ホーム | この一週間の紙面

■「2009年 この1年を振り返る」
2009年12月30日 じゃかるた新聞掲載

がんばれ!汚職撲滅委
 ユドヨノ政権の試金石
 法秩序確立と利権政治一掃を

 今年一月、米国でオバマ政権が発足し、九月に日本で鳩山政権、十月にインドネシアでは第二期ユドヨノ政権(二〇〇九─二〇一四年)がスタートした。どれも同じ名前の「民主党政権」。あえて共通点を言えば、東西冷戦の崩壊、アジア通貨危機、イラク戦争など、長い間、混乱と停滞が続いた世界政治や国内経済の流れを変えようとする市民の真剣な投票行動が国を動かした年だった。インドネシアは史上最も民主的な総選挙と大統領選挙を成功させ、年率四%台の成長で経済危機を乗り越え、アジアや国連の場で重要な役割を果たした外交の年でもあった。しかし、国内では汚職撲滅委員会(KPK)と検察・警察の骨肉の争い、センチュリー銀行(現・ムティアラ銀行)の救済措置をめぐる利権争い、法のらん用など、エリート同士のどす黒い不正がマスコミによって暴かれており、こうした法秩序をどう確立するか。二〇一〇年は、ユドヨノ大統領の指導力があらためて問われることになりそうだ。今年の主な出来事の取材体験を担当記者がまとめた。

大統領選でユドヨノ氏圧勝(7月)
大統領選でユドヨノ氏圧勝(7月)
国際腐敗防止デーには全国で大規模なデモが行われた(12月)
国際腐敗防止デーには全国で大規模なデモが行われた(12月)
堅調な内需を当て込み進出する日系企業も多数あった。10月には無印良品がジャカルタに進出した
堅調な内需を当て込み進出する日系企業も多数あった。10月には無印良品がジャカルタに進出した
石油備蓄所で火災(1月)
石油備蓄所で火災(1月)
ギントゥン・ダム湖が決壊(3月)
ギントゥン・ダム湖が決壊(3月)
パダン沖で大地震、1000人以上死亡(9月)
パダン沖で大地震、1000人以上死亡(9月)
 メガワティ政権末期の二〇〇三年に発足した汚職撲滅委員会(KPK)は、第一期ユドヨノ政権になって警察や検察を上回る強大な権限を行使するようになった。
 ユドヨノ大統領の汚職追放キャンペーンの追い風を受け、KPKは、スハルト政権時代の銀行救済策(流動性支援)をめぐる不正、中銀総裁ら幹部が行った国会議員買収事件、最高検察庁幹部による司法ブローカーとの癒着、国政選挙の機材調達をめぐる総選挙委員会幹部の汚職、木材などの資源取引や機材調達をめぐる州、県、市など地方機関の贈収賄事件など、過去五年間で数十件にのぼる大型汚職事件を手掛け、国民からは「白馬の騎士」とまで絶賛されてきた。

■KPK委員長に殺人容疑

 ところが、今年三月、バンテン州タンゲランのゴルフ場前の通りで実業家N氏が銃殺された。警察は暗殺を企てた容疑で泣く子もだまるKPKの捜査指揮官・アンタサリ・アズハル委員長、その友人である新聞社オーナー、元警察署長の三人を逮捕した。
 アンタサリ氏はN氏の第三夫人であるゴルフ場のキャディに手を出し、二人から「不倫を暴露する」と脅されていたことがN氏暗殺の動機とされ、殺人教唆で起訴された。
 アンタサリ氏は一貫して容疑を否認。不倫や暗殺現場の状況証拠の矛盾を公開し、弁護側は反論したが、十二月、実行犯のチンピラ五人に有罪判決が出され、アンタサリ氏は窮地に陥った。

■副委員長には汚職容疑

 一方、勢いに乗った警察と検察は、アンタサリ氏を補佐していた二人のKPK副委員長を別件で逮捕した。スハルト政権時代から警察や司法界で暗躍した三人の過去を問題にする世論もないわけではない。しかし、国民が最も期待する汚職追放にらつ腕を振るってきたKPK最高幹部の相次ぐ逮捕に国民は怒り、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で「KPK支持」を叫ぶ利用者が百万件を突破。ユドヨノ大統領はブユン・ナスティオン弁護士ら八人の真相究明委員会を設置。同委は法廷外での決着を命じた。
 アンタサリ氏に関しては、女性スキャンダルに目を付けた警察のKPK潰しのワナにはまった可能性もあり、元検事らしく法廷で反撃中。
 スハルト政権崩壊後の十年間、インドネシアは四度にわたる憲法改正で民主的な政治体制を固め、自由投票や言論・出版の自由を確立した。だが、オランダ植民地時代にもさかのぼる法制度を引きずるインドネシアの司法界は、国際化が進む今日でも、旧態依然の慣習や法秩序に支配されており、権力や利権に群がる政治家、実業家、裁判官、検察官、警察官、弁護士などエリートの利権あさりの大軍団が、改革政治を標榜するユドヨノ政権に揺さぶりをかけていることは間違いない。

■「黄金の5年」は可能か

 前年九月のリーマン・ショックの余震が続いた二〇〇九年、経済分野では、世界金融危機の実体経済への影響をどの程度食い止めるかが最大の焦点となった。政府は一月、景気対策の一環として三十一分野の免税措置を実施するなど、矢継ぎ早に対策を打ち出し、予算消化も早めて景気拡大を後押した。
 四月の総選挙、七月の大統領選挙などの選挙特需も手伝って、内需は予想を上回る好調を維持した。中産階級が増加しつつあることに目をつけ、外食や衣料品など消費関連分野で外資系企業の参入が目立ったほか、電化製品は市場拡大を続け、年後半からは二輪・四輪車も回復基調に転じた。
 一九九七―九八年のアジア通貨危機では、通貨危機と政情不安のダブルパンチを受けたインドネシアは、経済回復までに長い歳月が必要だった。今回は青天の霹靂だった世界経済危機で底力を見せただけでなく、改革志向のユドヨノ大統領の再選が確実な情勢となるにつれ、世界四位の人口と資源大国としての潜在力が、世界各国から高く評価されるようになった。

■成長は4%から5%台

 世界的にマイナス成長となる国が大半を占める中、第三・四半期までの経済成長率は、四・二%を記録。今年の成長率見通しは四%台前半と、G20のメンバーとして、中国、インドに次ぐ成長率が見込まれている。年央には、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)にインドネシアを加えた「BRIICs」、また、中国、インド、インドネシアを合わせた「チャインドネシア」といった新語も登場した。
 一年を通じ、最も消費が活発となるレバラン(断食月明け大祭、今年は九月末)後には、消費の伸びが失速する懸念も上がったが、問題なく切り抜け、世界銀行も十二月、経済成長率見通しを上方修正。第二期ユドヨノ政権下で「黄金の五年間」(インドネシア商工会議所=カディン=の佐藤百合特別アドバイザー)を迎えるとの期待も高まっている。
 当面の課題は第一期ユドヨノ政権で経済改革の旗振り役を果たしてきたスリ・ムルヤニ蔵相の去就問題。当初の見通しを大きく上回る公的資金を投じることになったセンチュリー銀行の救済措置をめぐり、国会の追及姿勢が強まっており、蔵相が辞任するような事態となった場合、インドネシア経済への国際社会の信頼が大きく失墜することになる。
 投資環境改善は依然大きな課題として残っているが、内需は来年も堅調に推移するとの見通しが高いため、政情が安定すれば「新興経済大国」への歩みをさらに進めることになる。 

◇つなげ日本祭り、次世代へ

 日本とインドネシアの国交樹立五十周年を祝った二〇〇八年の、大きく燃え上がった友好の炎を灯し続け、これからの半世紀の両国関係をより輝かしいものにしようと、ジャカルタ日本祭りが動き出した。
 草の根レベルでの交流拡大を図るための方策について、今年初めから駐インドネシア日本大使の塩尻孝二郎さん、東レの黒田憲一さんら有志が実行委員会を結成。会合を重ね、手弁当で準備を進めた。
 その結果、十月初旬の約一週間に、両国のさまざまな団体・個人が参加し、文化、スポーツ、経済など多岐にわたるイベントが行われた。資金ゼロから手探りの中で始まった試みは、運営面の課題を残しながらも、来年以降、毎年の開催に向けた道筋を付けた。
 最終日に独立記念塔(モナス)広場で行われたフィナーレには、日本ファンを中心に大勢のジャカルタ市民が来場。日本人を見つけては、一緒に写真を撮ってほしいとせがむインドネシア人の若者の姿が至るところで見られた。
 日本人というだけで、好感を持ってくれる市民が大勢いる国に住んでいるのだという実感がこみ上げて来て、胸が熱くなった。
 試行錯誤しながら幾度もの困難を乗り越え、涙ぐましい努力を積み重ねてきた先人に感謝するとともに、われわれ現在の在留邦人の一人一人が、将来の両国関係を担っていることを自覚し、次の世代に引き継いでいかなければならないと強く実感した。 

◇電気も電話もない街で

 九月三十日、パダン沖でマグニチュード(M)七・六の地震が発生、現地入りした。民間機のチケットが確保できず、記者団を乗せると約束していた国軍機も支援物資の輸送で忙しく記者はいつ乗れるのか分からない状態。結局、保健省のチャーター機に便乗させてもらい地震発生翌日の十月一日夕にパダン入りした。
 空港前でバイクタクシーを捕まえてパダンの市街地へ向かうと、停電のため灯はなく、夕刻というのに街は闇に沈み、損壊した建物の前で所在無げに座り込んでいる人の姿が目立った。
 自家発電設備のあるホテルは内外から殺到した記者や支援関係者、快適な「避難場所」を求める市内の富裕層でいっぱい。筆者は自家発電がなく、水道すら使えないホテルを確保するのが精一杯だったが、州知事公邸庭で野宿をした記者もいたらしいので幸運な方だったのだろう。
 電話網も切断され、携帯電話もほぼ不通の状態。バッテリー残量に追われるようにしてノートパソコンで書き上げた原稿を送ろうにも通信が確保できなかった。
 ジャカルタではいつでもインターネットに接続できるスマートフォンも、「圏外」と表示されるばかり。
 考えた末、空港周辺では電波が入ったことを思い出し、ホテル前を通りかかったバイクを止め、交渉して空港まで乗せてもらうことになった。
 予想通り空港周辺は電波が比較的安定していた。少しでも電波が良くなるよう期待して携帯電話を高く掲げて、原稿と写真を送信。何度かエラーが出たものの何とか送信に成功し、胸をなでおろした。便利な都市生活の脆さを思い知らされた体験だった。 

◇朝一番に届けるために

 時計の針が午前零時を回った時、魔法が解けたように、それまでの張りつめた空気から解放され、ドッと体が重たくなった。疲労感の入り交じった達成感で満たされていた。「歴史的な政権交代が行われたのだ」と冷静になって考えたのは、最終版を完成させて、しばらく経ってからだった。
 衆院選で民主党が政権交代を果たした八月三十日、エアコンの利かない日曜日の社内では汗まみれの編集作業が続いた。
 民主党本部の壁に並んだ候補者名は鮮やかなピンクのバラで次々と飾られ、金色の勝負ネクタイをしめた鳩山由紀夫代表の顔はほころんでいる。NHKのニュース画面を通して伝わってくる高揚感と緊張感で、マウスを握る手も次第に汗ばんできた。
 「当確、当確」。アナウンサーが読み上げる声に耳をそばだてながら、必死に編集作業を続ける。
 その間も、共同通信が配信する記事と写真は絶え間なく流れ込んでくる。どれを使うか、どう見出しをつけるか、写真はどれにするか。締め切り時間との戦いの中で、ギリギリの選択を迫られる。
 見出しの文字数を指で数え「民主 歴史的大勝利」「自公政権に見切り」に決めたのは降版ぎりぎり、最後の最後だった。
 その日の出来事を翌朝一番に届く新聞で伝えたい。翌朝パッと開いた新聞に目を通せば、昨日、日本や世界で何が起きたか分かる。そんな紙面を目指して編集してきた。
 メディア産業も「政権交代」が進み、伝統的な新聞がインターネットなどの媒体に取って代わられるようになってきた。斜陽の新聞産業だが、新聞が持つ長所や魅力を存分に生かした編集で、もっともっと読者の関心を引き付けられればと思う。

◇引き継いだ赤いジャケット

 「見せたいものがあるんだ」。入社当時からお世話になっていた日本食レストラン「蘭」(昨年八月閉店)のオーナー、石居日出雄さんが、総選挙の投票が迫った今年三月、じゃかるた新聞を訪れた。
 石居さんがかばんから取り出したのは燃えるように真っ赤なジャケット。胸には黒い水牛マーク。闘争民主党のシンボルだ。
 スハルト政権末期の一九九七年、「民主主義のヒロイン」としてメガワティ前大統領が国民に担がれて登場した年、同党の青年団が石居さんにこのジャケットをプレゼントした。
 石居さんは、メガがまだあどけない少女だったとき、偶然に出会ったことがある。ボゴール宮殿に幽閉されていた父であり、初代大統領だったスカルノに連れられ、彼女はプンチャック峠の店で食事をしていた。石居さんはメガの後ろの席に座った。
 三十年後、彼女は元気一杯の女性指導者となって、民主主義を求める民衆の期待を背負い、国中をこのジャケットの赤に染め、立ち上がった。
 「ぼくらはもう一線を退いたから」。そう笑いながら、石居さんは、私にジャケットをくれた。
 今年の選挙、国は「赤」には染まらなかった。だが、ブンカルノ競技場で行われた民主党の選挙キャンペーンには、青、黄、緑、白、赤、さまざまな色の旗を持った民衆が歓声を挙げ集まった。
 独立時代のヒーローもヒロインも、もういない。でも、素晴らしい国作りを諦めない、その熱い気持ちは、今も国民に流れている。
 日本にもそんなパワーが溢れていた時代があるのだろうか。私たち次世代はその熱を持ち続けられるだろうか。手渡されたジャケットから熱い気持ちを確かめようと、強く握り締めた。
バリでいのちの祭り(5月)
バリでいのちの祭り(5月)
JJS体育祭(6月)
JJS体育祭(6月)
スラマドゥ大橋が開通(6月)
スラマドゥ大橋が開通(6月)
ジャカルタで同時爆弾テロ(7月)
ジャカルタで同時爆弾テロ(7月)
テロ首謀者ヌルディンを射殺(9月)
テロ首謀者ヌルディンを射殺(9月)

2009年の主な出来事


【1月】

 18日 石油備蓄所で火災

【2月】

 18日 米クリントン長官来イ

【3月】

 27日 ギントゥン湖決壊,、100人死亡

【4月】

 9日 総選挙投票、民主党が勝利
 16日 アチェ復興庁が解散

【5月】

 4日 KPK委員長を逮捕
 11−15日 マナドで海洋会議
 23日 バリでいのちの祭り
 30日 野球アジアカップ 野中インドネシア優勝

【6月】

 10日 スラマドゥ大橋開通
 20日 JJS体育祭
 24日 新型インフル 国内初の感染者

【7月】

 8日 大統領選投票
 14日 欧州連合、航空乗り入れ禁止を解除
 17日 ジャカルタで同時爆弾テロ

【8月】

 6日 詩人レンドラ氏死去

【9月】

 2日 西ジャワ沖で地震 首都でも揺れ
 17日 テロ首謀者ヌルディンを射殺
 28日 バリで日本人女性殺害
 30日 パダン沖地震

【10月】

 2日 バティックが無形文化遺産指定
 3−11日 ジャカルタ日本祭り
 6日 シーラカンス稚魚を撮影
 7日 ゴルカル党首にバクリー氏
 13−14日 岡田外相が来イ
 20日 ユドヨノ新政権発足
 末ごろ KPK収賄ねつ造疑惑が拡大

【11月】

 14−15日 ジョクジャで世界遺産ウォーク
 20日 JJSが40周年

【12月】

 9−10日 鳩山首相がバリ民主主義フォーラム出席
 26日 スマトラ沖地震・津波から5年
 26日 バリで再び日本人女性殺害事件

ジャカルタ日本祭りがにぎわう(10月)
ジャカルタ日本祭りがにぎわう(10月)
バティック、文化遺産に(10月)
バティック、文化遺産に(10月)
ジョクジャで世界遺産ウォーク(11月)
ジョクジャで世界遺産ウォーク(11月)
鳩山首相が来イ(12月)
鳩山首相が来イ(12月)


ホーム | この一週間の紙面
 Copyright © 2009 PT. BINA KOMUNIKA ASIATAMA, BYSCH
 All Rights Reserved.
2001-2年