヤニ蔵相(当時)が辞任に追い込まれるなど、一時窮地に立たされたが、スリ氏追及を主導したゴルカル党のアブリザル・バクリー党首を政権内で重用することで、政治的安定を達成。知識人からは、諸問題への対応の遅れから「指導力不足」を問う声も強まったが、「温和で冷静」な大統領への世論の支持は依然として高い。
 昨年末からのセンチュリー銀行(二〇〇八年に経営破たん)の救済疑惑では、ゴルカル党など連立与党も含め、政治的利益を得ようとする国会側が政府対応を追及。スリ氏は五月に辞任し、世界銀行の専務理事に転身する一方で、同月にバクリー氏は与党連合の事務局長に迎えられた。
 その後は、強硬派による異教徒への襲撃やマレーシアとの領海問題、汚職撲滅委員会(KPK)や大蔵省税務総局の元職員ガユス・ハラモアン・タンブナン被告をめぐる汚職問題など、一連の改革の遅れで再び大統領の指導力が問われたが、決定的な火種とはならなかった。
 しかし、二〇一四年の大統領選挙へ向け、早くもバクリー氏やアニ・ユドヨノ大統領夫人、プラボウォ・スビアント元陸軍戦略予備軍司令官が候補者として取りざたされており、来年には、内閣改造や三年後となった選挙をにらんだ政治闘争が表面化する可能性もある。
バリでいのちの祭り(5月)
ガルーダ航空が日本人客室乗務員を大量に採用。研修の卒業式が行われた(9月)
JJS体育祭(6月)
第2回ジャカルタ日本祭りでは、ファウジ・ボウォ州知事が出席して開幕式が行われ、ドラえもんも登場した(9月)
スラマドゥ大橋が開通(6月)
モナスで行われたジャカルタ日本祭りのフィナーレでは神輿が会場を盛り上げた(10月)
ジャカルタで同時爆弾テロ(7月)
死者200人以上、避難民は38万人を超え、ジョクジャカルタの観光産業にも打撃を与えたジャワ島中部のムラピ山噴火(10月)
テロ首謀者ヌルディンを射殺(9月)
スマトラ島西部を襲い、死者が450人を超えたムンタワイ諸島沖地震・津波(10月)

2010年の主な出来事


【1月】

 11日―初の日イ経済合同フォーラムをジャカルタで開催
 下旬―到着ビザを最長60日に拡大

【2月】

 1日―日イ間で技能実習生待遇改善の覚書調印
 14日―華人文化解禁10年、中国正月盛大に 

【3月】

 4―7日―ジャカルタで第6回エコプロダクツ国際展開催
 5−7日―ジャカルタ国際ジャワ・ジャズ・フェスティバル開催
 9日―2002年バリ爆弾テロ事件主犯のドゥルマティン容疑者射殺
 26日―インドネシア人看護師2人合格

【4月】

 12日―JJS入学式
 14日―タンジュンプリオク港墓地で住民衝突
 22日―バタム島の外資系企業でインド人幹部襲撃事件

【5月】

 5日―スリ・ムルヤニ蔵相が辞任発表、世銀専務理事に
 20日―ブンガワン・ソロの作曲家グサン・マルトハルトノさん死去
 29、30日―2年ぶりに3都市親善バリスポーツ大会開催

【6月】

 17日―元JJS国際交流ディレクターの原さん夫妻殺害事件
 19日―JJS体育祭開催
 27日―菅首相とユドヨノ大統領、カナダで会談

【7月】

 4日―ブロックMで初の七夕縁日祭開く
 23ー8月1日―インドネシア国際モーターショーが大盛況

【8月】

 9日―イスラム強硬派のアブ・バカル・バアシル師を再逮捕
 31日―ガルーダ航空がジャカルタ―成田便開始

【9月】

 21日―アンタサリ・アズハルKPK前委員長が最高裁で禁固18年
 25−10月3日―第2回ジャカルタ日本祭り開催
 30日―JAL、成田・関空―デンパサール便ラストフライト

【10月】

 25日―スマトラ西部でムンタワイ沖地震・津波
 26日―ジャワ島中部でムラピ山噴火

【11月】

 9日―米オバマ大統領が、2度の延期を経て来イ
 13日―ユドヨノ大統領訪日、横浜でAPEC出席
 16日―アンクルンがユネスコの無形文化遺産に認定

【12月】

 9、10日―第3回バリ民主主義フォーラム開催、前原外相が来イ
 中旬―下旬―サッカーAFFスズキカップでインドネシアが準優勝
ジャカルタ日本祭りがにぎわう(10月)
2度の延期を経てオバマ米大統領が来イ。イスティクラル・モスクやインドネシア大学も訪れた(11月)
バティック、文化遺産に(10月)
ユドヨノ大統領が横浜でのAPEC出席のために訪日。菅首相とあいさつを交わした(11月)
ジョクジャで世界遺産ウォーク(11月)
昨年のバティックに続き、ユネスコの無形文化遺産に登録されたアンクルン(11月)
鳩山首相が来イ(12月)
前原外相(左)が出席したバリ民主主義フォーラムに合わせ、両国はジャカルタ首都圏のインフラ開発推進で合意した(12月)


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