「インドネシアは東南アジアのテロ組織の温床になった」−シンガポールのリー・クアンユー上級相の内政干渉とも言える爆弾発言に対する国内世論の反発で、二〇〇二年は始まった。
「インドネシアにテロの国際組織は存在しない」「国内テロは国内で処理する」と、インドネシア流の誇り高い反論で、その場をしのいできたが、フィリピン、マレーシア、シンガポールを巻き込んだ米国の対テロ世界戦略は、ついに、インドネシアにも過激派イスラムのテロ撲滅を迫った。
| 爆弾で破壊され炎上するクタの繁華街(10月12日)
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| テロ容疑で逮捕されたイスラム指導者バアシル氏(10月19日)
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ニューヨークの米攻撃テロ事件から、ちょうど一年一カ月と一日後の十月十二日、バリ島爆弾テロ事件が発生。「穏健派イスラムが多数を占めるインドネシアにはテロリストはいない」という虚構が打ち砕かれ、「政治に首を突っ込む過激イスラムは悪いイスラム」というスハルト軍事政権時代を支配していたテーゼが復活した。
スハルト軍事独裁政権が倒れてから四年間、国中でテロが相次ぎ、じゃかるた新聞の記者たちは、何十回となくテロの現場を取材した。
東洋最大のイスラム寺院が爆破されたかと思うと、全国の教会のクリスマス・ミサが血に染まり、証券取引所やモールで多数の死者が出た。
スハルト一家の裁判に絡んだ爆弾もあったし、フィリピン大使が狙われたケースもあった。マレーシア大使館、米国大使館も狙われた。
宗教対立や利権を背景に、マルクやポソで住民紛争があり、独立運動が高まったパプア州やアチェ特別州では、テロが日常化した。
だが、インドネシアのテロは動機がはっきりしない。時の政権を狼狽させるという点では、反政府テロに見え、改革の時代に守旧派が抵抗する反動テロも考えられた。
事件は、ほとんど解明されず、どのテロも動機はあいまいのままになっている。
バリ島爆弾テロも、実行犯の一人が「米国人を殺したかった」「聖戦のために立ち上がった」と自供しただけで、なぜ、豪州人を多数、殺したのか、なぜ、バリ島を選んだのかが、まだ解明されていない。貧しく、ひ弱で、未熟で、コーランを読み違えた自主性のない人たちが、お金のために働いたテロなのか、それとも、テロのためのテロなのか。世界最大のイスラムの国を、より世俗的な社会に変革しようとする反イスラム運動の、深遠な陰謀なのか。
| サムドラ容疑者の写真を公表するアリトナン国家警察報道官(11月22日)
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| バリ島の平和を祈る慣習村の女性たち(11月15日)
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◆虚構生むデジタル写真
デジタルカメラが普及した二〇〇二年の写真資料を点検すると、印画紙を使わないデジタル処理の写真がほとんどで、街の写真屋で焼き付けた写真をスキャンする従来型の写真処理は、ごくわずかになった。
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小泉首相の笑顔はいつまで?(1月13日)
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バリ島爆弾テロの写真は、現場に駆けつけた記者たちが、インターネットで送ってきたデジタル写真。小泉首相が、タイのタクシン首相からもらったドリアンを頬張る写真もデジタル。デジタル写真は、ただちに日本にも送られた。
デジタル映像は処理が早い。撮影したら即刻、ホームページに載せ、締め切り寸前の新聞に突っ込むこともできる。読者からのデジタル写真の投稿が増え、交通事故や火災などの事件現場の傑作がじゃかるた新聞に数多く登場した。
新聞制作にとって革命的なデジタル写真は、しかし、危険もはらんでいる。アルカイダのホームページに登場するオサマ・ビン・ラディンの映像やバリ爆弾テロの犯行声明に見られるように、数字の組み合わせで出来上がったデジタル情報は、実在しない虚像や虚構をたやすく作り出す可能性を内包している。
過去四年間の民主化時代のインドネシアは、インドネシア国民が抱いていた虚構や虚像を一つ一つ壊して行く過程でもあった。スハルト政権が、社会に押しつけたパンチャシラ(国家五原則)の虚構。軍事力が国土統一と領土保全の守護神であるという虚構。しかし、同時に、デジタル社会では、新たな虚構を手軽に再生できることもはっきりしてきた。
写真記者にとっては、虚構や虚像に惑わされず、実像を映し出す困難な仕事に取り組まねばならない時代になった。