| 世界100カ国以上の首脳が参加したバンドン会議50周年記念会議(4月24日)
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| 燃料費値上げ前にガソリンを求める人々(9月末)
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| バリ島で再び爆弾テロ(10月1日)
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| 津波から1年(12月26日)
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独立六十周年、アジアアフリカ会議五十周年記念会議など民族独立史の節目を迎え、祝賀ムードに包まれるはずだった二〇〇五年のインドネシアは、次から次へと想定外の災害に見舞われた。巨大地震と津波、鳥インフルエンザ、ポリオ、飢餓、そしてテロリストの爆弾。こうした災害・事件に加え、国際原油価格の暴騰が新たな津波のように襲った。財政破綻という悪夢の再現を防ぐ手はただ一つ。庶民の反発を覚悟の上で石油燃料補助金に大ナタを振るい、燃料価格を一挙に倍増。危機を乗り切ったユドヨノ大統領に国際社会は拍手を送った。勢いに乗って経済閣僚を更迭し、信用回復に成功。「災いを福となす」手法はアチェ和平でも効果を発揮した。かくして最初の一年はまずまずの合格点。国民の期待を背負って二度目の新年を迎えるが、幸運に恵まれすぎたユドヨノ大統領のかっこ良さは、いつまで続くだろうか。(じゃかるた新聞編集長、草野靖夫)
国民の直接投票によって初めて民主的に選ばれたユドヨノ大統領は、昨年十月、組閣と同時に「公正で安全で繁栄するインドネシア」をスローガンに、汚職追放、テロ根絶、雇用創出、貧困削減の公約を掲げ、「一〇〇日アジェンダ」を発表して国民の期待を集めた。
しかし、その直後にアチェの大災害。そして八月に石油危機。今年の国内総生産(GDP)の成長率は目標を下回る五・五%。GDPが一%増えると三十五万人の雇用が確保できるとされるが、メガワティ政権が回復軌道に乗せた経済を、高度成長へ導き、数千万人の失業者に職を与えるという約束は果たせなかった。新規の直接投資を増やす。そのために、新投資法の施行、税制、労働、司法などの改革を実行するという公約も来年に持ち越された。
ユドヨノ大統領が大英断を下したのは、レバラン(断食月)入りを控えた十月一日。
庶民にとってショックだったのは朝夕の煮炊きに使う灯油を一八六%も値上げしたこと。「貧乏人には現金を」と郵便局を通じてキャッシュバックを試みたが、誤って金持ちに支給したり、現金を横領されたりの混乱が起きた。
この値上げで、今年のインフレ率は前年比で一八%を記録。諸物価の高騰で国民生活は一層厳しくなることが確実となった。二〇〇六年前半には賃上げ要求や生活防衛、首切り反対の抗議行動が多発しそうだ。
とはいえユドヨノ政権の国民の人気は衰えていない。ハビビ、アブドゥルラフマン・ワヒド、メガワティ、ユドヨノと続いた過去七年の政権の中で「最も安定した大統領」として支持率を維持している。
大物を狙った汚職追放キャンペーン、テロリストの執拗な追跡、ポピュリズムに徹したパフォーマンス、言論・報道機関へのサービス精神、宗教紛争へのバランス感覚、国軍の文民統制などに見られる柔軟で、毅然とした姿勢が国民の支持を得ているようだ。特に汚職摘発の姿勢を国民は高く評価している。
裏金づくりで逮捕された総選挙委員会委員長、メッカ巡礼資金を着服した前宗教相、スハルト元大統領の親族の裁判で、賄賂を要求した最高裁幹部、不正銀行の捜査に手心を加えて大金を受け取った国家警察の幹部、外国投資誘致資金を横領した投資調整庁の長官らが、次々と留置場にぶち込まれ、「こんなはずではなかった」と嘆いている。
元エリート将校で慎重居士のユドヨノ大統領と、実業界出身の即決型のユスフ・カラ副大統領の対立がしばしば伝えられた。アチェの戒厳令解除の時期や外国の援助機関の受け入れをめぐって意見が対立、内閣改造人事でも二人の間に亀裂が生じたと伝えられた。
カラ副大統領が大統領をしのぐ実力を見せたのは、津波発生直後の修羅場で見せた判断力。戒厳令を国軍への根回しなしで解除宣言。この大胆な判断が各国の援助機関の活動をスムーズにしたことは間違いない。国会の非難をものともせず、アチェ和平交渉を押し切った。
カラ副大統領の重みが増したのは、スマトラ沖地震が起きる一週間前、バリ島で開かれたゴルカル党大会で、党総裁に選ばれてから。総裁就任で、それまでユドヨノ政権の野党だった議会最大のゴルカル党が政権与党に加わった。
この結果、ユドヨノ政権は出身党の民主党とイスラム政党の福祉正義党の議席を合わせ、議会内最大多数の与党に突然変異した。
ユドヨノ大統領の人気に陰りが見えない理由は、カラ総裁のゴルカル党が背後に控えているからだ。それは、ユドヨノ大統領の権力維持のアキレス腱でもある。
「背が高く、英語で話せ、写真映りも悪くない初の大統領は、この一年、外交でいくつかのトロフィーを手にした」とジャカルタポスト紙は評価している。
四月のアジアアフリカ会議五十周年記念会議は、ユドヨノ大統領にとって、初の国際的な晴れ舞台だった。バンドンの会議場に向かう中国の胡錦濤国家主席、インドのシン首相らと並んだユドヨノ大統領は、半世紀前、インドネシア外交がリードした反植民地運動の歴史の重みを国民に思い起こさせた。
会議には小泉純一郎首相も出席し「日本の常任理事国入り」を働きかけたが、「インドネシアも常任理事国になれる」と主張して日本を驚かせた。だが、十二月の東アジアサミットでは、メンバーに豪州やインドの参加も認め、日本外交に歩調を合わせるしたたかさも。「インドネシアはやがて東アジアの中核になる」との思いがある。
しかし、サミットから帰国した大統領は「この国の汚職は周辺国の間でも、世界でも恥さらしだ」と語り、来年もまた汚職摘発に全力をそそぐ姿勢を鮮明にした。
政権の求心力を強める一番の方法は、外交で点数を稼ぐより、汚職追放キャンペーンを強化することだと悟ったからであろう。
| 初のインフラサミット開催(1月18日)
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| 05年もバリでスポーツ大会(1月24日)
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| B&Bが活動に終止符(1月29日)
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| ニアス島で大規模地震(3月30日)
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◆2005年の主な出来事
| 小泉首相がアチェ訪問(4月23日)
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| 初の地方首長選がスタート(6月1日)
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| ユドヨノ大統領が初訪日(6月3日)
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| ヘルシンキでアチェ和平合意に調印(8月15日)
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【1月】
07 スマトラ沖地震受け、緊急首脳会議(津波サミット)
17-18 初のインフラサミット開催
22-23 3都市親善スポーツ大会開く
28 政府とアチェの武装派組織「GAM」の交渉開始
29 邦人合唱団B&Bが15年の歴史に幕
【2月】
19 民放メトロTV記者2人がイラクで誘拐される
【3月】
01 平均29%の石油燃料値上げ
30 北スマトラ州ニアスでM8.7の大地震 約1000人死亡
【4月】
01 闘争民主党のメガワティ党首が党首再選
08 総選挙委(KPU)汚職事件で初の逮捕者
12 アチェ州知事のプテ被告に禁固10年
20 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念会議が開幕
22 首脳会議で小泉純一郎首相が歴史認識で釈明
【5月】
17 マンディリ銀不正融資事件で前頭取を逮捕
18 アチェの非常事態宣言を2年ぶりに解除
21 ナザルディン総選挙委委員長を逮捕
26 ミスユニバース大会 インドネシア代表の水着審査で物議
28 中部スラウェシ州ポソで爆弾テロ 20人死亡
【6月】
01 初の住民直接投票による地方首長選がスタート
03 ユドヨノ大統領が初訪日
【7月】
05 石油不足が深刻に 各地の給油所で長蛇の列
21 バンテン州で鳥インフルエンザの国内初の死者
【8月】
15 政府、GAM代表がアチェ和平合意に調印
17 全国で独立60周年祝う
【9月】
06 メダン空港でマンダラ機が墜落 邦人ら149人死亡
15 アチェでGAMの武装解除始まる
19 鳥インフルエンザ拡大 ジャカルタの動物園閉鎖
【10月】
01 バリ島クタとジンバランで同時爆弾テロ 邦人ら26人死亡
01 平均126%の石油燃料値上げ 今年2度目
【11月】
09 対テロ特殊部隊が、東南アジアの地下組織「ジェマ・イスラミア」(JI)幹部
のアザハリを射殺
【12月】
06 ユドヨノ大統領が内閣改造 経済チームを刷新
14 マレーシアで初の東アジアサミット
ナザルディン総選挙委委員長に禁固7年
20 人権家ムニール氏殺害事件で元操縦士に禁固14年
26 スマトラ沖地震・津波から1年 アチェで追悼式
27 GAMが軍事部門を解散
| マンダラ機が墜落(9月6日)
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| GAMの武装解除 30年の紛争が集結へ(9月15日)
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| スラバヤで運動会(9月27日)
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| JI幹部アザハリを射殺(11月9日)
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